街角

 はあ、と青木は身を竦ませ、かじかむ手に息を掛けた。
 曇天の夜空は冷え冷えとして寒さが空から降ってくるようだった。
 12月も末の事、警視庁からの帰り道は微昏い道で、向こう側の大通りの明るさが眩しく見えた。近道を歩いていたので、他に人影もない。
 マフラーを掛け直す。自然、早足になった。
「なんでえ、寒いのか?」
 青木のすぐ背後から、木場が声を掛ける。
 くるりとマフラーをなびかせて振り向いた青木の頬は寒さのためか紅潮して、そして鼻の頭まで赤くさせている。その様が童顔の青木をより少年のように見せて木場は苦笑した。
 そんな彼の笑いに、青木はきょとんとして益々子供じみた顔で木場を覗き込む。
「先輩?どうかしました」
 息が白い。
「ガキみてえだなあ。鼻まで赤くしやがって」
「な、なんです。もう…いきなり。しょうがないですよ、寒いんですもん」
 むう、と少し口を尖らせ、くくみ声で抗議する青木が馬鹿にかわいくて、木場はくしゃくしゃ、と青木の少し大きな頭を撫ぜた。冬の夜の気温に冷やされた青木の髪は冷たかったが、木場はかえって心地良かった。
「さあ、早く帰りましょう」
 寒いんですから。
 そう抗議するように青木は言った後、ほんわりと微笑んだ。
 

 街の盛り場という盛り場、店という店がデコレーションされた電飾で彩られている。
「うわあ。今日はまた一段とすごいですねえ」
 青木は歓声を上げた。
「今日と明日が本番だからなあ」
 木場もまたその溢れる光の渦に少し目を細めて街を眺めた。
 クリスマスイブの今日は、街が活気に溢れている。
 だから普段は通らない大通りにまで足を運んで、その町並みを眺めて夕飯を買い、青木の下宿で冬の一夜を過ごそうという意見が一致したのだ。華やかな色彩の氾濫した街は、どこか木場をうきうきとさせ、青木もまた物珍しそうにあちこちを楽しげに微笑みながら歩いている。
 ある店先で、真っ白な綿の雪がふわふわと浮いた大きなクリスマスツリーに、銀の星が煌めいている。その装飾の見事さに、青木は足をゆるめた。
「大きいですね」
 青木が木場に話しかけたその時、ちょうど隣を歩いていた2人の男女が声を上げた。
「綺麗やわあ、ねえ貴方これええわあ」
「どらどら…こら豪勢やな子供らぁも喜びよるやろな」
「あらややわ、えらいこっちゃなあ。…なあなあ、これなんぼすると思う?」
「なんぼや?」
「3千円やてえ。どえらい大金やなあ」
「なんやそれっくらいかいな、子供の喜びよる顔がそないでええねやら、ええやないか」
 ツリーを眺めながら彼らは話す。
 と、ちょうどその時、子供連れの紳士が店から店員を伴って外へやって来、男女が指さして話していた件のツリーを指して「この大きさのをくれたまえ」とやっていた。子供は嬉しそうに幸せそうにそのツリーを眺めて笑っていた。
「な、見てみい。あのおっさん子供喜ばしよんで」
「なあ。偉い功徳やなあ」
 自分らの予言が当たり、満足そうに喋るだけ喋ってその男女は行ってしまった。
 結局自分らは買わないらしい。
 なぜかその会話を最後まで効いてしまった木場と青木は、その彼らが可笑しくて、そして自分らが可笑しくて苦笑しあった。
 菓子屋の前にきた。ふんわりと甘い匂いが漂っている。
「あ、先輩」
「なんだ」
「ケーキですよケーキ」
 ショウ・ウインドウに並べられた、大きくて豪華なクリスマスケーキが幾つも幾つも煌めいて、まるで宝物のように飾られていた。その傍らには一つ数千円の値札。
 木場はケーキの細工の緻密さに嘆息した。職人の入魂の作品である。
 そして嬉しそうにショウウウインドウを眺める青木を見て、少しからかいたくなった。
「なんだ、俺ぁ安月給だからな。そんな高えの買ってやれねえぞ、坊や」
「ぼ、ぼうやって!子供扱いしないでくださいよ」
 ぶう、と真っ赤な頬を膨らませて青木が抗議するが、すぐにその顔が緩む。
 ケーキの甘い匂いが青木の空腹を思い出させたからだ。
「ああ、おなか減って来ちゃいました。早くなんか買って帰りましょう」
 そんな青木をニヤニヤ眺めていた木場も頷く。
「クソガキめ。しょうがねえなあ、一切れだったら買ってやるよ」
「え?良いんですか?」
「こういう日でもなけりゃあ、ケーキなんて喰わねえからな」
 言いつつも、確かにどこか心の奥でウキウキとしている事に、木場は我ながら不思議でもあった。
 
「ああ、寒いなあ…」
 マーケットで総菜を買い、青木は嬉しそうにケーキの入った匣を持って歩く。
 電車に乗って水道橋の、青木の下宿へと急ぐ道で青木はまた呟いた。
「手前、東北の出じゃねえのかよ」
「東北出身って言っても、寒いものは寒いですよ」
 からかい気味に掛けた言葉に生真面目に返す青木を、木場は見詰めた。
 電信柱の灯の下、淡い白熱灯の光に冷たい冬の夜に浮かぶ青木は、鼻の頭を赤くして、マフラーに埋めて小首を傾げていた。
 木場は苦笑して、立ち止まる。すこし辺りを見遣って、人気のない事を確認する。
「青木、ちょっと来い」
「はい?」
 素直に寄って来た青木をそのまま、ぎゅっと強く抱き留めてやる。
「わわわわ?」
 吃驚して混乱する青木は、それでもケーキだけは大事に抱えたままである。
「さみいさみいって鼻まで赤くしやがって。…これでも寒いか」
 もぞもぞ抵抗していた青木は、その言葉でぴたりと止まり。
「…試してみます」
 ぽつりと呟いて、青木は少し体を預けた。俯向いてマフラーに埋めた中で吐いた息は暖かく青木の顔に掛かったが、それ以上に木場の腕が暖かった。
 どれくらいの時間が経ったのか。
 不意に、人がやってくる気配がした。
 慌てて二人は離れる。
 わいわいと数人の若者が通っていった。

 彼らが通り抜けてしまい、再び静寂が戻った。
 けれど、思わぬ闖入者らが登場し退場して行く間に、木場はなんだか自分が気恥ずかしくて、今更ながら頬が火照ってきた。
 なにやってんだ俺ぁ。
「せん、ぱい」
 下を向いていた青木が、そのまま呼んだ。
「…おう」
 その声にゆっくりと上げられた顔は、鼻の頭どころか顔中真っ赤で、木場は少なからずどきりとする。
「あの、その。さむく、なくなったです…」
 真っ赤な顔が、気恥ずかしげにそれでも嬉しそうに言った。
「そう、か。良かったじゃねえか」
 木場が青木から目を反らしたのは、木場自身の動悸が大きくなったからだ。
 その動悸を踏ん切るようにして、青木の手を掴んで木場は歩き出した。
「冷めねえうちに、早く帰るぞ」
 は、はい!青木の本当に幸せそうな声を聴いて、木場はガキにクリスマスのプレゼントを呉れてやっだだけだ、と心の中で訊いてもいない弁解をした。



 身を切るような冬の夜の空気は、二人の頬にとって心地良い冷たさと感じられた。



                                                             end.

Afterword

く、くりすますー!クリスマスは戦前からあったし、まあ良いかと思って。えーと、木場青はインドア派という事で。二人で晩酌して、ケーキでも戴いて下さい。
ケーキやツリーの値段ですが、昭和22年の本(初版)にそう書いてありましたので実際(28年)はもうちょっと違うかも。
木場がいつもより積極的なのはクリスマスの魔法に掛かってたのさ…。









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