予定外の出来事

 田舎の鉄道は、非常にのんびりとしている。ある事件の追跡調査で、俺と青木は田舎の寒村まで出向いた。

 事件自体は、難航することも無く着実にその真実が晒されていった。
 あれよあれよと言う間に調査が終り、駐在所から所轄署まで連絡を取り、電送でその旨をおくってしまったら、後は暇になった。
 せっかくなので、と駐在さんが送ると言うのを辞退し、ゆっくり鉄道に乗って二人で所轄署まで帰ることにした。
 山の夕日はもう、落ちて行くところで、俺ら二人は、夕日の差込む駅の待合室でただ静かに列車を待っていた。予定ならば、一本前の電車に乗るはずだったが、意外にも山道に時間を取られ、3時間後という列車をかれこれ1時間待っている。
 駅は無人で、静寂だけがあった。
 昭和19年3月の、どこかの神社の宵祭りのポスターが剥がれかけていた。

 青木は、俺の肩に寄りかかり、小さな寝息を立てて眠っている。俺は、その小さな接点に温もりを求め、神経を肩に寄せて静かに待っている。そう、なにかを確かに俺は待っていた。
 ことり。
 かすかに屋根の軒先から、音がした。その音に、俺は顔を上げた。窓の向こうに、軒先から一羽、鳥が夕日に向かい飛んでいった。
「…ん」
 俺が顔を上げた拍子に、動いたのが伝わったのか、青木が目を覚ました。
「起きたか?」
「ん…。もう電車、来るのか?」
「いや、まだだ」
「そう」
 それだけの言葉を交わし、また俺らは静寂の時間をたゆたった。日が落ちてゆき、夜の闇が降りてくる。そんな中間地点に、俺達はいた。 
 その昼と夜との境目は、俺達はぴったりだ。
 どっちつかずの、平行線。


 都会に憧れて、婚約者を田舎において飛び出した娘が、冷たい都会のビルで死んだ。田舎の婚約者が、やっと探し当てた時、娘は同郷の情夫と床にいた。口論の末、娘が放った言葉通りに、情夫は婚約者を刺した。娘は、露見を恐れた同床異夢の情夫に刺されて死んだ。
 それだけの事だった。
 それは立派な刑事事件となり、その情夫探しは警察官の仕事になった。調査の為に、娘の母親・婚約者の両親・情夫の父親にあいに来たのが、今回の調査だった。
 娘の母親は言った。
「ええ、あの子は何時だって上ばっかりを見て、宝物を探していました。すぐ傍らに、お金では買えない宝物がずっとあったのに。」
 思えば、その言葉を聞いたのを境に、青木の口数が減った。

 俺が、青木を好きだって言うことは、恐らく青木は知っている。でも青木が微笑みかけ、見つめるのは、別の人間だということは、俺は知っている。
 そして、俺が知っているということも、青木は知っている。過去に幾度も、俺は青木の相談に乗って、頼りになる友人を演じてきたのだ。
 でも。
 俺には、その言葉を素直に受け止め、その言葉を振りかざして得意になる資格がない。
 なぜなら、俺はただ、見ているだけだからだ。
 意気地が無くて、今の位置を崩壊させることをただ恐れ、それでも欲望は捨てきれず、少しだけの優越感を味わえる位置で妥協している。
 いや。
 本当は妥協なんかしていない。ただ、意気地が無いから、妥協していると思いこんでいるだけだ。 


「きのした。」
 不意に呼ばれた。
「ん、なんだ?」
 振り向くと、黒目がちの大きな瞳をこっちにむけて、小首を傾げ、酷く生真面目にこちらを見つめる青木がいた。
 どくり、と心が泡立った。
「もう…木場さんのこと、諦めることにした。」
「…え?」
 もう一度、あわだつ。
「可能性ばっかり夢見てさ、上ばっかり見てちゃ駄目なんだよな。そう思うことにした。」
 青木は俺の目を見て、そう言った。その言葉は、俺の心に突き刺さる。すこしでもいいから、俺に向けてそのあどけない、桜色の頬を染めた微笑を自分に向けて欲しいと願った。その笑みを自分だけのものにしたいと、何時だって願っていた。
 ただ、願っただけだ。
 変化を望んでいるくせに、結局望むだけが、全てだった。
 全て、青木と俺がオーバーラップする。
 でも、それは駄目だ。
 それじゃ駄目なんだ。
「…そんなの、は、駄目だろ。」
「え?」
 俺は、言葉が口から溢れ出て来るのを、感じた。それは、せき止めることなく、心からあふれ出た。
「夢見るだけじゃ駄目なのは当たり前だ。上向いてたって良いじゃないか。ただ、変化が欲しいんなら、自分から変わんなきゃ、自分から取らなきゃ駄目だろ。…お前が、幸せにならなきゃ駄目だ。お前の幸せが、俺は欲しいんだ。」
 誰に言っているのかさえ、分からないくらい混乱した。
 一気に吐き出してしまった。青木が、きょとんとした目でこちらを見ている。
 途端に、気まずくなった。
「…あ。すま…ん。」
 俺は恥ずかしくなって俯いた。
 何を、言っているのだ。そっくりそのまま、俺の言葉は、俺自身に投げかけられるべき言葉だ。
 なのにぬけぬけと、言ってしまった。しかも便乗して何て事を。こめかみが、痛くなった。
「すまん…忘れて、くれ。…文さん?」
 ふるふる、と、青木は少し震えていた。
「あ…ぶ」
 もう一度、言葉を掛けようとして、それは途中で止まった。
 ばちん!
 鄙びた駅の待合室に、乾いた音が響いた。
 俺は、何が起こったか分からず、ただ、方頬の痛さが熱さに変わって行くのを、惚けたように口を開けて、感じた。

「木下の、馬鹿!」
 形の良い柳眉を逆立て、青木は俺にそう吐き捨てた。
「…すまん。」
 俺の言葉に怒っているんだろう。なにも、俺みたいな奴に説教されるような筋合いは、青木には無いだろう。
 けれど青木の口から出た言葉は、意外なものだった。
「なんで、謝るのさ!」
「え…?」
「なんで、木下が謝るんだよ!なんでだよ!木下、おまえ言ってくれた言葉は嘘か?!僕が幸せになったら、木下が幸せなんだろ!?それ、嘘なのか!」
 あまりの剣幕で巻く立てられ、俺はたじろいだ。
「い…いや。」
 そう答えるだけで精一杯だったが、改めて言われると、恥ずかしくなってくる。
「だったら!」
 青木はそう言うと、体ごと俺にぶつかって細い腕を俺の体に回した。
「あ…あお?」
「だったら、傍にいさせて。」
 俺の胸に顔をうずめたまま、呟いた。
「いつも僕、先輩ばっかり見てた。でも、いつも僕を見ててくれたのは、木下だった。だから僕は、いつも木下に甘えてたんだ。」
 どくり、どくりと自分の心音がうるさい。
「僕が幸せになるのは木下と一緒にいる事だって、さっき気付いたんだよ。」
 そう言うと、青木は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。それは、夕日の紅に融けるような暖かく愛しい微笑で。
「僕を幸せにしたら、木下が幸せになるんだろ?…ね、幸せになろうよ。」
 そんな事を言って微笑む青木を、俺はものも言わず強く抱きしめ、夕暮れの光で赤く染まった青木の唇に、俺は些か性急に影を落とした。



 宵闇の中を、列車は走る。閑散とした車内で、俺達二人は黙っていた。
「ね…ぇ。」
 暗闇の車窓を眺めていた青木が、こちらを向いた。
「なに、文さん?」
「さっきさ。」
「…ああ。」
「木下、上を見てても良いっていったよね?」
「え…ああ…」
「だったら、僕が木場先輩を追いかけてても、木下許してくれるんだよね?」
 そ、っと俺の手を握り締める。俺はそれだけでも心拍数が上がるって言うのに。
 しかし、今の言葉は、一体。
「…あ?」
 そう言う青木は、にっこりと子悪魔のような微笑みで俺を見つめた。
「木下って優しいから、大好き。」
 そんな愛らしい微笑をこちらに向けて、そんな非常な言葉を掛けるのか。俺は、コレからの人生が多難であると言うことを悟った。




 ぴーっと、汽笛が鳴った。
 列車の汽笛は物悲しい音だ、と俺は27年の人生で、一番強く感じた。


                                                                end.

Afterword

まぁ一応、予定外の出来事。電車に乗り遅れたのも、木下の結果的告白ハッピー終焉も。
ヘタレ木下、幸せ編。でも青木の子惡魔っぷりに翻弄されるのは一緒。
木下、浮気容認しちゃってるよ…。絶対に尻に引かれるタイプと見た。ああ…青木が小悪魔だ…。









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