荷物

「あら何よウ、湿気た面下げて」
 気怠そうな女主人の瞳が、猫の夜目のように暗がりでキラリと光った、気がした。






 昼の握り飯を食べる青木は、ニコニコと上機嫌である。
 その向かいで、木場は些か苦虫を噛み潰したような顔で番茶を啜っている。
「青木」
「はい?」
「…飯粒付いてるぞ、ボケ。っとに手前はどこまでガキだ」
 言いながら、きょとんとした青木の朱唇に触れ、米粒を取ってやる。
「あ、すみません」
 ふっくらとした青木の朱唇の柔らかさに、内心こころが躍ってしまう木場をさらに追い打ちがかかる。
 ぱくり。
 指先を青木はくわえる。少し照れくさそうにはにかんで、青木が上目で見てきた。
 その瞳に、木場は一瞬息が止まる。
「お、おい!?」
「ふぁ?…なんです?」
 慌てて手を引っ込め、木場は動揺した。
 と、同時に。たまたまそれを見ていた木下にも別な意味で衝撃が走っていたのだが、今回それは割愛する。
「そ…そんなに腹減ってやがんのか、このクソガキが」
「いいえ、お米は一粒でも大切にしなきゃいけませんから」
 青木は屈託なく微笑む。
 さすが欲しがりません勝つまではの時代に青春を送り、お米一粒につき七人の神様が宿る国の子、である。食料を大切にしない奴は大ッ嫌いだ。木場とて、地獄の南方戦線にバナナの木繁れるジャングルの密林の奥深く、やっとこさ掘り当てたタロイモを上官の関口と力無く囓りながら、ほかほか湯気の立つドンブリ飯の幻覚を見たことも、二度や三度ではない。
 いやいや、それに対してではないのだ、このガキは。
 木場は背中のむず痒いところに、どうしても手が届かないようなそんな気になる。
 それになにより、この笑顔が木場の鼓動を早くして、柄にもなく頬を染ませるのだ。
「けッ…どうでも良いから、いい加減その緩んだ面ァなんとかしやがれ」
 結果、木場は軽く顔を横に振り、殊更渋面で睨み付ける。
「だって嬉しいんですよ。久しぶりなんですからね。…それとも先輩、やっぱりイヤなんですか」
 そう言われて、木場は唸って黙る羽目になる。
 青木が上機嫌なわけは、木場が一番よく知っているからだ。
 
 今日は木場の家で、ゆっくり泊まって呑む約束をしたから。
 久しぶりに明日は揃って非番でもあるし、だからことさら青木にとっては嬉しいのだ。
 木場にとっても、それは嬉しいことであり、上機嫌になるわけも判るのだが。
 ここまで全速力で「嬉しい」を表現されると、気恥ずかしい。
 しっぽがあれば、振りちぎる勢いだ。


 それは、夕暮れ時にやってきた。
「よーお、坊や」
「うわあ!」
 気配がなかった。
 突然後ろから抱きすくめられ、立ってファイルを眺めていた青木は思わず身を硬くする。
「景気はどうだ?」
「…郷嶋さん」
 何度やられても、こればかりは驚く。
 青木は疲れた顔で振り向いた。
 会うたび会うたび、「はぐ」と称した西洋式挨拶−と郷嶋が言っていた−をされる青木だが、この行為自体は挨拶として認めるとしても、突然現れては抱きすくめられるので、苦手である。頻繁に一課を訪れては青木をからかいに来るので、郷嶋の闖入を一課の連中はもはや普通のこととして捉えているので、とくに特別な声は出ない。
「颯颯と放せコラ」
 ただ一人、木場が噛みつくくらいである。
「なんだ木場羨ましいのか」
「羨ましかねえよボケ」
「やってやろうか」
「え、してほしいんですかこの人に。先輩」
「なに言ってんだてめえらは」
 苛立つ木場を、郷嶋は可笑しそうに眺めた。
「青木、お前に客だよ」
「え?」
「客だあ?」
 こんな夕暮れ、定時も近いのに誰だ。
「青木さーん!」
 青木が捜査一課の扉を見ると、若者二人が手を振っていた。
「鳥口君に…益田君!」
 郷嶋の腕をほどいて、青木は二人の所へ近づく。
「青木さん、おつとめご苦労さんです」
「でぇす」
 へらへらと笑う二人は、揃って敬礼を青木に向ける。
 部屋に入ってこないのは、一応部外者なので外にいますよ、と言うポーズらしい。
「どうしたんですか?…ていうか、なんで郷嶋さんまで来るんです」
「いやですねえ、僕らこのおじ…お兄さんに玄関で捕まったんですよ」
「正確に言えば、捕まったのは明らかに不審者的雰囲気を醸し出してる、益田君ですけどねえ」
 鳥口が可笑しそうにガハハと笑った。
「酷いなあ鳥口君、善良な一般市民捕まえて」
「警視庁前でちょろちょろしてる探偵助手のどこが、善良な一般市民だよ。しかも大磯の時に見た顔じゃねえか、余計怪しい」
「で、捕まったんす」
 はあ…と青木はよくわからないままに返事をした。
「そんで、なんだ。お前ら何の用なんでえ。記事のネタ探しに来たんなら、記者クラブいけよ鳥小僧。それから、横流しする物件はねえぞ、お調子小僧」
 木場が素っ気なく答える。
「うへえ、違いますよう。だいいち僕ぁクラブになんか入れませんよう。それに、今日はお祝いッすよ」
「お祝いだあ?」
「鳥口君が宝くじ当てたんですよぉ!」
 その言葉に、一課中が沸いた。
 やはり景気のいい話は聞くだけでも気持ちが上がるというものである。世知辛い年の瀬、一課刑事達は期待に心ときめかせる。
「当てたのか!」
「すげえなおまえ!」
「やったじゃねえか!」
「で、いくら当てたよ?」
 どよめく一課に、鳥口と益田の脳天気な声が響く。
「2000円!!」
「…はあ」
 
 人の夢と描いて儚いと読む。
 景気の良い話は、早々転がっていないと言うことだ。市民の夢とは細やかなものである。
 現実はそんなものか…と三々五々、一課の刑事達は散っていった。
「で。楽しいことはみんなで分けで、悲しいこともみんなで分けるのが、薔薇十字団ってもんでしょう」
「その心がけは素晴らしいと思うんですけど、僕は木場組です」
 青木は最後の言葉にむすっとして、木場の傍らに駆け寄る。
「組なんか開けてねえよ」
「懐いてますなあ、木場さん」
「可愛いじゃないですかあ、けけけけ」
「うるせえよ、ほら青木いってこい」
「え?先輩?」
 ぽん、と背中を押されて、鳥口の方へ押しやられてしまった青木は、慌てて木場を振り向く。
 おっとっと、と青木を支える鳥口は、さりげなく青木の細い腰へ手を回していて、木場は何となく気にくわない。体格の良いこの若者の胸の中に、華奢な童顔の青年はすっぽりと収まっていて、どちらが年上だか判らない。自分で押しやっておきながら、我ながら滑稽だ。木場は咳払いする。
「今日…!」
 そんな木場の心情に気付くはずもなく、青木は抗議の声を上げる。
「ありゃ、もしかして青木さん、木場さんとご先約ですか?」
 益田が気付いて前髪を掻き上げる。
「う…うん、そうなんだ」
 青木の声に木場がかぶせる。
「迎えにまで来ちまってんだし、今日は行ってこいよ。俺とは明日にすりゃ良いだろ」
「先輩」
「いいんすか?木場さん」
 鳥口が聞く。依然鳥口は青木の腰を抱いたままで、青木もそのまま落ち着いているのが、木場の神経を逆立てる。
「良いっつってんだろ。つーか、いつまでクソガキ抱いてんだ」
 ええー。僕ぁ手厚く保護してるんですよう。ねえ。
 鳥口は笑って青木の顔を覗き込む。そんな鳥口を、仕方ないなあ、と言うような笑みで青木は身を捩って鳥口と顔を見合わせ、微笑んだ。
「ケッ、じゃあそのまま持って帰れ」
 木場は心と裏腹にしか言葉を出せない。
「仰せのままに!」
 鳥口が空いている方の手で敬礼する。
「木場さあん。僕もお持ち帰りに一役買わせていただきますよう」
 益田がへらへらと軽口を叩く。
「纏めて持ってけ」
 本音は、自分がお持ち帰りするはすだ、手前らみたいな若造に持って行かせてたまるか、である。
「そんな…木場さん、人をモノみたいに言わないでください」
 青木が頬をふくらませて抗議する。木場は見ないふりをした。
「じゃあ、みんなで行きましょうよう。そちらのお兄さんも一緒に。そんで榎木津さんも誘っちゃいますか」
 鳥口が素晴らしき地獄の片道切符的提案をした。
「お兄さんて、俺のことか」
 郷嶋が意外な顔をして益田に聞くと、長い前髪を揺らしてコクコクと頷く。調子の良い男である。
「じゃあ場所は探偵社で良いですねえ。そうしたら和寅さんもいるし」
 益田は脳天気に凄いことを口走る。
「それはねえな…」
 木場がウンザリした顔で呟く。
 和寅は保護者側に回すとして、青木・鳥口・益田、これだけで既に子守に近い酒盛りだというのに、そして郷嶋に榎木津。榎木津の破壊神はさることながら、郷嶋など未知数だが不吉な予感がぷんぷんする。
「ないですかー」
「やっぱねェ」
 ケケケと益田がその独特な笑い声を響かせた。
「髪の毛ほどもねえよ…3馬鹿で行ってこい」
 本当は、三人の意外な仲の良さに、木場自身が躊躇したからだ。そして、心の奥にもやもやとした気分が晴れないのも、判っている。
 青木は困惑した。
 今日は久しぶりに木場の家に泊まるはずだったのに…しかし、鳥口と益田がわざわざ迎えに来てくれたのもとても嬉しい、そして木場が行けと言う…。そんな木場に、何となく心の底が泡立つ青木だったが、木場の言うことも当然である。
 ぐるぐるまわる考えを青木は決めた。
「じゃあ先輩、明日付き合ってくれますか」
「…おう」
 青木があっさりと引き下がったのに、木場は内心がっくりした自分に戸惑う。だが、昼間とは別の困惑と少しのふてくされた顔で上目に見つめられては、木場は承諾しないわけにはいかない。

「じゃあ、お先に失礼します」
 嵐のように、三人の若者は去っていった。
 
「おい木場」
「あんだよ」
 郷嶋に声を掛けられた木場は、渋い顔で振り向く。
「どうせヒマだろ。趣向を変えて俺と一杯飲んでみないか」
 突然の誘いに、木場は面食らう。
「お前となんざ、酒が不味くなっちまわあ」
「それもまた一興。行くぜ鬼の木場修」
「お、おい郷嶋!」
 



 
 木場と郷嶋という強面二人が選んだ酒場は、微昏い猫の巣だった。
「へえ、意外だな」
「なにがだよ」
「一杯酒屋かと思ったら、洒落たところ知ってるのな」
「ここが洒落たところ、かよ」
 鼻を鳴らして、木場は重い扉を開けた。


 中に入った途端、女主人の眠たそうな声に迎えられた。
「なんでえ、湿気たたあなんだ。のっけから客帰すような寝言言いやがって」
「あらやだ、客のつもりだったの。豆腐かと思った」
 お潤は気怠そうに髪を掻き上げ、あくびをした。まるで猫のようだ。
「面白い趣向の店だな」
 にやり、と郷嶋は口元で笑う。
「そっちの…初めての人ねえ。あんたも妙な連ればっかつれてくるのね」
 すかし見るように、お潤は木場の背後にいた郷嶋に目を向けた。
「こんばんは、女主人(マダム)」
 向かいのカウンター前に来て、郷嶋は眼鏡を人差し指で上げると、気障っぽく挨拶する。す…と優しくお潤の手を取り、接吻の挨拶である。
 ぎょっとする木場を尻目に、お潤は満足そうにころころと笑う。
「まあ、判る人じゃないの」
「なんでえ、気障ッたらしい外人(げえじん)みてえな事しやがって」
 こんな仕草は、西洋映画の銀幕の中でしか見たことのない木場が、実に怪訝そうな顔をしてカウンターにどっかと座る。
「俺はフランス租界育ちだからな」
 ふふん、と不敵な笑みを浮かべて、郷嶋も座って足を組み頬杖を付いた。
「あんた、上海にいたの?」
「ああ」
「ねえ、リルは引き上げの時、一緒だった?」
「いや、俺は引き揚げ船に乗ってないよ。もっと前から内地に来てたからな。何も言わずに、四馬路(スマロ)で別れたきりだよ」
「あら残念ね。どこにいるのかしら」
 お潤は愉しそうに、微笑んだ。
「そうだな…あんたも、リルを捜索してくれないか」
 郷嶋は節を付けて歌うように言いながら、懐から茶色とクリーム色をしたタバコの箱を取り出すと、流れるように煙草に火を付けた。ことり、と銀色のライターが、琥珀色の空間に置かれると、鈍色の光を放った。
「なんでえ、ばかばかしい」
 置いてきぼりの木場は、素っ頓狂な声を出す。
「なによ、面白味のない男ね」
 そう言われて、木場は眉間にシワを寄せて腕を組む。今のやりとりは、上海リルのことである。昨今流行っている歌の歌詞になぞらえている。戦前、上海を始めとして大陸や南方など世界中に散った日本人達の混乱が、敗戦によって引き揚げて来た人の多かったこの社会状況が、この淋しい歌を作り人々の心に沁みた。そして、ラジオから引きも切らず流れていたのは、木場にも耳に覺えがあるし、木場はその元となった映画『フットライト・パレード』すら見ているのだ。勿論知っている。
 だからといって、今そんな謎々を楽しく聞くような気分ではない。なんにせよ、夕暮れの心の泡立ちさえも消えていない。木場はため息をつく。
 木場に仏頂面を見せておいて、お潤は振り向くと笑って言う。
「道理でこんな野暮天とは違ってスマートだわ」
「江戸っ子捕まえて、野暮天たあなんだ」
 俺の対応とはまるで違うじゃねえか。
 木場は心の中で吐き捨てると、うざったそうに手を振った。
「もうなんでも良いからよ、酒だ酒」
 アルコールで、心の憂さも流してしまいたい。
「喧しいわね。なに苛ついてんのよ…そうよねえ。あんたの横に坊やがいないもんねえ。どうしたのよ」
 ぎくりとした。
 半眼で楽しげなお潤は、獲物を逃さない猫の目になっている。
 ことりと、グラスを置く。女主人の選択で洋酒が二人の前に置かれる。
「坊やって、あの坊やか。秘蔵っ子の」
 郷嶋も楽しそうに聞く。判っているくせに、聞くところがこの男のイヤなところだと木場は思う。
 この男とこの女は、どことなく似ているような気がした。
「うるせえよ」
 酷く苛立つが、同時に諦めてもいた。この二人相手だからだ。





 木場はため息をついて家路についていた。
 あの後、二人に玩具にされたことは言うまでもない。
 まあ、郷嶋と酒を交わすなどと言う希有の体験をしたことが収穫と言えば収穫だっただろうか。
 そんなこたあねえ。
 すぐに木場は自分で突っ込みを入れる。
 とにかく、疲れた。
 早く帰って寝ちまおう。
 木場が自宅の下宿先に近づくと、玄関に明かりが灯っているのを確認した。
「なんでえ、珍しい。ばあさん消し忘れやがったな」
 この時間には、既にいつも玄関灯など消えているのだが、今日に限って付いている。きっちりした性格の家主の老婆には珍しい、ミスである。
 鍵を取り出す。ガチャガチャやっていると玄関の向こうから人影が来た。
 これまたバアさんのお出迎えか、珍しいと思ったら。
「木場さんおかえんなさーい!」
 意外すぎて、口がふさがらない。声も出ない。
鍵を開けに来たのは、益田龍一である。
「…なんで手前、うちにいるんだよ!!」
 イヤ全く持って意味がわからない。
 なぜ俺は、この前髪の長いお調子小僧に、自宅で出迎えられないといけないのだ。
「お、木場さんお帰りですな」
 玄関隣の客間から聞こえるその声は、鳥小僧だ。
「わわわ、ひどいですよ木場さん」
 なにがだ。俺の身にもなれ。
「僕たちァ、お届け物をしにきたんですよぉ」
「あ?」
 なに訳のわからないことを言っている。
 木場は益田に促されるまま、客間にはいる。
 客間には、家主の老婆、鳥口。
 そして。鳥口の膝を枕代わりにして眠る青木がいた。明らかに酔って寝た感満載である。少し、ムッとした自分に、木場は気付かない。
「おや修さんお帰りな」
 老婆が声を掛ける。
「お、おう。おい婆さん、こりゃいったい…」
「さっきこのお兄ちゃんが言った通りだよ。修さんも帰ってきたし、妾ゃもう寝るよ。年寄りは夜更かしが苦手さね」
「はあい、お婆さんありがとう」
「おやすみなさいっす。また遊びに来ますよう」
「今度は昼間にしとくれ。それと酒は持ち込みだよ」
 すたすたと行ってしまった。
 残されたのは、脳天気二人組と木場。そして眠り姫な青木。
「…えーとですねえ」
 鳥口が口を開く。
「お届け物です。第一級重要取扱注意品、水濡厳禁・上積厳禁・天地無用!」
「こちらー!」
 声を揃えて、恭しく両手で示したのは。
 ぐっすりお休み中の青木である。
「…あぁ?」
 意味がわからない。
「で、どうします?お引き取りするならサインを、お引き取り拒否の場合は、鳥口君がお持ち帰りと言うことで…わあ!」
 調子よくしゃべる益田に鉄槌を下す。
「なんで鳥小僧が持って帰るんだよ」
「貧弱な益田君では、持って帰れませんでな」
 恍惚けたことを言う男である。
「…おい小僧共」
「はあ」
「痛い目見てから言うか、言ってから見るか。どっちが良いか選べ」
「うへえ、そりゃご無体な」
 若者二人は事の顛末を話し始めた。

「いえ、さっきまで呑んでたんですよ。二千円呑み切っちゃおうって、三人で張り切って」
「そうそう。青木さんもガンガン呑んで」
「そしたらこの人、お酒弱いじゃないですか」
「僕らも気を付けて見てたんですけど、今日はペースが速かったかも知れませんねえ」
「良い感じになったところで、青木さん沈没です」
「そんでまあ。青木さん送って、二次会行くかーと思ってですな」
「青木さんに、とりあえず声掛けたらですね」
 そこで二人とも、言葉を切る。
「…なんでえ」
「木場さんに会いたい」
「木場さんとこに行く、って寝言言ってるんですよ!」
 面食らって。木場は絶句した。
 そして木場の網膜に、眠い目を擦りながら一生懸命答える青木の画像が浮かんだ。
『先輩のとこ、行きます…』
 そんな自分にぎょっとして、木場は目をぱちぱちとさせ払拭する。
「かわいいじゃないですか!」
 二人は大盛り上がりである。
「心優しい僕らはですね、ここ小金井まで青木さんをお運びする使命に燃えたんすよ」
「それで、お婆さんに入れて貰って、木場さんのお帰りをお待ちしてたという」
 いやあ良かった良かった。
 酒も入っているのだろう、二人でテンション高くお互いの労を労って、ハイタッチなどしている。
「じゃあ、確かにお届けしました!ッて事で」
「これ、待ってる間にお婆さんと呑んだんですけど、残りはお二人でガッツリ呑んでください」
 一升瓶まで渡される。

 嵐の如く、二人は去っていった。

 残されたのは、木場と未だ眠る青木である。






「…なんなんだ」
 呟いてみる。
 だがしかし、頭を掻く木場のその顔は。赤い。
 一升瓶を机に置いた木場は、しゃがんで青木を突つく。
「おい、青木」
「…ん」
 林檎のような真っ赤な頬は、童顔をさらに幼く見せる。木場は唸る。…可愛いのだ。
「あれ、木場さ…?あれ?ここ、木場さんち…?」
 酔いと寝ぼけ眼の青木は、自分の置かれた位置がよくわからないらしい。目を擦り、しきりにきょろきょろしている。
「手前…まあいいか。あいつらが送ってきたんだよ」
「あいつら…鳥口君と、益田君?」
「おう。お前がダダこねたんだと」
「え…僕知りませんよ…覚えてない、ですけど…もしかしたら、言ったかも」
 青木はすまなさそうに両手で頬を押さえると、小首をかしげた。
「だろうな」
 木場は、青木の目を擦りながらきょろきょろする仕草に絆されたのか。
 子犬のような青木をおかしそうに苦笑しながら、わしゃわしゃと頭を撫でてやる。
「わわわ…」
 躰に力の入っていない青木は、ぐらんぐらんと揺れ、ぽてんと畳の上に転がった。
「しょうがねえガキだなあ。おい、特別だぞ。ホレ乗れ」
 そう言って、木場が背中を向ける。
「先輩…?」
「乗らねえならいいぞ」
「ん…」
 青木はふんにゃりと木場に覆い被さる。軽い。
 よっ…と。
 小さな掛け声を入れた木場は、自分も年か…などと思ってしまった。
 ことん、と青木の頭が、頸元にもたれかかる。
「ああ…違う」
 小さく呟く青木の声を、木場は聞き漏らさない。
「何が違うんでえ」
 階段に向かいながら、青木に聞く。
「さっきの背中と、違う。あれは−鳥口君だったのか」
 ぎし。ぎし、と階段を上りながら、青木の返事とも独白とも付かない声を聞いていた。
 そりゃあ、30過ぎのオッサンと、20そこそこの若造の背中じゃあ、違うわな。
 木場は何となく苦笑した。
 そして。なんだか腹が立った。
「でも。こっちが−」
 ぽつりと青木が零した小声は、丁度木場の障子を開ける音に、かき消されてしまった。
「ああ?」
 木場が聞き直しながら、青木を降ろした。
 すると、木場の背中から滑るように降りながら言う。
「でも、こっちの方が、良いな。って言ったんです」
 畳の上へころりと仰向けになる。
「安心できる、特別の背中ですからね」
 花のほころぶような、満面の笑みで下から見上げられ、木場は絶句し。
 真っ赤になった。
 特別の背中って、なんだよ。
 眉間にシワが自然による。
「せんぱい」
 青木が両手を上に上げる。だっこして。の合図だ。
 黙って抱き上げてやるのが、木場の甘いところであり、弱みである。
 顔を見合わせる一瞬。
 ちゅ、と青木が朱唇を合わせる。
 触れるだけの優しいキスは、木場の心音をさらに強くするのに十分だ。
「…ばっかやろう」
 慌てて木場はくるりと背を向け、押入の方に足早に去る。
 些か乱暴に夜具を取り出すと、また廊下の方へ行く。
「青木」
「…はい?」
「布団、寒いから入ってろ。…炭取ってくらあ」
 火鉢用の炭を取りに行くことにして、青木の側を離れないと。木場は気恥ずかしくてたまらないのだ。
「了解です。…あ、先輩」
 みしり、と一歩階段を下りたところで木場は止まり、片手で顔を拭うと返事した。
「なんでえ」
「明日、朝風呂行きましょう」
 嬉しそうな、こえ。
「…どうせ入るなら一番風呂だぞ」
 木場は答え。
 眉間にシワを寄せて、赤面した。


 師走の夜は冷えるが、木場の顔は熱くて仕方がない。





                                                             end.

Afterword

私的に王道・木場青木です!!
十兵衛様のリクエスト「木場青で木場さんにやきもち」こ、こんなかんじでよいでしょうか?
あんまり木場さんがヤキモチ焼いてないなあ。すいません…。うちの木場、枯れてるっつーかオヤジ…。そして木場のヤキモチの対象を、誰にさせるかで迷い。若者代表・鳥口っちゃんに白羽の矢が。あの2人はまた飲みに行くと思われます。可愛い年上のあの人、的なポジションが良いなああの二人にとっての青木は。
あと郷嶋…うちの郷嶋セクハラエセ紳士ですから。お潤さんと仲良しになれるような気がします。話に出てきた「上海リル」は有名な歌ですのでぜひ一度ご静聴下さい。綺麗な歌です。ご老人に聞くと知ってると思う。青木は乙女だと思います!

十兵衛さまに捧げたいと思います。すいませんこんなんで…









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