椅子

「うお…っと」
 日だまりの休憩室のソファに何げなく座ろうとした木場は、先客の存在に驚いた。


 たまたま別件で外に出ていた木場は、木枯らしの冬空から帰ってきた刑事部屋に青木のいない事を気付いた。
「んだあ…?あのガキどこ行きやがった」
 外套を脱ぎながら誰に訊くともなく呟いたが、傍らにいた同僚刑事が聞いていたらしく、脳天気そうな口調で返してきた。
「ああ、青木かあ。見てねえな、つうかお前にくっついてたんじゃねえのか」
「俺が外行ってくるから、あいつに大人しく下調べしとけっつっといたんだよ、ったく」
 鼻を鳴らして木場はしかめっ面をした。
 それは同僚刑事に、木場らがそう見られていた事に対しての一種の気恥ずかしさもあったからだ。
「まあマジメーな青木ちゃんの事ったしさあ、調べ物でもしてんじゃねえの?ああ、でもなあもしかして、どっかで誑かされてたりして。ほらさあ、青木ちゃんが前にいた警務課の加賀課長いるじゃん、あの人青木ちゃんの事ネコっ可愛がりして…うわあ、やべえ、岩川に睨まれた」
 陽気に喋るだけ喋って、うるさかったのを近くにいた刑事に咎められた同僚は舌を出して首をすくめた。
 木場はそんな饒舌の刑事を見捨てて、ぶらりと資料室へ足を向ける。
 
 いねえじゃねえか。
 先程の同僚の話を聴く訳ではないが、木場は青木の姿が見えない事に少し落胆し、そしてそんな自分に驚いた。
 くだらねえな、俺も。
 心の中で毒づいた木場は速攻頭を切り換えて仕事をする気にもなれず、そんな自分に辟易しながら、頭を掻き掻き傍らの休憩室へ入った。
 一服して、それから刑事部屋に戻ろうと。


 日だまりの休憩室は、思いの外暖かな冬の日が溢れていた。
 木場が入ってみると、昼下がりの半端な時間に誰もいるはずもない。
 窓際のソファへと目を移した。
 ソファセットの机の上には色々な資料や本が山積みに散乱して、誰かがそこで仕事をしていたらしい。ソファに座っている人影もないのでもういないのだろう。
 誰だよ、かたづけとけよな。
 そう思いながら、ソファに陣取ろうと木場は、ちょうど入り口に背を向けた形に置いてある方のソファに座ろうとして。

 さがしものにめぐりあった。



 ソファの上で青木が丸くなって寝ている。 
 窓から柔らかくさしこむ日だまりの中で、子犬のように丸くなって、あどけない寝顔は少しの緊張が薄く降ろされていた。
 まるで、留守番を命じられ、緊張しながら寝ている子犬のようだ。
 何故か木場はそう思った。
 ん…と小さな声が洩れ、それと共に眉が僅かに顰められた。
「なんでぇ…」
 ソファの影で見えなかった。確認せずにソファに身を投げないで良かった。
 白い光の中で、青木の艶ある真っ直ぐの黒髪が綺麗に光り、木場は少し目を細めた。
 木場が目線をずらした。散乱した資料の山を眺めて溜め息をつく。その口元は口角が上がっているのは木場も自覚していた。
 もう一度青木の寝顔を眺めて、青木の頭近くのソファ前に腰を落ち着ける。
 床は陽に暖まっていて冷たくはなかった。
 机の下に移動させられていた灰皿を発見する。青木は使わないから退かせてあるんだろう、そう思うと少し可笑しかった。灰皿を寄せて煙草に火をつける。
 深く一服吸い、高い天井に向いて白い煙を吐き出す。
 陽の光で白く見えるこの部屋が、より一層、白に包まれるような気がした。
 
 ソファの座る部分に身を逸らして木場は青木を眺めた。
 規則正しい、小さな吐息が幽かに木場の耳を擽る。
 資料作成の合間に眠ってしまったからであろう、その童顔にも少し仕事の厳しさを覗かせている。胸元に握られた手には、鉛筆を持ったままである。散乱した書類を見て、木場に見せたくはなかった陰ながら努力をしていたのかも知れない、と木場は何とはなしに思い浮かび、小さく笑いが零れた。
「…頑張ってやがるじゃねえか」
 木場は呟きながら、くしゃりと優しく青木の頭を撫でた。
 日に当たった青木のすべらかで綺麗な黒髪の手触りは陽に照らされて暖かく、木場は心地良かった。だから、しばらく撫ぜる手を止めなかった。
 そうしたら。
「ん…」
 まるで安心したかのように青木の寝顔が微笑んだ。
 ふんわりと、嬉しそうに。
 少し驚いた木場は一瞬撫ぜるその手を止めたが、すう…と再び眠りに落ちて行く青木を見て、小さな溜め息をつく。
 そして、その溜め息が全て出終わった時、気付いた。
 ああ、俺ぁこの顔が見たくて探してたって事か。
 そう考えると、我ながら恥ずかしくて木場は青木から目を反らし、天井に向かって手に持っていた煙草を吸い、眉間にありったけの皺を寄せた渋い顔で吐き出す。煙は大きく広がり、だんだんと広がって白い空間に消えていく樣を、木場はただ無言で、苦虫を噛み潰したような顔で睨んでいた。
 その顔は陽に照らされただけでもない赤みがさしている。
 ぎゅ、と力任せに煙草を揉み消した。
 もう一度、青木を眺める。
 幼い童顔が刑事の顔を覗かせている、そんな不思議な顔が眠っている。
 たぶん、この後起きれば刑事の顔に。
 そして、事件が終われば青い真面目な青年の顔に。
 さらに、木場と二人でいる時にはあどけなく愛しい子供のような顔に。
 鮮やかな万華鏡のように、この童顔は色んな顔を魅せる。
 その全てが木場にとっては、愛しいのだろう。そう木場は半ば開き直ったように納得した。癪だが、仕方がない。

 ちきしょう…俺も深みに嵌ってらぁな。
 木場はそう自分に毒づくと、青木の頸筋に顔を埋めた。
 そっと、起こさないように近づけた頬に青木の頬の暖かさを感じ、細くさらりとした髪が木場の頬を撫ぜた。陽の匂いがして、木場は目を細めた。
 青木の鼓動は木場をどこか安心させた。
 もう一度、青木の髪を撫ぜながら、木場はその髪に唇を落とす。
 頬にも触れるか触れないかの接吻を落とした。

 今更ながら気恥ずかしくなった木場は、頭を掻いて立ち上がった。
 煙草一服分の時間はもうとっくに過ぎていた。
 




 少しだけ傾いた日だまりの中、青木が目を覚ますと、自分の体がほんのり暖かい事にまず気付いた。
「…ん」
 身じろぎして仰向けになると、体にかけられた何かが落ちそうになっている。
 ふわり、と馴染みの深い香りが薫った。あの煙草だ。
 それはある人物を喚起させる香りで、青木はゆっくりと覚醒して行く自分を感じる。
「…木場さん」
 香りが導く人物の名を呟いて、もそもそと起きあがる。
 青木に掛けられていたのは濃灰色の大きな背広だった。
 きばさんのだ。
 青木は心の中で呟き、そして破顔一笑、微笑んだ。
 幸せそうに、恥ずかしそうに、そして嬉しそうに。

 木場に追いつきたくて、でも負担にはなりたくなく。
 だから刑事部屋でなく敢えてここで仕事を頑張っていた。
 木場さんに見られちゃったのは恥ずかしいけど、でも嬉しいや。
 青木は背広を軽く抱きしめ、頬に手を当てて、こてんと首を傾げた。
 頬が熱いのは、陽に当たっただけじゃない事は判っている。

 ゆるゆると立ち上がる。そして、青木はある事に気付く。
 散乱していたはずの書類が纏めてあった。
 乱暴で大雑把ではあるが、それだからこそ誰がやったのか瞭然であったのだ。
 煙草の残り香と大きな背広と、極めつけの書類の纏め方。
 あのひとらしいや。
 青木は笑って少し大きめの頭を掻き、刑事部屋へと書類を抱えて出て行った。
 大きな木場の背広を、自分の背広の上に着込んで。。


 刑事部屋の扉をくぐる時には、年寄りも若く見える童顔は刑事の顔になっていた。
 入りしな、木場の大きなくしゃみが聞こえてきた。




                                                             end.

Afterword

豊島署時代の双方片思い期間と脳内設定。いや特に片思い時期でもCP成立後でも良いんですけど、木場も青木もお互いの事が判ってながら、ボタン掛け違えてるのもまた一興。この事件が終わったら、文蔵の寮でささやかな酒宴〜。
えーと、木場の執着心と文蔵の成長、と言う感じで。たぶん文蔵は色んな顔持ってるんだよ。それが木場にとって可愛い魅力である訳ですよ(笑)!あと何だかんだで青木が傍にいて欲しい木場。(けど事件でいつも怪我とかるから、怪我させたくなくて置いてきぼりにするけど結局ぶっちゃけ傍にいないと寂しい、素直でない木場は基本だ)そんでもって木場に追いつきたくて陰日向なく一生懸命な文蔵もあんまり「一生懸命やってます!」はみせたくない。でもすぐばれるけど。(子犬が一生懸命埋めたおもちゃが丸見え、みたいな可愛さ)そんな感じであったりしたら萌えるなあ。
まあ、結局はアマアマで。木場さん整理とかは絶対するから!そして青木は素で背広の上に嬉しそうに着ちゃうから!刑事部屋の同僚にからかわれちゃうから!刑事部屋のマスコット・文蔵。
(警務課は俺設定・豊島の刑事になる前の青木の配属先で。そこの加賀警務課長にネコッ可愛がり(一方通行)されてた設定。戦争で亡くなった息子にそっくりとかだったら泣ける)









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