階段

 榎木津ビルヂングの階段を登る。
 ぱん、ぱん、ぱん、とリズミカルに響くのは和寅の草履だ。
 益田は肩に掛けた荷物を掛け直し、目の前の足を見上げる。


「和寅さあん、重いですよ」
「文句言わないでキリキリ歩く!」
 秋晴れの神田の街に、ぼやく益田を和寅が叱咤する。
「いくら僕が荷物持ちを志願したからってですねえ、こんなに買い出しする事ないじゃないですか」
 益田の両手には、がっつり大荷物が抱えられている。
 銀座のデパート、料品店。八百屋、魚屋、乾物屋。雑貨屋も電器屋にも行った。
 和寅の袷を作りに呉服屋にも行った。奇矯な主人に似たのか、意外に着道楽だ。
 いつもは何日かに分けていくところを、今日は益田という荷物持ちが居るので、和寅はご機嫌で方々を巡回った。
 結果、巡回る度に益田の手には荷物が増えた。
「だから言ったろう、どうせ君が荷物持ちしてくれんなら色々巡回るから覚悟しろよ、ッてねえ」
 こちらも風呂敷包みを抱えた和寅はふふん、と男にしては紅い朱唇を少しつきだして得意げに笑った。振り返る和寅の小袖がふわりと曲線を描いた。

 こんな猫、居たなあ。
 益田はふと思った。そして、思い当たる。
 そうか−寅はネコ科だ。
「さあ、早いとこ帰りますかね。晩ご飯の支度しなきゃあなんないんですから」
「あ、待って下さいよぉ」
 

 滑りの良い榎木津ビルヂングの扉は、少し重いが音もなく開く。
 明かり取りの窓から、ぞんがい光が入り明るい。ひんやりとした階段の踊り場に入った。
「はーあ、あとひとふんばり」
 和寅が自分に自分でカツを入れる。
 3階までの階段を上りきれば、我が巣の薔薇十字探偵社だ。
「うう…階段かあ」
 ウンザリした声で益田が根を上げつつ、荷物を持ち直した。
 そんな情けない顔の益田を、くくく、と鼻を鳴らして和寅は可笑しそうに覗いて、さっきの猫のような顔を見せた。

 和寅はいつも、書生服のような着物に袴で草履という出立である。
 薄黄色の小袖に合わせた黄緑の襦袢が目に鮮やかで、濃茶の仙台平の袴と粋に少し踵の出た濃鼠色がかった草履の鼻緒が、純白の足袋を引き立たせる。
 袴をつまんで持ち上げて、和寅は先に立って登る。
 ぱん、ぱん、と階段を草履で叩く音が響く。
 濃茶の袴からチラリと覗く白い足。
 ふとそれが目に止まった益田は、声もなく嘆息した。
 階段を上る動きで、さわさわと袴が揺れて足が見え隠れする。

 いつも隠れて、日に当たることのない、和寅の白い足。
 白い割には脛も綺麗だと気付いた益田は、余計にくらりと来た。

 夜陰に浮かぶ白い足って言うのも、ドキドキするけど。
 この階段を上るときに見え隠れする脚、って色っぽいなあ。
 ああ、髪をかき上げるときの、着物の袖口から見える肘の辺りもいいなあ。
 そんなシチュエーションを考えてしまう益田である。

 その、足袋と袴の間のチラリと見える生足ってが良いんだよな。
 意外にもドキリと心が躍り、それを誤魔化すように、益田は若気た事をわざと考えた。


「…なんだい?」
 益田の視線に気付いたのか、和寅が上がりしなに振り向く。
「いえ別に」
 益田はそれを、とぼけて誤魔化した。
「そうかい」
 また登り始めた和寅に、一人靜かに若気て溜め息を吐く。


 これは、自分だけの秘密だ。


 ふと、気付いた。
 足先は白い足袋にくるまれて、その上は袴に覆われて、普段隠された白い脛が覗く。その内側には、紅い筋が枝のように広がっていた。
 ああ、無理したんだ。
 益田はそう感じ、少し眉を寄せた。
 昔の傷が紅く浮き上がるのは、和寅が無理をして脚を使った証拠だ。
 日焼けのない綺麗な色の細い足に、青年の筋の動きが締まって見えた。



「ねえ和寅さん」
 がちゃがちゃと探偵社の扉の鍵を開けている和寅に、益田は声を掛ける。
「んー?なんですよう」
 鍵を開け、扉を開いて中に入りながら、和寅は答える。
「それ置いたら、まず湿布しましょう」
 風呂敷つつみを応接テーブルに置いた和寅は、益田の意外に真面目な声で驚いたように振り向いた。
「へ…ああ本当だ。ふうん、熱持っちゃってるなあ…」
 ぺらりと袴を少し捲り確認した和寅は、ふうむと唸ってから、益田を気恥ずかしげに見た。
「え…っと、その、お願いしても…いいですかい…?」
 さりげなく足を気遣ってくれる益田に、感謝と照れくささをもって。
 どさりと応接テーブルの上に荷物を置いて和寅を見た益田は、しばらく声もなく見詰めてしまった。
 その恥じらいが、あんまりにも愛しかったから。
 
「い…やあ、袴から覗く足って色ッぽいなあ、なんて見てたら和寅さんの足、赤くなってたもんで…」
 ついつい、馬鹿みたいな事を言って誤魔化してしまう。
 頭を掻きながら、八重歯を見せて情けない顔で、益田は笑って顔を上げた。
「な、なに馬鹿な事…いってんですよぅ…!」
 瞬間、鼻白んだ和寅だったが、慌ててくるりと益田に背を向けて自室に駆け込んでいった。
 その背を向ける和寅の顔が真っ赤だったのを、めざとく益田は認めた。

 …なんだ。和寅さんてば、わかってるんだ。
 そう心で改めて呟いた益田も、頬がかあっと熱くなって。
 けけけ、と誤魔化すように笑う。そして台所へと盥に水を汲みに行った。
 帰りに薬箱を持って。


「かずとらさーん」
「…なんだい」
 少しの間ののち、和室の方から遠慮がちに答えが返ってくる。
「水汲んできましたから、早く足冷やしましょう」
 益田が少しの笑いを含んで、あやすように和室へと声を掛けた。

 …まったくもう。
 和寅が、困ったような顔で出てきた。
 表情のパターンの少ないこの青年は、袖口をぎゅっと握って神妙な顔をした。
 どさっ、といささか乱暴にソファに収まった。分かり易い照れ隠しである。
「しっかりきっちり労って下さいよう」
 太い眉根を寄せて機嫌悪そうに憎まれ口を叩いていても、顔は真っ赤だ。
 和寅の変化に気付いた益田は、内心安心して前髪を掻き上げる。
「喜んで大切にやらせてもらいますよ…って、今日大荷物運んだのは僕じゃないですかぁ。僕の方もねぎらって欲しいですよ…」
 答えている最中に、益田は情けない声を出す。
「君が荷物持ちに自ら立候補したんだろうが」
 ちろんと見遣り、和寅がやり返す。
「いいですよ、自分からご褒美貰いますから」
 恨めしそうに益田はぼやきながら、和寅のおとがいを捉えた。
「へえ…?」
 訝しげに和寅が疑問を発し終える間に、和寅の赤く柔らかな朱唇は薄い益田の唇の感触を感じる。
「ん、んッ…!」
 突然に唇が奪われ、吃驚した和寅は思わず、自身の顎を持つ益田の腕を掴んで、もう片方で益田の胸を押しやろうとした。
 そんな和寅の細やかなる抵抗も、益田に両手首を難なく纏めて戒められる。
 優しく柔らかい戒めなのに、どうしても和寅はその手を振り解こうとはしなかった。纏めて握られた益田の掌が、心地良い熱を孕んでいたからだ。
 さら、と和寅の頬に益田の前髪が掛かり、くすぐったいなぁ…と和寅は思う。
 そして、太い眉根が困ったようにハの字になると、和寅はそっと薄く朱唇を開きながら目を閉じた。

 唇が離れ。
 和寅がゆっくり目を開くと、にやけた益田の顔が目の前にあり。
「さ…さっさと早くやってくださいよう!」
 恥ずかしげに体を捩ってソファに倒れた和寅は、益田から顔を背けて、先刻よりも更に真っ赤に染まったその顔を袖で覆い、半ば捨て鉢に叫んだ。

 益田は可笑しそうに笑い、和寅の隣に座る。
 そして和寅の右脚を手にとって白足袋を脱がせ、自分の膝に置く。
 脚の白さと、疵痕の赤さに益田は少しだけ眉を顰めた。
 固く絞った布巾を脚の上に置いて冷やす。
「ねえ和寅さん」
「ん?」
「すぐ熱持っちゃうんですから、無理して今日色んなとこ巡回らなくても良かったじゃないスか」
 そりゃあ僕ぁ明日は追跡調査でお供出来ないけど。
 益田は少し諭すように言った。
 少し身じろぎして、袖の影から少しだけ顔を出した和寅は少し考えたように口を尖らせた後、口角をあげて悪戯っぽく笑った。
「だってねえ、たくさん巡回った方がそんだけ益田君と色んなとこ一緒に行けるじゃあないか」
 
 そんな事を言われたら。
 益田は返す軽口も霧散して、頬が赤くなるのを抑えられなかった。
 顔を隠した袖の影から、ちらりと見えた和寅の顔は幸せそうで。
 まるで幸せそうな猫のようだと、益田は思った。
「かっ、和寅さんっ!」
「うわあ!なん、こら!やめ…ッ!」
 満面の笑みで被さってきた益田に驚いた和寅は、目を白黒させて藻掻いた。
 濡れ布巾が藻掻く和寅の足首から、勢いよく飛んでいった。



                                                             end.

Afterword

ちょっとフェチ的な益田龍一探偵助手。着物の裾から覗く足ですよ!
和寅=寅=トラ=ネコ科=猫なぜか、猫っぽい雰囲気(くくく、って笑うとか)な感じがします。
まあ、この2人は真剣なのに、巫山戯ちゃったりして呆れたり恥ずかしがったりしてほしい。
最後の寅ちゃんの小悪魔的発言は、普通に何の含みなく言って欲しい。普段一緒にどこか行く事少なそうだから。で、曲解してしまう若者バカ者な益田であって欲しいなあ。そんでこの後益田は、記憶を見ちゃった榎さんに不機嫌にこき使われて欲しい。ただ一人その酷使の原因に気付かない、鈍い和寅が益田をからかって欲しいなあ。そんで「ひどいなあ和寅さん…」とか弱って欲しい。…何處まで行くのだこの妄想。
和寅の脚が悪いのは自分設定ですよ。一応。









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