第一話:木場のうたた寝で戦争回想シーンについて

 うたた寝して戦時中のシーンで軍曹と少尉って言い合うシーンにときめきました!ぐっとくる!!
(残念ながら私は木場関でないので腐的な意味でなく、軍事版的な意味合いです。やばい、階級っていいよな…!!階級に個人名をつけて称ぶという行爲は、一個人がその個性を剥がれて大きな体制の歯車の一つとなった上での、この識別という再構築された矛盾に富む呼称!!つまり公私の区別が明確に生されているという建前なのに、公私の区別は決してあり得ない実態を露呈している矛盾に満ちたアンビバレンツな意味合いを持つのだよ!!うはあああきめえじぶん!!)

 でも。個人的に木場ってああいう戦時中のシーンを滅多に見ないような気がするというか、いや見たって良いんだけどあんまイメージにないんだよな。
 なんつーのか、それはそれって「ハコに入ってる。敵がある。」時のだから、行動原理に理由があるわけじゃん。だからそれは自分のなかで納得できて理不尽なことではないと処理されてるんだと思う。
 これはおそらく有史始まってから、日本の歴史で云うならまさに太平洋戦争(つまり戦闘行為に人口の大多数が関わっていた期間)において『ふつう=大多数』(と認識されてた)であった「非日常的な情況から脱したときの、日常生活を営むための意識変革」=それはそれ、これはこれ。って云う切り替えが出来る、もしくはすることで均衡を保つことを選択した『前現代的人間』だと思うんですよ、木場は。

 前のハコを取っておけて、かつ新しいハコを被ることにスムーズな人というか。

 なんでかって云うと、それまで『戦争もしくは戦闘行為が現実(リアル)として起こりうるべき非日常(可能性が限りなく近いという意味)』の状況下で、理由を持つことで意義を見いだすという行爲は非常に帝国主義的な意味合いを持ってる。それは根本的に植民地主義以前の封建社会・原始社会に繋がるコミュニティ成立意識に共通して一貫する意識なんだよね。社会に個人を認識させるときに、その理由を与える=理由が変化すればそれに応じて適応しなきゃいけない。
 非常にシンプルで自然な、特に当時の社会構造に融合した思考構造なんだけど、帝国主義という理想化・単純化・高機能化していた思想が崩壊してしまった現代社会(単純に日本に限定して云えば、戦後日本の「戦争をしない宣言(憲法ね)」が出たことで、日本という国にかかった一つの大きな呪い(京極っぽいな!加賀乙彦的に云えば『洗脳』を中途放棄、上書修正した行爲か?)がかかってしまったあとにそこに生きる人々の思考…もちろん他国(各文化・人種・コミュニティなど)ごとや世界全体にかかる呪いもあって、何重にもなってる)には当てはめることが困難になってきた思考タイプも出てくる。これが現代的人間思考とも考えられる。『非現代的人間じゃない』=『現代的思考』とも見られるわけで。

 つーか現在の私らがそれで、戦争=戦闘行為(戦場での殺人など)=非人道的、という思考回路が大多数の人間に出来てる(と思う)。でもそれは比較的新しい心理構造じゃね?ということ。
 こういった意味では、原作もそう言う観点を現代的な意識で昔を描いてる話なんだけど、特にアニメのはそれが強い。

 木場の8月15日(これも現代日本には『終戦』が引き出されるって云うある種の呪いだよな)に於ける戦場回想シーンは非常に現代的な切り口である、と同時に戦争=戦闘行為=死=血=決別=かなこたち、を結ぶワードとしては効果的だったんだよね。ついでに云えばお盆。これまた死のワードであって(あの日付は終戦内閣が行った最大の呪いだよ…)日付を黒字に白で入れるところに同じ意味を持たせている。

 構成はうまいし、絵的にも非常にインパクトが出て秀逸。
 なんだけど…個人的にあれは木場が乗ってるんじゃなくて、たとえば関口だったらもっと良かった効果だと思ったと云うことです。

【過去の自分の行動(行動に伴う自分自身の思考)を否定=現在の個を構築する過去を捨ててしまうことで、それで均衡を保って現在の個を確立する人もいる。それは姑獲鳥に於ける関口なんだよね(それが良いか悪いか、は問題でなくて、ただそう言うタイプかどうかってこと。血液型がAとかBとかそう言うレベルでしかないし、そうでなければならんと思う)。←関口タイプの台頭(といっては解らないけど、多くなってきたという意味)は(少なくとも日本においては)、近代都市計画及び産業革命に伴う生活の変化や他文化の異なる思想を混ぜた結果なんだけど、そこらはちょっとおいとく。】


 あーごたごたいってるけどつまり、木場って建前を行動理由にして生きてる性格設定だから、それを特別視してたりはしてないと思う。つまり、戦争に行って戦闘して戦友が全滅したり少尉を助けてたり人殺したりしてた(かどうかは描写にないので知らないが)のは、建前という理由があっての行動なのでそれ自体は納得してて、むしろその中でのもっと細分化されたエピソードごとに各々記憶として感情を持ってるんじゃないのか。ということ。で、そう言うのは昔の人に多いパターンなんだよね。
 平たく云えば、自分のなかで戦争というフォルダ内の大小様々のファイルは木場のなかで整理されてて、戦争フォルダも整理済みになってて、滅多なことでは揺るがないんじゃないか、ということ。

 あのシーンだと、かなこたち=決別=血=死=戦闘行為=戦争、となってしまって特別な『非日常を開くことに気付いた』木場の予知みたいな感じだし、普段から「ハコがあると安心する」って云ってる木場がその安心した「ハコに入っていた時代」を特別視するのはちょっと変な感じ。

 原作での、後の研究所に殴り込みシーンでは『昔と同じハコに入る』意識だから、逆に「ハコ時代の象徴である軍服」が出てきたんだと思う。あれは巧い。なぜなら未知の非日常を、木場自身の既に知っている非日常に強引に修正する時の補正材料が戦争時代、っつー事象だから。

 だから戦闘シーンを鉄道シーンに入れちゃうと矛盾が出てくるんだよなー。
 まあ単にインパクトと木場と関口の関係と、8月15日を印象づけるテクニックだと思うんですが。

 もちろん大前提に100人の昔の人100人が絶対そうだった、という仮定じゃなくて、割合的にそう言う人はいたし、昔からここで云う『現代的思考』の人や、今でも『前現代的思考』の人や、その限りではない人はいるし、そうでないと認識してないと怖い。
(一応参考文献は、計見一雄『戦争する脳―破局への病理』(←おすすめ。いろいろおもしろい)なんだが、全然違ってたりしたら本当にすいません…)

 ついでに云えば、青木は半分『前現代』と『現代』に揺れてる中間層だと思う。世代的にも個人の感受性強い云々という性格設定でも。






第二話:冒頭『匣の中の娘』パートの、関口が歩く色街の女のモデル(追記あり)

あれ、おもいっきり 溝口健二監督の遺作『赤線地帯』(1956年・大映) ですよ!これ!

 関口引っ張ってるポニーテールの京マチ子吹いたww
 あれミッキー(京マチ子の役)じゃん!ジャケット肩掛けの関西弁だし。そうだよね、なんかそうとしか思えねえくらいのリスペクトっぷりだと思う…(にほんごへん)!
 てか、同じシーンあるじゃんあれww
 確認しました。台詞も同じです。客にいなされて悪態付くのも。あーびっくりした。
 わたし溝口好きで特にこの作品好きなので(あと祇園囃子も良いよ!!小暮実千代ハァハァ)、わはー!!ってテンションぶわーっとあがったww
 なんだよーマッドハウス、溝口厨の私に思わぬプレゼントありがとう!!
 でもなんとなく「匣の中の娘」の娼婦のシーン、原作見てると吉原っぽくなくてもっと場末…青線に近いような気もする。まあイメージイメージ。
 
 「赤線地帯」の舞台・吉原は腐っても公娼エリート一等地なので、その後の「毛娼妓」パートなどの鳩ぽっぽ狩りのイメージとはまた全然変わってくるので注意なんですが、それでも当時の売春宿のイメージや時代性がわかりやすく、また通いの人妻娼婦(そしてその旦那)や年増女郎の立場や人生などが戦後昭和の暗部を浮き彫りにしていて、まさに一見以上の価値ありな名作映画です。
→吉原では夜鷹のぽっぽが営業出来ないくらい格上の土地なのね。玉ノ井とか州崎とかがぽっぽ居るエリア。

■追記。某所に書いたやつ。アニメと元ネタと思われる映画との比較。
二話冒頭『匣の中の娘』パートのことです。
関口が関西弁の娼婦に捕まりそうになるところ、 映画で神戸からやって来た、京マチ子扮するミッキーという娼婦が強引に客を引っ張るシーンと同じなんです。
映画では客と思って引っ張ったら、向かいの廓の主人ってオチなんだけど。

場所…女郎屋の前(玄関から通りを移すアングル)一致。
(背景はネオンや建物が微妙に違う)
台詞…女二人の「お遊びしてってぇ」「ねぇえ、お上がりしてってえ」は呼び込みの常套文句なので割愛。映画中には繁出(地回りのおじさんが彼女たちに対し、「また後で行くわよー」とか言ってあしらってたりも)する。
「ねぇ、兄ちゃん!寄って行き!うち、ニューフェイスやで!」の台詞も映画とアニメ同じ。
ポニーテールや髪を縛ってる髪飾り、大きな耳飾りにパンツスタイルも一緒。
でも、映画でその台詞を言うときには肩掛けジャケットはないんだけど、ミッキーはジャケット(もこもこ毛皮ジャケット)肩掛けスタイルが基本なので、以上のことから、リスペクトだと見なせると思う。

ただ、映画舞台の吉原は赤線のなかでも別格の位置なんだよね。
キングオブ赤線。
夜鷹のパンパン狩りするような所じゃないから、赤線地帯リスペクトであれば二話と四話の赤線の舞台のイメージは同じ赤線でも雰囲気が全く違うこと(四話は玉ノ井とか洲崎とか場末な感じだと思う)を明確にしないと、なんかおかしい感じになるんだが、まあ…もう知っている人も少なくなってきただろうけどな…。
あーしかし、ついでに毛娼妓のシーンも入れてほしかったなあ。木下…。

四話の踊り子シーンはわかんにゃい。「肉体の門」か…。
黒澤明の『酔いどれ天使』の挿入歌、笠置シヅ子の「ジャングルブギ」のシーンかと思った。(こっちは未検証)
年代的にもアナタハン島事件でジャングルブームだからなあ。























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