温度

「っくしゅん!…あー」
 くしゃみをすると、どうして意味のない『あー』だの『うー』だの言ってしまうんだろう。
 青木はぼんやり、そんな事を考えた。くしゃみの衝撃で、書類に鉛筆の直線が芸術的に付いていた。
「なんだボウズ、寒みいのか?」
 向かいの木場が顔を上げて訊く。
「ん…ちょっと。今日なんか寒くないですか」
「まあ雨降ってるしな」
 ぎい、と椅子を鳴らして木場は窓の外にそぼ降る秋雨を眺め、立ち上がった。斜に銜えた煙草から、細く緩く紫煙がたなびく。
 木場や青木の担当外の捜査で、刑事部屋の人間の大半が出払っており、いつものざわめきも少ない。
「もう十月ですしね」
 木場が立ち上がり、机沿いに自分のところへ歩いてくるのを少し不思議そうに見ながら、青木は余り意味のない合いの手を出す。
「だんだん寒くなんなあ」
 木場は言いながら、着ていた背広を手早く脱ぎ、無造作に青木へ放った。
「わ」
 ちょうどスッポリ、青木の頭から被さる。
 ふわりと煙草の香りに交じる、木場の香りがして。そして、木場の体温が青木を包んで。出し抜けに心が躍った青木は、自分自身に吃驚した。
 ぷは。と、慌てて青木は頭を出して木場を見やった。
「それ着てろ。風邪引かれてうつされたら、堪んねえからな」
 そのまま木場は歩いていった。
「え、先輩…ど、何處行くんです?」
 便所だ便所。
 ひらひらと掌を鷹揚に降った木場は、振り返らずに出て行った。
 紫煙が、ひっそりと霧散していく。
 木場の大きな背広には、彼のぬくもりが残っていた。その暖かさに包まれて、青木はその温度を逃がさないよう、きゅ、っと背広の前をかき合わせた。
「やっさしいじゃねえの、木場ァ」
「あいつ、照れてやんのなあ」
「機嫌良いみたいッスねえ今日は」
「青木、見返りの要求に気をつけろよー」
 たまたま居合わせた刑事らが、口々に軽口を叩く。
「えへへ…気をつけます」
 きい、と刑事らの方へ椅子ごと向いた拍子に、ふわり、と煙草の残り香が青木の鼻腔を擽り、暖かさをより感じた。
 そんな自分が一寸可笑しくて。
 気恥ずかしそうに青木は、苦笑いしながら鼻を擦った。そして、先ほどつけてしまった鉛筆の線を、勢いよく消した。

 窓の外は、依然霧雨がそぼ降っていたが、西の空が明るかった。




                                                             end.

Afterword

豊島署時代の片思い期間と脳内設定。メモと対になるようなならないような。
雨の日の寒い日。1分程の日常を切り取ってみたかった、ッて感じで。木場は親切をしたら、照れくさくなってその場にいられないで居て欲しいです。
…うちの捜査一課刑事さん達は、木場の事をいったいなんだと思ってんでしょうか…。









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