記憶と夏休みと七夕と。

 青木達が家に帰ると、半ばそこは宴会兼同窓会と化していた。
 先ほどの駅員が、この辺りの青木の同級生や級友ら、教え子を呼んできたのだった。
「真打ち登場!青木のお帰りだ!!すまんな青木、伯母さんに伺って先にやらして貰ってたぞ!!」
 声からしてもう出来上がっているであろう、先ほどの駅員守谷が出迎えに出てきた。
 俺は向こうで休ませて貰ってるから、遊んでこい、と青木に言うと、ちょっと戸惑いながらも、はい、と嬉しそうにその騒ぎに混じっていった。
 誰だって、出迎えてくれる友達は嬉しいものだ。さて、離れにでも戻ろうか、と言うときに、後ろから声が掛かった。
「木場さん、一献如何です。」
 青木の兄、文介だった。手に掴んだ一升瓶を持ち上げる。どうやら地酒らしい。木場も酒は行ける方である。御相伴に預かることにした。

 遠くの方で騒ぐ声がする。手入れの行き届いた庭の方から、鈴虫の鳴く声も聞こえる。
 木場らは離れの縁側で、静かに呑み交わしている。
「結構、行ける味だな。」
「地酒ですがね、いいもんでしょう。」
 たまには静かな酒も良い物だ。
「・・・感謝、してます。貴方には。」
 言葉少なに呑んでいた文介が、静かに口を開いた。出し抜けに感謝されてしまい、木場は面食らった。
「あ・・・?なにがだ??」
 文介は、杯に残っていた酒を煽ると、微笑んで答えた。
「文蔵のことです。」

「あいつは―――文蔵は、純粋に育ったんですよ。本当にね。」
 虫の音が少し、弱まったような気がした。
「あんな、混沌とした暗い時代だったのにも関わらず、あいつは殆ど憎いとか汚いとか、人の持つ負の感情とでも言うような物を余り感じなくても良い、恵まれた環境にいて、それを自覚してました。でも、“幸せ”だったが故に、“負の感情”がどんな物か、わからなかった、と前に文蔵は私に話したことがあります。」
 ああ、何だかそれはわかるような気がする。と木場は感じた。幼いと思ってしまうほどに、純粋すぎる。そうかと思えば裏腹に、妙に冷静かつ正確な観察眼さえ持ってもいる。
「そんなで、弟は特攻崩れで戦争から帰ってきました。丁度、私は満州の大学に行ってましてね、その先で徴集されたんですが、まぁ、満州帰りの兄と特攻崩れの弟。偶然、私が帰還して東京に出たときに、もう既に警官になっていた文蔵と、東京で会いまして、暫く厄介になっていたんですが、随分と影で色々言われました。」
 そこで文介は、ふ、と薄い笑いを浮かべた。
 兄は「満州からの引揚者」。中国人を使って金儲けしようとしていた怠け者。弟は「特攻崩れ」。非国民な犬死に集団の意気地なし。そんな悪レッテルを、戦後人々は張った。
 けれど。
 それは、もうどうしようもないことなのだ。言葉では説明が付かないほどの、悲しい人間の行動原理。だがそれは、とてつもない重みを、人にが人に与えることになる。

「戦争ってのは、生と死の極限状態でしょう?」
 そう言われて、木場はあの熱帯のジャングルの草いきれを、感じたような気がした。
「ましてや、特攻って言うのは「死ぬこと」を前提にした命令でしょう。普通の戦場ならば、生き抜くことが出来ます。生き抜くことを考えることが出来ます。だけど、いきなり「死ね」なんて命令を聞くと、何時も意識しては居なかっただろう「死ぬこと」へも恐怖が出てくると思います。これは本能的な恐怖でしょう?本能を無くすことは出来ません。
 だから、弟―――戦争がどうなるか、少なくともわかっていた、わかってしまう環境にいた弟は、自ら精神を作り上げて、あえてそれを護って行こうとしたんだと、護ることで均衡を保ったんだと、私は思います。」
 自分が、出来る最大のこと。自分が生きてきた全てを護るために。そんな機会が与えられたのだから。意義のある死は無駄なんかじゃない。
 そうやって、精神で本能を覆う。途方も着かない精神が支配する世界である。
 護る物はなんだって良い。
 それは人によって違う。愛しい人、家族、今まで出会った全ての生きとし生けるもの。同胞(はらから)。それは時として集結体となったのが国であり。
 そしてある人には、ただ一人の人間にも、具現象徴となった。それが良いか悪いかなんて、わからないし、わかりたくもない。
 しかし、ただ、それはあった。
 木場は一度、赤い月の出た夜に青木の戦争時代のことを聞いたことがあった。
 ふと気付いた。
 青木はあのとき、己が、生きていて、生きていくことを誰かに証言して欲しかったのではないだろうか。それは、青木が自分で歩いて行くための必要材料だったであろう。精神の再建のための。
「だけど弟は一度、必要な「死ぬこと」を失敗し、それをやり直す機会が巡ってくる間に―――終わりました。「死ぬこと」の必要は、戦争が終わったことで霧消したんです。でも、精神と本能の分離し、精神の拠り所がなくなった後でも、弟は、生きています。明日に生きなきゃならない。――でなきゃ、自分の精神、いわば誇りのために死ぬか。」
 そう言うと、文介は一息ついて続けた。
「だからかどうか、文蔵は――自己の存在価値を、自分以外にしか見出すことが出来なくなったんだと、私は思います。」
 木場は文介を見た。虚空に瞳を移している彼は、低い声だった。
「私とは違って、あいつは素直ですから、そうしなきゃ死にたくなくて死んでいった奴らに申し訳ないと思ったんでしょう。私は、あの戦争で良い経験をさせて貰ったと思ってもいる口ですから。学んだのは地獄のような、人の腹の探り合いです。」
 裏を知り過ぎた兄と、知らなかった弟。その戦後は、似つかなそうでどこか似ている様な気もする。どんなに詰られ蔑まれても、噛み締めて生きていかなければならない。それが一番の、あの時代への弔いだと、それを知っているような気がする。
「だから、多分あいつは、代用教員勤めたり、公僕・・・警察官になったり、それだからそんな職業撰んだんでしょうね。」
 そういって、文介は愛おしむように笑った。
「でも、それからの文蔵が、自分の中にも自分の存在価値を見つけて生きられるようになったのは、貴方に出会ったから、叱られたからだ、ッて前に会ったとき、嬉しそうに貴方のことを話して呉れた事でなんとなく、感じました。」
 あの、赤い月の時のことだろうか。
 生きてしまった事への後悔と、生きて行く事への憧憬と、生きて行かれなかった者への罪悪と。螺旋階段から抜け出す扉へ至る一つの解釈と言う名の標榜を、木場は知らずの内に指してやったのだろう。
 それはそれで、構わないと、木場は思う。人は助け合って生きて行くものであるし、実行するのは結局本人だからである。青木は辛くとも生きる道を撰び、それが故に、精神という誇りを捨てなかったのだろう。自分自身に、甘えたくなかったから、なのだろう。
「随分と、良くなってきたと思います。以前の、人に対して依存ではなく、半ば強迫観念に駆られた奉仕への逃避はなくなっていると思うのですが。それは、貴方のお陰なんです。」
 しかし、それはそれで、面と向かって言われると照れるものである。
「そんなぁ・・・、面と言われちまうと・・・・・・照れらぁな。俺は、思ったことをいっちまっただけだ。」
 木場は照れ隠しに、残っていた酒を煽った。きゅ・・・・と、胃の腑に沁みた。それを見た文介は、苦笑すると言った。
「ま、酒の席での戯れ言です。忘れて下さい。」
 文介が空になった木場の杯を覗いて、一升瓶を持つ。
「どうです?もう一献。」
「・・・ああ。頂くぜ。」
 虫の音が、一段と大きくなったような気がした。


「ふわ・・・・疲れたぁ・・・。」
 青木が、あの狂乱の宴会から帰ってきたのは、時計が明日を刻もうかという頃だった。田舎では言語道断の夜更けである。漸く、級友らは帰っていった。
 そうして一風呂浴びて、人心地着いた青木が離れの部屋に帰ってきたとき、木場は夜具の上に腹這いになり、蚊帳の網越しに開け放たれた障子の向こう、月夜に照らされる森を、紫煙を吐きながら見ていた。
 障子が開く音に気付いて、木場が青木の方を向く。
「よぉ。大変だったみてぇだな。」
「先輩?起きてらしたんですか?」
 青木が、蚊帳の中に潜り込みながら訊ねる。
「おう、手前の兄さんと一杯やった後に風呂入って、ぼーっとしてたら目が冴えちまってよ。」
 兄さんと呑んだんですか?あの人、僕と違ってザルからなぁ。と言いつつ、青木が木場の傍らにぺたりと座る。月夜の白い光に、洗い髪の半乾きの青木の髪が綺麗に光る。木場は起きあがって煙草を灰皿にもみ消すと、座り直して青木を引き寄せ、長めの黒髪に触れる。その髪は少し露を含んで冷たかった。
 青木が、くすぐったそうに忍び笑いをする。そしてそのまま、木場に体を預けて木場の膝に乗る。それはとても自然な行動で、それが、木場には心地よく思われ、そんな自分に木場は苦笑する。しかし、厭な気はしない。
 青白い光を浴びて、青木の白い肌が光る。
「そういえば・・・。」
 青木が口を開いた。
「ん?なんだよ。」
 木場が訊ねると、青木は蚊帳越しに空を見上げて、嬉しそうに微笑んで呟いた。
「今日なら、織姫と彦星、かささぎも楽に運べるな、って。」
 仔犬のような、純粋な柔らかな笑み。
「ああ、旧暦(きょう)にしとけば、いいな。」
 そう言うと、木場は青木の白い顎を捉える。形のいい朱唇が、にっこりと、嫣然に微笑みをつくった。木場はその艶やかな微笑みに、知らず見とれていて。そして、気付くといささか赤面の面もちで照れ隠しのように、それにゆっくりと影を落とし、深く己の唇を重ねた。
 煙草の匂いと、それに織り込まれる甘さが、青木を心地よくさせる。月明かりの優しく冷えた光に、包まれて行く。
 さぁっ、と涼しい秋の風が入る。

 七夕は秋の祭りである。
 

                                                                   end.

Afterword

お約束ネタ満載、七夕に絡む激甘ラヴラヴ基本の帰省親兄弟紹介編。
どこが七夕ネタなのかいまいち謎・・・。蘊蓄過ぎる七夕語り。
でもやっぱりラヴは木っ恥ずかしいので微妙な寸止め(苦笑)。そっちの方がよっぽど恥ずかしい。とっくにこの二人、出来上がってますな。いつでも新婚ラヴップル(死)。
兄弟仲良さ過ぎ。文介さん、兄バカ・・・?文ちゃん(と楢山さん)ちょっと消化不良・・・。あと、青木君の田舎での交友関係も・・・。先生時代とかさ。ま、ここら辺、オリジナルですし(うわ)。
やっぱり出すぜ特攻話。己は戦争話以外に書けんのかい。塗り仏始末まで読んでみて構築したつもりなんですが。精神上の話はよくわかりません(うわ)。
やっぱり全体的に耽美派美文調なのが笑える(自分で)。









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