社頭奉仕

 とたとた、と斎務の方へ廊下を歩く。ここは電気が通っていないので、暗いかと思ったが、外の証明が窓から差し込み、思いの外廊下は明るかった。ランプの明かりであろう、橙の色をした明かりが障子紙越しに漏れる、斎務の部屋へはいる。
「あ…いらっしゃったんですか。お疲れ様です。」
 そこには、先客がいた。ランプの白橙の明かりの下、傍らの火鉢を掻き回しながら、紫煙をくゆらせているのは木場さんだった。
「おう、ごくろうさん。俺もちっと前に来たばっかだ。早くこっち来い。部屋が冷えちまわぁな。」
 言われて僕は火鉢に縋る。ここの部屋は夕飯前から焚いてあり、先刻の吹きッ晒しとは格段に暖かい。
「はぁ〜。暖ったか〜い〜。あぁ、もう僕ハナ出てきそうでしたよ。」
 手を翳した火鉢の火は、暖かく優しく、手を包み込む。そんな僕に、木場さんはニヤリと笑い、言う。
「『僕』じゃあねェだろ。『私』だろう?巫女さんよ?」
「もう、いまはいいんですって。」
 先刻、外見は巫女姿なのだから、『僕』では都合が悪い、『私』と言いなさい、と中禅寺さんから言われたのだった。
「それは参詣者や氏子さんの前でですよ。今は良いんです。他に誰もいないし。」
 僕は苦笑混じりに答える。
「どうだ?景気は。」
「そこそこに忙しくてそこそこに暇って感じです。でもちょっと多くなってきましたね、人。」
 程良い暖かさの、火鉢の側面を触りながら答える。
「おお、そうか。先刻まで酔っぱらってたおっさんの面倒を見つつ、交番まで持って行ってたからな。」
「仕事熱心ですね。」
「というよりゃ、習性だな、警官の。」
 笑い合う。
 そのとき、風に乗ってきたのか、ゴー…ン、と鐘の音が聞こえた。
「あ…、除夜の鐘。」
「ああ、先刻から聞こえて来てたぜ。」
 僕は、今年の、この前の除夜の鐘が鳴っていたときのことを思い出した。あのときも、僕と木場さんは一緒にいたのだ。
「…なんだか、去年みたいですね。」
 僕は思ったとおり、呟いてみた。
 ふぅ、と煙を大きく吐いた木場さんは、トン、と火鉢の中に灰を落とし乍、苦笑混じりに答えた。
「そういや、そうだな。去年も手前と一緒だったよな。年越し。」
 僕は微笑して答える。
「そうでしたね。…そう言うふうになってるんですよ。屹度。」
その言葉に、ふ、と木場さんは笑った。
「腐れ縁、か?」
「…もう。腐れ、は余分です。」
 ぷう、と頬を膨らませてみる。そんな僕を見た木場さんは、ぺし、と僕の額を軽くはじいたのだが、その顔はとても照れたようだったことは確かだ。

 漆黒の闇に、暖かな橙のランプの光がほのかに浮かぶ。小さいけれど、思いの外明るく柔らかいランプの光は、時折揺らめき、また時折跳ねる炭火のはぜる音と同調する。
「…そういえば、去年はちゃんと数えたんですよね、除夜の鐘。」
 僕は呟いてみる。
 一度、やってみようと思ってたことだった。それで僕は、警備の応援という閑職の間にきっちり一から数えていたのだった。ちゃんと百八つ鳴ったことを思い出す。
 くしゅん。不意にくしゃみが出た。
「…う〜…。くしゃみくしゃみ。寒〜。」
 僕は鼻を擦りながら呟く。
 しかし、どうして人というのは、くしゃみだのをしてしまった後というのは「う〜」だの「あ〜」だの「ちっきしょい」だのと後に続けてしまうんだろう。そんな僕を見ていた木場さんは苦笑し、銜えていた煙草を指に挟むと空いた方の手で僕を手招いた。僕はその真意が汲めず、小首を傾げながらも火鉢を挟んだ木場さんの傍らへ、ぺたぺたと這うように寄る。
「何です?」
  両手をついた格好のままに、僕は木場さんを見上げる。すると。
「阿呆、こっちだ。」
 言い様、木場さんは僕の腕をつかむと、そのままに僕の体を膝の上に引き上げてしまった。
「せ、先輩?」
 僕は吃驚して木場さんを見上げる。そこにはぶっきらぼうな、でも照れたように真っ赤な木場さんがいた。
「……照れるくらいなら、しなきゃいいじゃないですか。」
 そう憎まれ口を叩く僕も、真っ赤になった頬を見て余している。
「…煩せえ。手前が寒いって抜かしたんじゃあねぇか。…黙ってされてろ。」
 言い様、僕はされるままに膝に収まる形になって黙った。

「…木場さん。」
「あ…、なんだ?どうしたい。」
 もぞもぞ。体の方向を変えて、木場さんの方へと体を向ける。
「わ、こら、もぞもぞすんなよ。…なんだよ?」
 僕は木場さんを見上げると、にっこり微笑んでみた。
「去年のこと、覚えてます?」
「ん?」
「僕、年が明ける前に言ったんですよ。『来年も――ずっと――宜しくお願いします。』って。」
「…ああ、そうだったな。」
「それでね、僕嬉しいです。約束守ってくれたんだ、ッて。今年も、年越し一緒にいてくれて。」
「……ああ。」
 きゅ、と僕を包んでくれている腕が、強くなった。
 鐘の音が、また聞こえる。
「でも、それだけじゃ、ないんですよ。先輩。」
「…あぁ?」
 僕は悪戯っぽく笑う。
「先輩、あのとき僕にお年玉呉れましたよね?」
 一瞬の間の後、木場さんの顔が真っ赤になる。思い出したみたいだ。でも多分、僕も同じ顔になっているんだと思う。凄く、頬が熱い。
「……来年、は?」
 訊いてみたり。
 ごぉ……ん。鐘の音がこもって聞こえる。木場さんはそっぽを向くと、小さな声で呟いた。
「……おい、今何時だ…?」
 不思議に思ったけれど、袂から時計を取り出して見てみる。
「今ですか?…あ。十一時、五十九分です…?」
 なんだろう?木場さんは火鉢の隅に煙草を置くと、一つ咳払いをして僕の頬に手を寄せる。その手はひんやりとして、僕の火照った赤い頬にはとても気持ちが良かった。
「せんぱ…い?」
 その言葉が終わる前に、深い接吻で飲み込まれてしまう。優しいそれは、甘く、そして煙草の味がする。それは、木場さんの味。
「…ん、ふ……ッ…。」
 僕はふわふわと、とろけるような感覚に飲まれそうになり、素直にそれへ総てを任すことにした。
 ちゅ…。小さな音一つたてて、唇が離れる。ずいぶんと長く、そして優しい接吻。
「ふ…ぁ。」
 とろんとした目で、ふと握っていた時計を見やる。
 十二時を過ぎていた。木場さんもそれに気付いたようで、照れ隠しなのか怒ったような顔で呟く。
「……年越しのお年玉なら、文句ねぇだろ。」
 僕は、僕が思うとびっきりの笑顔で答えた。


「…お。おい、青木。袴の裾、ぐちゃぐちゃじゃねぇか。」
 僕を膝乗せたまま、火鉢の隅において置いた煙草をとろうと木場さんが腕を伸ばし様、言う。見ると、裾から下の白衣が覗いている。
「ありゃ…。すごいことになってます…。」
「ったく、ごそごそ動きやがるからだ。しょうがぁねェなぁ…。」
 片手に煙草を持ったまま、空いた方の手で僕の袴の裾をぱっぱと直してくれた。木場さんは、意外と世話好きなのだ。
 ちょうどその時。
「木場さん、青木さん、外の方でいま年越し蕎麦造ってるんですけど、如何ですかぁ〜?」
 陽気な声でがらりと障子が開かれる音がする。
 あの声は益田君だ。
 次の瞬間、僕がころりと転がされて木場さんの膝から落とされるのと、益田君が顔を覗かせるのとは同時だったように思う。
「あれ?なにやってんです?青木さん。」
 …余計なお世話だ。
「な、なんでもないです!お蕎麦ですか?戴きます!ねェ木場さん!」
「お…おぉ。んじゃよ、先に行っててくれ。着物の崩れ、直してから行くからよ。」
 はーい、と益田君は前髪を揺らしながら出ていった。僕は飛び起きると、頬を膨らませて木場さんを軽く睨んだ。
「な、なんだよ。」
「非道いじゃないですか!転がすなんて。」
 一瞬たじろいだ木場さんだったが、憮然とした面もちで立ち上がると、僕の乱れに乱れた着物を直しながら答えた。
「仕方ねぇだろ。あんな格好よ。…どう見たってアレだと、着物の裾を直してるんじゃなくってよ…。」
「じゃなくって?」
「…どう見ても、俺が襲ってるとして見えねぇだろ。」
 一瞬のタイムラグの後、爆笑して木場さんに怒られたことは言うまでもない。

 その後、みんなで年越し蕎麦を戴き、榎木津さんと木場さん、そして近所の氏子さん達との酒宴が開かれた。中禅寺さんに、僕は明日の朝に用を申しつけるから先に寝なさいと命を下され、鳥口君と敦子さん、奥様達と中禅寺さんの家に戻って座敷に床を延べて貰い、眠りについた。


 翌朝の僕の仕事は、中禅寺さんと一緒にご祈祷を手伝うことだった。…巫女として。参拝者の頭上に、幣という を束ねたものを振って祓うのだ。
「ふぁ〜…。結構大変なんですね。」
 四度目のお祓いの後、雅楽を演奏してくれた通いの人たちを休憩所である斎務の方へ案内してきて戻った僕は、中禅寺さんに訊いてみる。今日は儀式用に直衣を着込んでいる中禅寺さんは、烏帽子を取り、玉串を直しながら答える。
「意外と重労働だろう。座ったり立ったりだのが結構あるし、祈祷の最中はなにがあっても中断してはならないしね。」
 それは実感がこもっていた。
 外から時折、榎木津さんの奇声が聞こえてきたりしてきていたからだった。
「はァ…大変ですね。」
 僕も苦笑しながら答える。
「ああ、そうだ。青木君。今日は午後から知り合いの神主さんが、お供付きで儀式を手伝ってくださりに来られるんだ。そのときの段取りは、向こうの人が心得ているから、訊いておくと良い。」
 はあい。僕は返事をすると、休憩を貰い、外に出てみる。向こうから、榎木津さんの奇声が聞こえる。
 程良く繁盛している人波を縫って、その声のする方向へ行くと、騒ぎの中心人物である榎木津さん、木場さん、鳥口君、益田君、そして榎木津さんの他に、人がまだ二人いる。
「ああ、小芥子君!お勤めはもう終わりかい!?」
 榎木津さんが僕に気付いたようで、声を掛ける。揃って僕の方を見たその中に、驚いた声も混じっていた。
「あ、ああああ青木ッ?!」
「青木さんッ?!」
 見ると驚いたことに、仕事帰りであろう背広姿の木下と、警官の制服を着込んだ河原崎さんがこちらを見て驚いていた。
「あ…木下、来てくれたんだ。河原崎さんもお久しぶりです。」
 もう、今更恥ずかしがっていても仕方ない。僕は開き直って、にこやかに応答する。
「ハッ、木下さんに偶然お会いして、付いてきてしまったのでありますが、それよりもっ!青木さん?ななな、何故そのようなお召し物をっ?」
「海よりも深く、山よりも高い、深遠なる事情があってね。」
 取り合えづ誤魔化してみた。

 午後になり、僕は神社の前の掃除をしていると、突然懐かしい声が振ってきた。
「え…、ちい兄さま?」
 え。驚いて振り向くと、そこには人の良さそうな穏やかな笑みをたたえた白い山羊ひげの老神主と、細帯の着物を着込んだ少年のような少女、たしかみたことがる、妹の朋友楢山彬嬢だ、そして、我が妹である文ちゃんがいた。
「な…あ…こ……ッ?」
 なんで、文ちゃんがここにっ?!!
 あまりのことに声も出せす、ただパクパクと口を動かしていた僕の背後から、中禅寺さんの声が聞こえた。
「ようこそ、ご足労願いましてすみません。どうぞ、こちらへ。」
 老神主は人の良さそうな笑みをこぼして返答する。
「いえいえ、構いませんよ。それよりもこちらの娘さんは、どちらの方ですかな?…そっくりですなあ」
 文ちゃんの方を指しながら、僕のことを訊いている。
「おっ!本当だ!見てごらん!この子、小芥子君にそっくりじゃないかッ!」
 榎木津さんも楢山嬢を巻き込んで大はしゃぎしている。あああ、そんな問題じゃないよう!中禅寺さんは済ました顔でさらりと言う。
「ああ、どうやら縁は異なモノで。ご兄妹のようですよ。青木君、君の妹さんのご奉仕している神社はこちらだったのか。」
 こちらだったのか、じゃあないですよ!中禅寺さんは老神主さんを案内して行ってしまったので、僕等は取り残されてしまった。


「と…取り合えづ、社務所の方に行こうか…。」
「吃驚したぁ。ちい兄さまがいる上に、そんな格好なんだもの。」
 文ちゃんと楢山嬢に、ことの経緯を話すと、それはもう大笑いしてくださった。あああもう。
「…そう言う趣味かと。納得しちゃいそうになりました…。」
 楢山嬢も笑いを噛み殺しながら、言ってくださる。
「勘弁してよぉ。しょうがないんだから。」
「わはは、大丈夫だ。今まで知り合い以外誰も見破っていないぞ、小芥子君の正体はッ!」
 榎木津さんがバンバンと僕の背を叩いて笑う。
「そうなんですかァ。ま、妹と同じ顔してるんだから、ね。…あ、すみません。ちい兄さま、こちらどなた?」
 コロコロ、と笑う文ちゃんも確かに僕と同じ格好僕と同じ顔をしている。言われて、僕が紹介する前に榎木津さん自身が自己紹介をする。

 今年も大変な年になりそうだな、と冬晴れの空を見上げて、僕は苦笑した。



                                                                 end.

Afterword

すみません、まあ。おはなしってことで。かわいそうなぶんぞう。
京極堂だけが穿いていた水色の袴は(現在)三級神職のモノです。年功序列で級が上がってゆくので、中禅寺氏もこれでしょう。









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