記憶と夏休みと七夕と。

 カタン、カタン、と夜汽車は揺れる。
 北に向かうその汽車の、白熱灯は時たま仄かに幽かに、ヂ、ヂ、ヂ、と己の存在を揺らめかす。
 その光に包まれる客は、各々の刻を静かに共有して、夜汽車はそれをあやすかのように揺れる。
 時折聞こえる汽笛の音。
 「明日も一日、晴れそうですね。」
 向かいの木場に、青木がにこやかに声を掛ける。車窓の未だ夕朱の残る田園を眺めていた木場は、緩慢に青木の方を向いて、苦笑しつつ答える。
「だ、ろうな。ああも今日みてぇに暑ちぃと、どうやったって涼しく無ぇからまいっちまわぁな。」
 東京のその夏は、相変わらず暑い。炎天下のアスファルトは照り返しが厳しく、さながら鉄板である。今日の昼まで、その鉄板見た様な東京アスファルトを聞き込みで歩き回っていたのだ。青木も、にっこり微笑みながら答える。
「その点は、全然解消されますよ。うちの田舎、アスファルトなんかありませんし。」



  かねてからの休暇願が認可されて、暫く振りの纏まった休暇が出来た。さて、どうしたものかと、同時期に休暇が出た青木に、休暇の使用方法を尋ねてみた。聞けば青木は、少し早い盆帰省に帰ろうかという。宜しかったら暑気払いにでも田舎に来てみませんか、と青木が誘って呉れた。別段断るような理由もなく、寧ろ何だか一寸楽しみのような気もしたので、今年は青木の帰郷のお供、と相成ったのだ。


 
 たわいもないお喋りと流れ行く車窓。二人で居ると言うこと。何だかとてもそれは気持ちの良く、そして心地よいモノ。
 噛み締めて、感謝することの大切さを、いつ、どこで学びいつどこで手に入れたのだろう。
 ゆっくりと木場は頬杖をつきながら尋ねる。
「明日よ、何時着だったか?」
「えと、5時2分着です。早いですけど、起きられますか?先輩。」
 からかい気味にくすりと笑いながらではなく、本当に一寸心配そうに聞いてくる素直さが、何だかくすぐったくて、殊更悪態で返してやる。
「手前こそちゃんと起きやがれよ?手前担いで降りても、そっからどこ行くのか解りゃしねぇしな。」
「その点は大丈夫です。兄が駅まで迎えに来てくれることになってますから。」
 にっこりと笑う。邪気のない、子供のような笑み。木場は不覚にも、ドキリと心が躍ってしまった。
「・・・手前、寝てる気満々だな。」
 汽笛が夕闇に鳴った。

 不意に感じた夜風の冷たさに目を覚まさせられる。
 開いていた、車窓の漆黒の闇に塗られた向こうから、それだけどこまでも白い月光と共に入り込んできた夜風は、夏と云えども冷たかった。
 小さな電灯しかついていない車内は薄暗く、白い月光に照らされて、明日を待つ眠りについた人々が静かに休んでいる。なんだか別の世界のように不可思議な印象を木場に残した。
 すぐ目の前、向かいで荷物により掛かりながら、幽かな寝息を立てている青木に目を移す。青白い月明かりに照らされた、あどけない寝顔、それだけが何だか木場には、同じ領域内に存在するような感じがして―――少し苦笑した。
 ふるり、と青木が幽かに小さく身震いした。静かに立ち上がり、静かに、窓を閉めてやる。夜風は毒だ。立ち上がったついでに伸びをして、座り寝でガチガチになった体をほぐす。ボキリと鳴る。その音に反応したのか、青木の長い睫毛がさやかに揺れ、月光に照らされた頬の上の影も揺れたが、また穏やかな眠りへと融けて行く。木場は、青木の頭を軽くぽんぽん、と跳ねる様に撫でてやる。そんな自分に気付いた木場は、ガシガシと己の頭を掻き混ぜた。何だか少し照れくさくて。
 時計は、後少しで明日を指す頃。
 木場は一息溜め息をつくと、座り直してもう一度眠りに就いた。
 夜汽車はカタン、カタンと、乗客をあやすように静かに揺れている。


予告通り、と言うのかどうか、降車時刻の5分前になって漸く青木は目を覚ました。
「はふ・・・。おはよ・・・ございます・・・。」
 小さく欠伸をしながら、目を擦る。夏の車内はもう、朝日で眩しいほどに日が射している。
「おう。おい、まだ起きてねぇな。昨日行ったことと同じ事やってやがりゃあ、世話ねぇぞ。」
 そんな憎まれ口も半分は夢の中なのか、ふわふわと目が寝ている。連日の捜査の後すぐに夜行列車に乗って疲れが出たのだろう。苦笑しながら木場は青木をせかした。

 駅の改札を出る。と同時にこちらの方向へ若い男の声が掛かった。
「文蔵!!」
 すると、今まで眠気の波の中をふわふわとしていた青木が、嬉しそうに振り返ると声のする方へと掛けていった。そちらの方へ振り向くと、青木が嬉しそうに手を振りながら、この夏の早朝からかっちりと背広を着込んだ青年に向かって行くのが見えた。
 誰だ?あいつは。そう木場が知らず鼻白んだ瞬間に、青木が嬉しそうに言った。
「ただいま、兄さん!!」
 どうやら話に聞いていた青木の兄であるらしい。
 元気だったか?うん、元気。兄さんは?それに父さん母さんは?ああ、相変わらず元気なお人らだ、それよりも文蔵、待ってらっしゃるだろう、お客様。あ、うん、先輩来てるんだ、あの人。うん、そう、あそこの大きい下駄みたいな人。
 「先パーイ!」
 そんなやりとりの後に、青木達はこちらに向かってきたので木場もそちらの方へ歩む。
 スタンドカラーのカッターシャツに、黒系のネクタイで黒系の背広を涼しげに着こなしたその若い男は眼鏡を上げ、木場の方を見遣ると一礼する。つられて木場も思わず敬礼が出る。
「先輩、紹介します。僕の兄です。」
 そんな木場が可笑しかったのだろう、青木がくすくすと微笑みながら紹介する。
「どうも初めまして。文蔵が何時もお世話になっております。兄の、青木文介と言います。」
 いささか切れ長の涼しい目で眼鏡の奥からこちらを見る。年は木場よりも若そうである。ただ、少しだけ大きめの頭は、兄弟であることを如実に語る。木場も自己紹介する。何だか不思議な感じがして、一寸可笑しいなと苦笑した。

「文蔵、寝てしまいましたか。」
 運転席から文介が声を掛ける。駅から乗り換えて鉄道で行けるらしいが、疲れるのも何だろうから、と迎えに来たと言う。目の前を緑が過ぎ去っては又広がる光景を後部座席から眺めていた木場は、その声で気付かされ、隣の青木を見ると、こっくりこっくりとしているのを確認する。苦笑しながら答えた。
「ああ、連日の捜査がたたってんだろう。ここんところ、泊まり込みの捜査があったしな。こいつ、そう言うことになると、くそまじめに張り切りやがるしな。」
 それを聞いた文介の眉が僅かに顰められるのを、木場はバックミラーで確認してしまった。
「そう・・・ですか。」
 最初は、純粋に弟の体を気遣うが故の逡巡かと思った木場だったが、どうも違うらしいと言うことに気付く。
「・・・・それが、どうかしたかい?」
 文介は、木場の疑問の残る言葉にはっとしたが、濁すように答えた。
「いえ・・・。昔と変わっておらんな、と思ったもので・・・。」
 ここで話題を変えて、木場は聞くともなしにこの辺りのことを訊ねてみた。すると、文介は熱心に宮城の名産特産史跡名勝、歴史に至るまでをいささか暑くなりすぎるほどに語った。この話題だけは人が変わったように積極的に語りだした文介をいったん止め、面食らいながらも木場は問う。
「あんた・・・職業なんだ?」
「私ですか?宮城県庁で地域振興課長を勤めております。」
 びしっ、っと名刺まで出されてしまった。
 彼は地元・宮城をこよなく愛する役人であった。
  車は、山路の緑を抜けると、ぱっと開けた。田圃があり、畑がある盆地に出た。民家もあり、学校らしき大きな建物も2つばかり在る。小学校と、中学校だと文介が教えてくれた。小さな駅から続く道をまっすぐ行くと、大きな鎮守さまの木がある。これを過ぎたらもう一寸ですよ、と何時の間に起きたのか青木が言う。
 やがて、大きな武家屋敷に出くわす。どうやらここらしい。30分も走っただろうか。大きな木の木陰に、一人の女性が立っていた。和装の婦人で、こちらに手を振っている。
「あ、母さん!」
 青木が身を乗り出して手を振る。どうやら青木の母親らしい。らしいというか、一目見てわかるほど、奴は母親似だ。車を降りる。青木とそっくりな母親とも挨拶も済ませ、門をくぐり玄関に入った時、奥からぱたぱたと軽やかな足音が駈けてきた。
「ちい兄さま!おかえんなさいっ!!・・・と、お客様?」
 木場はまたも面食らう羽目になる。奥から飛び出てきた、断髪をなびかせてきた少女は、青木とそっくりそのままの顔立ちだったからだ。そう、まるで双生児のような。
「文(あや)ちゃんも?!帰ってたんだ。ただいま。こちら、仕事先の先輩で、木場修太郎さん。」
 青木がにこやかに答え、木場を紹介する。
「初めまして、いらっしゃいませ。妹の文ですっ!」
まだ戸惑いの中にある木場は、元気に挨拶され、はっ、と慌てて返事を返す。
「今年はお客さん多い年だね。私の友達も来てるんだ。今、朝稽古してる。そうそう、ちい兄さま。朝ご飯の用意今してるから、お風呂頂いて貰ったら?昨日ずっと夜行だったんでしょ?」
 にっこりと文は笑うと、一礼して奥に帰っていった。
「じゃ、先輩。部屋に荷物置いてから昨日の分のお風呂、どうぞ。」
 にっこり笑いながら靴を脱ぐ青木に、妹のことを聞いてみる。
「なぁ、妹ってなぁ幾つだ?」
「文ちゃんですか?今年・・・僕と10違いだから、17ですよ。どうかしました?」
「双子じゃねぇのか?」
 そう言うと青木は、そのあどけない童顔を苦笑させて答えた。
「そんな、文ちゃんに怒られますよ。僕と同い年って、27じゃないですか。」
そうか、じゃあ青木、お前が・・・・・変なんだな。その言葉を木場は敢えて仕舞って大人しく風呂を頂いた。

 風呂から上がり、さっぱりとして通された離れの一室で涼んでいると、上がったばかりの青木と母親が来て、食卓へと案内してくれた。
 そこで青木の父である青木文太郎氏と、文の友人の楢山彬少女にも紹介され挨拶を交わす。まことに今日は何とも不思議な日である。朝っぱらから自己紹介だの挨拶の目白押しである。木場は苦笑をかみ殺しながら朝食を頂いた。
 話を交わして行く内、父の文太郎も兄と同じく宮城県庁職員で、役人一家だと言うことが解った。いかにも生真面目な青木の家族らしいと木場は思った。
 妹の文と友人の楢山彬少女とは、仙台の寄宿学校から共に東京の女学校へ出た友達であるらしい。なんでも柔道を嗜むそうで、今日も今日とて早朝稽古に勤しんでいたらしい。何だか少し素直すぎて抜けた感じのしないでもない文と、少しばかりきつそうな感のある、さながら少年の様な楢山少女とは結構良い組合わせではないか、と木場は苦笑した。
 朝食の後、父の文太郎と兄の文介は県庁に登庁していった。まだ休みではないらしい。それを見送った後、木場は特に何をするでもないので、青木に連れられて近くの川に行って涼んでみたり、ゆっくりとした時を持った。東京とは違う時が流れている。
 それはいつもの多忙な日々を癒すような、そんな穏やかな刻であった。

 昼食の時、青木の母が提案して呉れた。
「あぁそうそう、今日から街の方で七夕祭りがあるけれど。行って来ます?」
「七夕・・・?」
 今は盆近い8月である。不思議に思って木場は、冷や麦を掻き込みながら尋ね返す。
「ここら辺の七夕は、旧暦通りにやるんですよ。」
 と、青木の注訳を聞いて、納得した。
「わぁ丁度良いときに帰ってきて良かった。彬、行こ?ちい兄さま達もどう?ご一緒しませんか?」
 文がはしゃいで嬉しそうに尋ねる。楢山少女も異存はなさそうであるし、青木も行きたそうである。知らないところのお祭り、と言うのも興味があるし、木場達は少し早めの夕食の後に、今度は鉄道で街まで出ることにした。

 「先輩。」
 柱時計が丁度5時を刻んだとき、部屋で新聞を読んでいると、青木がひょっこりと覗いた。
「ん?何だ青木?」
 今日も今日とて、余りたいした事件記事の見えない新聞から、木場は顔を上げる。
「これ。兄のなんですが、宜しかったらどうぞ。」
 そう言って差し出されたものは浴衣だった。
「今日のお祭りにどうかな、ッて。さっき母から渡されたもので。」
「いいのか?兄さんのだろ?」
「はい。丁度昼に電話があったとき、聞いておきましたから。」
 たまには浴衣も良いな。そう思って木場は素直に受け取って着替えてみた。
 藍染めの浴衣は少しばかり丈が小さかったが、久しぶりに着る和服は何となく気持ちを清しくさせる。帯を巻くときのあのシュル・・・、と言う音が心地よい。
「わぁ先輩、結構和服って似合いますねぇ。僕も着ようっと。」
 嬉しそうにはしゃぎながら青木も浴衣に着替える。淡い萌葱色の浴衣で、深い緑の兵児帯を締める。青木は兵児帯で、後ろでくしゅくしゅ、とリボンの様に締めてあるのが、木場は密かに可愛かったりもしたのだったりする。
「どうですか?」
 無邪気に青木が聞いてくるのを、木場はその動悸を悟られないように、殊更憎まれ口をたたく。
「・・・・・兵児帯でって手前、餓鬼そのものだな。」
 だからといって、換えろ、なんて毛頭念頭にない木場であるが。

 「じゃ、いってきます!」
 青木兄妹は二人揃ってずいぶんと張り切っているようで、揃いの萌葱系の浴衣で玄関を勇んで出た。
 自分の横で小さな溜め息をついた、楢山少女を見るともなく、木場は声を掛けた。
「・・・・あんた、結構大変なんだな。」
 その答えも、木場を見るともなく、返ってくる。
「・・・・おじさん、お互いね。」
 がしがし、と頭を掻いて木場は土間に降りて草履を履き、いささか元気の過ぎる青木兄妹の後を、楢山少女と共に追った。

 15分ほど歩くと小さな駅に出る。
 そこの改札を通るとき、切符を切っている駅員に、青木は呼び止められた。
「・・・・あれ?なぁ、お前・・・・青木か?青木だろ?」
 最初、誰だかよく判らない風な青木に、若い駅員はもどかしそうに制帽を脱ぐと、嬉しそうに話す。
「俺だよ、俺。守谷だよ。覚えてないか?」
「あ、あ!!守谷だ!覚えてる覚えてる!久しぶり!6年ぶりくらいかなぁ?」
 どうやら、顔見知りらしい。すると、奥の方から出てきた若い駅員が声を掛ける。
「先輩ー、さぼんないで下さいよー。」
 そんな声を掛けた駅員に、守谷という駅員は嬉しそうに声を掛けた。
「おい、松岡、青木だよ青木!ほら、お前が中3の時に代用教員やってた奴だよ!」
 言われて、松岡と呼ばれた方の駅員が、持っていた帚塵取りを掴んだままに、走ってきた。
「あぁ!先生じゃないスか?!お久しぶりです!」
「やだな、もう先生じゃないよ。でも久しぶり、二人ともここで駅員さんやってたんだね。え?今年からの配属なんだ、偶然だね。そう、盆休暇貰ったから今年は仕事先の先輩も一緒に。妹も友達連れて帰ってたし。」
 嬉しそうに答えながら、二人をこちらに紹介する。
「先輩。こっちが守谷、尋常小学の時の同級生です。そっちは僕が代用教員で、中学生教えてた時の教え子の松岡です。」
 何だか知らない青木を見たようで、新鮮なような、もどかしいような、寂しいような、そんな不可思議な焦燥感に木場は囚われた。
「今日?うん、街でやってる七夕祭り、あれ見に行くんだ。」
「そうか、気をつけて行けよ?雨は降らなさそうだから、そこは安心だな。あ、じゃあさ、夜にそこらの地元にいる奴らに召集かけて、お前ンちに遊びに行くよ。」
 そう言って、駅員と別れた。

「今年の七夕って、そう言えば東京は雨だったよね。」
 文が思い出したように楢山少女に聞く。
「あ・・・そういえば、そうだったね。」
「織姫と彦星、逢えなかったんだね。前の月の七月だと、雨って多いよね。昔のままの旧暦だったら、雨も少ないのにね。」
 少女達が語る言葉を聞いて、ふと思う。
 七月七日。
 牽牛と織女が、天の川の対岸を越えて一年に一度だけ重ねる逢瀬の日。普段は会うことの叶わないが故に、その逢瀬はいかに濃密なことだろう。
・・・・・何故、そう思うのだろう。
何故、離れているからこそ、逢瀬が一層恋しく幸せなものと感じるのだろう。
「ううん、違うよ。文ちゃん。二人は一応、毎年逢うことが出来るんだよ。」
 青木の言う言葉に少し驚く。毎年逢えるのか?
「え?逢えるの?だって、ちい兄さま、雨が降ると天の川の水が増えちゃうから、橋が渡れないんじゃなかったの?」
 文も吃驚しながら訊ねる。
「うん、水が増えちゃってもね、かささぎが二人を運んでくれるんだ。ほら、百人一首にあっただろ?」
 そういって青木は一首の和歌を詠った。
「かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける。」
 やけにゆっくりと、噛み締めるような謡だった。
「これは冬の歌だけど、七夕の時にかささぎが天の川に橋を架けて二人を渡してくれる、って言う中国の伝説を使った歌。この場合の橋は宮中にあった橋なんだけど。ま、ともかく二人は年に一度会えるんだ。」
 ああ、そうなのか。何となく安心した木場でもある。
「そう・・・なんだ。でも良かった。かささぎが渡してくれるんだ。二人は幸せね。」
 にっこり笑う文を見て、青木も柔らかく微笑むと言った。
「・・・ああ、しあわせだな、って思えるのは、前に不幸だったことがあるからなんだ。だからこそ、織姫と彦星は年に一度逢ったときにはやっぱり、幸せなんだろうし、年に一度会えるから、次の日から一年を過ごすことが出来るんだろうし。」
 青木は一息つくと続けた。
「生まれついてのお金持ちよりも、貧しい人の方がものの大切さを知っているし、豊作が嬉しいのは、昔不作で貧困に喘いだ過去があるからなんだ。それは、覚えておかなけりゃならない、たいせつなこと。間違っても、当たり前の事なんて思っちゃいけない。それに、かささぎが二人を渡らせてくれることのありがたさ、ッていうのも、確認しなけりゃならない大切なことだと思うよ。」
 にっこりと柔らかく笑った青木の顔に、木場は少しばかりドキリとする。
「しあわせを噛み締める逢瀬の日。二人離れていなくて一緒にいても、その幸せでいられることを感謝する日。織姫と彦星の話って言うのは、こういう事なんじゃないのかな、って思う。」
 そう言って青木は頭を掻いた。
「あはは、なんだか僕らしくないですね。」
 あまりにも、生真面目な青木らしい解釈で木場は酷くしっくりいったのが、かえってなんだか可笑しかった。
「ふ・・・。お前らしい講釈の垂れようだぁな。」
 くしゃくしゃ、と髪を掻き混ぜてやりながら、木場は思う。
 こんな暖かいひとときが幸せだと思うのは、やはり、あの八年前の悲しい記憶をこの国ごと知っているからなんだろうか、と。

 そんなこんなで街に汽車は着いた。
 駅を降りたそこは、朝来た時とはがらりと違って、色とりどりの七夕飾りが微かな夜風にざわめき、その下で大勢の人が夜店を見ては楽しんでいた。街に着くと自由解散で、1時間半後にまた駅の前に集まる、と妹たちと約束をする。手を振って別れると、青木はくるりと木場の方に向き帰り、微笑んで訊いた。
「木場さん、どこ行きましょうか?」
 先ほどの微笑みとはまた違う、屈託のない笑み。木場は暫くそれを見つめてしまい、慌ててぶっきらぼうに返答をする。
「あ・・・・お、おお、どこだってお前の好きなところでかまわねぇよ。」
 はぁい、と嬉しそうに青木は返事をすると、木場の手を引っ張って、夜店の出ている大通りに融けて行く。

「わたあめだ!先輩、買っていっても良いですか?」
「わたあめぇ?またそんな餓鬼くせぇもんを・・・・」
 そんな憎まれ口も訊かず、青木は屋台に走ってゆく。じきに青木は大きなわたあめを持ってやってきた。
「どら、ちょっとよこせ。」
 横から木場がちょっと食いつく。久しぶりに食べたわたあめは、何だか甘すぎたような気もする。でも心地よい甘さだった。
「あーっ、先輩、さっき僕にわたあめなんか餓鬼くさいって言ってたのに。」
 ぷぅっと頬を膨らませて抗議する青木も何だか可愛く感じ、ぽんぽん、と青木の頭の上で手を弾ませながら受け答える。
「五月蠅ぇな。毒味だ、毒味。」
 わたあめハッカ飴に林檎飴。金魚掬いに蝦蟇の油やお面売り。見せ物売り物試し物。
 いろんな所を見て回った。
それは幻のような、楽しくて心地よいひとときで。神と人との縁を繋ぐ日、それは夢幻の一時。
 「あ。木場さん射的しませんか?やってくださいよ、先輩の腕、見たいです!」
 嬉しそうに袖を引く青木の指す方向に、射的がある。
「あぁ?・・・・・しょうがねぇな、一回やってみるか。」
 請われて厭な気もしない。
 屋台の小母さんに銃を貰う。日頃一応は短銃とはいえ、警官として訓練もしている。ましてや、やって欲しいともせがまれてしまえば、持つ腕に気合いも入るという物である。
「おい、どれがいい?」
「んと・・・。あ、あの招き猫。あれがいいです!!」
 小さな寄布細工の招き猫。言われた通りに命中する。
「わぁ、あたった!木場さん凄い!!」
 無邪気な歓声。
 そんなことだから、ついつい隣の、元狙撃兵だという青年と対抗意識を持ってしまい、張り合ってしまったのはご愛敬という物だろう。

 「あー、面白かった。」
 帰りの列車に揺られながら、青木兄妹はご満悦である。
 地元の改札にはさっきの駅員達は居なかった。もう今日は上がったのだろうか。青木が文に何か耳打ちをする。文は、じゃ先に帰ってるね。うん、大通り行けばまだ電灯あるし大丈夫だよ。いってらっしゃい。と、先に楢山少女と帰っていった。
 振り向いた青木はにっこり笑うと、木場の手を掴むと駆け出した。
「お、おい!?青木?!」
 驚いた木場が慌てて訊ねる。
「丁度今頃なら、居ると思うんですよ。川に行くんです。」
 川は、駅の裏手を少し行くと小川のように流れている。昼間、涼みに来たところである。しかし、昼間行った時とは違う暗闇の獣道を青木は駈けて行く。虫の音が大きくなる。川の水音も近くなる。ザッ、と草を踏みしめる音。緑の匂いが一段と濃くなる。
 木場は何だか不思議な感覚だった。何か、不思議なことに出会うような、そんな予感。月のほの白い灯りと、光量のない星明かりだけの闇の中、土手のような草原に出ると。
 一挙に、光の洪水がこちらに寄せてきた。
 ざぁっ、と。
 光に包まれる。
 そして、光と解け合う。まるで、光と解け合うことを赦されたように。黄色い灯りがふわふわと、辺りを無数に漂っている。
 二人は、その圧倒される灯りに、言葉も紡げなかった。
「・・・・蛍、です。」
 青木が呟いた。
「先輩に、見せたかったんです。ここは、僕が小さい頃見つけた、秘密の場所なんです。でも、何時までもこの川が変わらないとは限らないから。だから、物凄く不安だったけれど。無くしてしまわない内で良かった。」
 そう言うと、笑って青木は木場を見上げた。蛍の光に照らされた、青木のあどけない童顔は蛍の灯りそのものに、儚く感じた。
 何時までもある物とは限らない。
 どんな物だってそうだ。
 だから、しっかりと、己に己のこころに、刻みつけなくてはならない。
 韮山の時の青木が感じたという、果敢なさ。あたりまえ、と思うことがいかに危険かを、青木は感じたのかも知れない。
 そんな気がして。
 木場は強く、青木を抱きしめると。優しい光の中で。
 長い睫毛がおどろいたように瞬きを終える前に、そっと、朱唇に接吻した。わたあめの所為か、甘すぎるほどに甘かった。
 ちりん。と、先刻木場が取ってやった招き猫の鈴が鳴った。


                                                                      next→

Inter mission

ちょっと長かったので、いったん分断。
どんだけ青木、夏休み日記なんだよ…!!文ちゃん彬少女は、実はもっと使いたかった。









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