ヘブン

新谷かおる『RAISE』の設定を使ったダブルパロです。




 1943年、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線。
 アメリカ陸軍航空隊第8航空軍所属時代。
 あの頃に、今更戻りたくもないが、ただ後悔だけは。していない。
 そんな思い出。青木は、小指に光る青い光を見つめた。








「御邪魔しますー」
 鳥口守彦は、滑走路脇で歓談していた整備兵の一団に声を掛けた。
「おう、お前か。さっき来たってえ新顔の従軍記者は」
 赤ら顔の男が気軽に手を振って迎え入れてくれた。周りの者も皆、気の良さそうな連中である。
「はあ、僕ぁ従軍カメラマンなんすけどね」
 肩に掛けていたカメラを手に持ち、輪の中に坐る。
「どっちにしろ新聞にするんだろ、同じ事じゃねえか」
「なるほど」
 そう言って笑う。彼はここの整備曹長である。
「お前、チャイナか?まあ日系だろうな」
「日系ッス。じいさんが日本人で。モリヒコ・トリグチ。ワールドワイド通信所属です」
「やっぱりなあ」
「お、判るんですか?僕ぁ日系ですけど、見分けなんてサッパリわからんのですがね」
「いやあ、ここの基地にいる東洋系なんざ大抵が日系だからな」
「そうなんすか?なぜまた」
「決まってらあ、プリズン・バードの御休息所だ。ここは」
「うへえ、なんですかそのわたしゃ可愛いカゴの鳥みたいなの…」
 ぱあん。
 日系が多く集められる戦場に篭の鳥−そのあまりにも脈絡のない話に、鳥口が半ば呆れるような声を出した時、滑走路に信号弾が落ちてきた。
「お、お帰りなすったよ」
「何機だ?!」
 一斉に整備兵が立ち上がる。
「えーと…123456…78。あー一機ケム噴いてやがる」
「トリウツィったか、カメラマン。後で教えてやるよ。こっちゃこれから戦場だ」
「はあ…あ。トリグチですよお」
 鳥口は掛けて行く整備兵に向かって、脳天気な返事をする。もっともその声も、すぐ横を走っていった救急車の音や人々の声、そして帰還してくる爆撃機のエンジン音に、意図もたやすく掻き消されたのだったが。

 うへえ。
 鳥口は妙な感嘆符を口に出すと、次々にシャッターを切っていった。
 
 その時、鳥口の右手に一機の爆撃機が降りてきた。その強風に煽られながら顔を上げると、日本のキモノを着た愛らしい女の子が足首に付けられた枷から鎖で繋がれた鉄球を手毬に見立てて持ち、にっこり微笑む姿が鳥口の目に飛び込んできた。
「うへえ」
 そのノーズアートの背景に『プリズン・バード』と大書されていた。
 これがさっきの、篭の鳥?
 鳥口はハッチが開いて、降りてくる機長らしき男の顔を見ようと、その機に走り寄る。
 がこん!
「ふぃー」
 滑走路に飛び降り、帽子を脱いで汗を拭う男がそうらしい。軍帽の両端がひしゃげている。それは帽子を被ったまま、その上にレシーバーを被る、爆撃機載り独特の特徴だ。
 他にも数人、出てきた。全部で10人。
「お疲れさん。景気はどうだった」
「どうもこうもあるかよ、いつでもリスクは同じだがよ今日はひでえもんだ」
「違いねえ」
「今日は敵さん、高射砲大サービス。ありゃあ弾薬新調した感じだぜ」
「お姫様は掠り傷と貫通くらいだな」
「まあなあ。…四機食われて、ハーディんとこが相当噛みつかれたな」
「赤ずきんちゃんもつれえなあ」
 先ほど話していた整備兵と語る男は、黒い目の黒い髪。他の者も全て走だ。
「おじさんおじさん」
「おじさんたあなんだ。ジェフ・アンダースン整備曹長殿と呼べや」
「なんでえ、そのカメラ小僧」
「今日来た従軍記者だ、あんたらと同じ。日系だと」
「ワールドワイド通信のモリヒコ・トリグチです。大尉殿も」
「日系だよ。俺ぁシュウタロウ・キバ。機長やってる。…ってオイ、いきなり写真取るなよ」
「いやあ記者魂で」
「俺なんざ撮ったって、面白かねえぞ」
 憮然とした表情で鳥口を見据える男は、一見するとどこをどう見ても島国日本から出たことのない純日本人のようだ。話す英語すら、流暢なのがおかしいくらいである。
「せんぱい」
 色白の小柄な青年が木場に声を掛ける。黒髪が光をはねる。サングラスが大人を真似する少年のように似合わない。少し頭が大きいのかも知れない。鳥口は、すこし笑ってしまった。
「おう」
「全員怪我無し、命ありです。…あ」
 木場に報告したその目に、鳥口が映ったのだろう。黒髪の青年は、小さく声を上げた。
「ども、従軍カメラマンのトリグチでっす」
 お気楽に声を掛ける。
 黒髪の青年は挨拶をされ、あわててサングラスを取った。黒髪に黒い目の日系青年だと思っていた鳥口の予想を、裏切ったものがそこにあった。
 日系の青年ではあるが、目だけが青い。それは水色の瞳に藍色の深みを持った綺麗な目で、鳥口は思わず言葉を無くした。
「副機長のブンゾウ・アオキです」
 人なつこい笑みで、鳥口を見上げる。その笑みは、殺伐としたこの戦場には似つかわしくなくて、鳥口には奇妙に印象に残った。
「お、新顔だねえ。よろしく。キクヲ・ツカサ、喜久さんさあ。フィルム安くしとくから、今度から喜久さんから買いなねえ」
「エリア87にようこそ、シンゾウ・カワシマ第一機関手だ」
「クニハル・キノシタです、まあよろしく」
 などと、どう見ても堅気の商売人には見えない男やら、スキンヘッドに丸黒眼鏡の大男、身体は良さそうだがすこし気の小さそうな男だのから声を掛けられ、鳥口は驚いた。
 なぜなら、搭乗員全員が日系人だからだ。
 日系人を集めた部隊があるとは聞いたことがある。しかし、爆撃機でそれをしたとは聞いたことがない。他機の搭乗員を見てみると、アイリッシュ系・ラテン系・黒人・ヒスパニック…様々である。

「おら、報告行くぞ、手前ら早く乗れー」
「あいよー」
「はーい…」
「夜にお迎え酒するからバーに顔出しなあ」
「司さん、また人からお金巻き上げるネタを…」
「またまたー。文ちゃんお堅いからねえ」
 ジープに乗った彼らは、大騒ぎで行ってしまった。
「なんだか、ピクニックにでも行ってきたような慣れっこさですねえ。あの人達」
 取り残された鳥口は、傍らで補習する箇所を点検しているアンダースン整備曹長に声を掛けた。
「そりゃまあ。うちの古株があいつらだからな、28回の出撃経験持ちの玄人さ」
「28回って…?またまたあ。僕だって知ってますよう。パイロットは25回出撃したら帰れるんじゃないすか」
「あいつらは、帰れないんだよ」
 アンダースンは小鼻を鳴らして、呟くように答える。
「は?」
 通常、パイロットは25回の出撃記録を作れば、大手を振って除隊できる。その間、10日から二週間ごとに出撃を繰り返してもおおよそ一年。ただし、滅多にその出撃記録を作ったモノはいない。パイロットの平均消費率は、12〜18回。1000機出撃して、300機撃墜されることもよくある。殆ど、自ら翼を畳む者は、ない。
「軍事裁判で、この戦争が終わるまで除隊できない決まりになってるんだよ。あいつら」
「ぐ、ぐんじ?な、なにやったんすか?」
 あの司とかいう怪しげな商人の風体などはともかく、青木というあの真面目そうな童顔の青年も、軍事裁判に掛けられるようなことを、したと言うのだろうか。
「さあなあ、命令無視とか上官反抗とか…色々あるだろ。詳しくはしらねえけど。俺が知ってるのは、機長の木場大尉と、コパイの青木少尉くらいだな」
「あの人達は…」
「二人纏めて命令無視・上官反抗。大尉は司令官殿の顎砕いて、ここに来たんだ」
「あ、あごお?」
 鳥口は素っ頓狂な声を上げた。
「直接聞いた訳じゃないけどよ、アプウフェルラウント爆撃っつーの、知ってるだろ」
「それって、確か…住宅地に密接したV2ロケット工場を、的確に工場だけ爆撃して民間人の犠牲者が立地条件の悪さにもかかわらず殆ど無かったって、一時期ものすごい反響があった作戦ッスよね」
 当時、アメリカ本国にいた鳥口もよく知っている。ちょうどイギリス本土に、ドイツ・ナチからの無差別テロが頻発した時期であり、好対照のアメリカ陸軍の栄光としてマスコミは取り上げた。
「おうそれよ。その作戦実行部隊の隊長が、木場大尉で青木少尉も隊員の一人だ」
「マジすか!すげッ…っていうかすごくないですか!?…え?待って下さいよ、そしたら木場さんたちってヒーローじゃないですか。なんでこんな最前線に?勲章貰って本国にいてもおかしく無いじゃないすか」
「おかしいから、ここにいるんだよ」
 そう言って曹長は頭を掻いた。
「あの作戦はな、はじめアプウフェルラウントそのものを焼き尽くす作戦だったんだ」
「うへえ」
 思っても見なかった出来事に、鳥口はおもわず声を漏らす。それでは最終的な事実の、的確な爆撃で無用な殺傷を避ける、その意図と正反対ではないか。
「大尉達は、その作戦がどうしても−気に入らなかった」
「気に入らなかった−すか」
「ああ。だから思いっきり無視したんだよ、命令。整備の奴らと結託して、作戦決行の前の夜にぶっ飛んでったんだよ」
「そりゃまた豪快な」
「だろ。司令官殿の“少しの失敗も許されないから、全部壊しちゃえ”っていう、無茶苦茶かつ保身的な態度が丸わかり。首尾良く大尉達が帰った後、その司令官どうしたと思う」
「さ、さあ?」
 いきなりふられて、鳥口は首を傾げた。
「能くやった、よくぞ俺の作戦を先読みした、これは俺の作戦通りだ!ってべた褒めのあげくに、こすくっからくも自分の保身に入ったわけだ」
「さいあくっすねえ。命がけでやってきてそんなこと言われちゃあ、顎だろうが頭蓋骨だろうが粉砕しますわな」
「おかげで軍事法廷行きだけどな」
「それもなんか酷くないですか?」
「まあ…上官反抗は即射殺対象だからな。それよりはマシなんじゃねえの」
「それにしたって、まともな裁判じゃないッス」
「しかたねえだろ…優秀な飛行機乗りは惜しい。それに、お前に言うのも何だけどな…日系だからな、特に」
 そうだ。
 鳥口達、日系アメリカ人は、今そう言った立場に立たされているのだ。
 日本人に対する迫害は、日米開戦以前よりも苛烈になり、日本人収容所に入れられた友人も少なくない。幸い鳥口は、父の代からアメリカ国籍を取得しているのだが、それでも「愛国心」を見せるためにと言うのも理由の一つで、自ら戦地カメラマンとして赴いた。
「とにかく、他の奴らも似たり寄ったりだろうな。そんなわけで、奴らは帰れないのさ。万に一つも生きて戦争が終われば、お慰みだ」
 それでは、まさにかごのとり、だ。
 



「青木さん」
 ある良く晴れた昼下がり、鳥口は芝生の上で銃の点検をしている青木に声を掛けた。
「あ、鳥口君」
「リボルバーっすか。オートマの方が楽じゃないすか」
「うん、警察時代に馴れちゃったからね」
「警察?青木さん軍隊の前は警察だったんですか」
 鳥口は目を丸くした。
「そんなに意外かい?これでもいちおう、刑事だったんだよ」
 驚きが二重の極みだ。
「いやあ御見逸れしました。とてもそんな猛者には見えないじゃないすか…と、失礼すかね」
「君が言うと、全然失礼に聞こえないね」
 そう言って笑った。
「ついでに言うと、うちの機長も、木下も元刑事だよ。木場さんと僕、コンビだったんだ」
 木場達なら判る気がする。その言葉を鳥口は飲み込んだ。
「そう言えば、木場さんは?いつも青木さんと一緒じゃないすか」
「今日は司令部の方に呼び出し。どうせまたロクでもない命令書貰ってくるんだよ」
 そう言って、青木はぶう、と不満顔で弾の入っていない銃のシリンダーを回した。じゃららら…と金属音がした。
 鳥口はその子供のような仕草に苦笑した。
「そんな顔しないでくださいよう、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないすか」
「…僕、君より年上だよ」
「可愛いもんは可愛いじゃないすか。特にそのブルーアイズ。まるで」
「まるで…?」
 青木は、何故か次の言葉を待っているようだった。しかし、鳥口は気付かなかったのだ。
「まるでベネチアングラスみたいじゃないすか」
 にこにこと笑いながら語る鳥口を、青木は一瞬驚いたような顔で見つめ、そして笑った。
「ど、どうしたんですか青木さん」
「いや、ベネチアングラスって言われたのは初めてだから、ビックリしたよ」
「そうっすか?うちにあった奴がね、ちょうど青木さんの目のような色なんです。母がすごく大切にしてるんですよ」
「ふうん、だからそう言ってくれたんだ。なんだか、ロマンティックで良いね。ありがとう」
 青木は少し照れくさそうに笑った。
「青木さん」
「ん?」
「他にどういわれたことがあるんですか?」
「僕の妹がね、小さな頃からよく『兄様はサファイヤのような青い目で羨ましい』って言ってたんだよ。僕としてはどうでも良いなあ、って思ってたんだけど。でも、妹はすごく綺麗なブラウンアイなんだ」
 そこで兄馬鹿が炸裂、いかに妹が優秀で可愛くて素敵なレディであるかを懇々と話されてしまった。もちろん鳥口メモにメモしておくことは忘れない。この従軍が終わったら逢いに行こうと決心した。
「ああ…忘れてた、実家宛に手紙書いたんだった。郵便局行かなきゃ」
 青木が時計を見ながら言う。
「それじゃ青木さん、ロンドンまで出ます?丁度僕も支局にいかにゃならんので」
 半分本当だ。なにも今行かなくて良いのだが、丁度良いきっかけが出来た。その間の道中、彼と話そう。鳥口はウキウキとした気分で、ポケットからキーを取り出した。




 郵便局を出た青木は、一台の車に道をふさがれた。
 なんだこの車。感じ悪いなあ。
 青木は些か憮然とした樣子でその脇を避け、颯颯と前を歩く。しかし、またされる。よける。塞がれる。仏の顔も三度まで、青木は運転席の窓を少し乱暴に叩いた。
 運転していた男が窓を開ける。眼鏡を掛けたイギリス陸軍の軍服。
「なんなんです一体…!」
 最後は言葉にならなかった。
 青木に向かって、コートの掛かった長細い形状のものが、照準されている。
 銃だ。
 瞬時にそう理解した青木は、反射的に腰に差していた護身用の銃に手を伸ばしたが、同盟国の領土で軍人同士の発砲はまずい、と思い直した。そして、言葉をこれ以上出すのをやめた。
「おい。乗れ」
 厳しい声が振ってくる。
 男の顔を見ると、青木と同じ東洋風の顔の作り。しかし、眼鏡越しに鰐のような目でこちらを見据え、蛇のような雰囲気に全く共通点がない。ここで大騒ぎするのも気が引ける。イギリス陸軍の軍服を着ていると言うことは、なにかの【特殊業務】なのかも知れない。青木は腹を決めて答えた。
「…わかりました」

 そのまま無言で青木は拉致されている。
 しびれを切らした青木が、相変わらず一言も発さずに運転する男に話しかける。
 男は煙草を吸っていて、青木は少し咳き込む。
「あの、一体どういう事ですか。イギリス陸軍は拉致誘拐も任務のうちですか」
「綺麗な発音−クィンズ・イングリッシュ−だな、お前。どこで覚えた」
「え?」
「答えろ」
「な…。父方の祖母がイギリス人でしたから…」
 青木は憤慨しながらも、律儀に答える。
「ふん、その目も婆さん譲りか」
 こちらを見ることなく、男は話す。青木はこの男に瞳の話をされると、無性に苛立った。
「そんなこと関係ないでしょう、いったい何なんです…」
 車が止まる。
「降りろ」
「え?」
「午後の茶の時間だからな」
 完全に拍子抜けしてしまった青木は、男に連れられてティータイムである。

「アメリカ陸軍航空隊第8航空軍所属パイロットだな」
 唐突に男が話しかけてきて、青木は紅茶を噴きそうになる。
「え、あ…はい。そうですけど。なんですか、さっきも言いましたけど、イギリス陸軍は営利誘拐も営業してるんですか」
「お前が自発的に車に乗った時点で、誘拐じゃねえだろ」
「100%誘拐ですよ!しかも銃まで用意するなんて…!」
「銃じゃないよ」
「え?」
「ありゃあこうしてやったのを、お前がただ間違えただけだ」
 そう言って男は、指で【銃】を作り青木の胸に当てた。
「なッ…あの状況で指とは判断できません」
「どうでもいいよ、とにかく俺は道案内が欲しかったのさ」
「はあ?」
「エリア87に帰るんだろ、坊や」
「坊やじゃありません。それに、87に帰りはしますが、貴方を送る義務はありません」
「明日付で共同作戦する仲だ。そうすると俺は上官になるんだよ、少尉」
 不逞不逞しい男は大尉の徽章を付けている。
「明日付なら、なおさら今日拘束される義務なんかない、じゃないですか。そもそもお名前すら判らない、怪しげな英国陸軍大尉を名乗る男に、協力は出来かねます」
「グンジ・サトシマ」
 一拍の間が空く。
「え?」
「英国情報部、グンジ・サトシマ大尉だよ。ブンゾウ・アオキ少尉」
「な、なんで僕の名前」
「だから共同作戦するっつっただろ。手前の味方の顔名前くらい覺えとくわな」
 青木は訳がわからず混乱する。その樣がおかしいのか、くくくと笑った郷嶋は、軽やかに煙草に火を付けた。ちん、と言うオイルライターの音が青木をさらに苛立たせる。
「…説明してください」
「作戦内容だったら、お前んとこの…木場とか言ったな、その大将に聞けよ。俺は教えるのが苦手でな」
「違いますよ、なぜ僕をどうしてここに、誘拐しなければならなかったのか、です」
 郷嶋は一瞬驚いた顔で青木を見つめたが、可笑しそうに吹き出す。
「何が愉しいんですか!」
「そうさなあ…理由は3つくらいか」
「3つ?」
「一つは、お前が俺の目の前にUSアーミーの航空兵姿で歩いてたこと。2つ目は、俺がお前の顔を覚えていたこと」
 そして郷嶋は煙草を灰皿に押しつけ、青木の顎を捉える。
「な…」
「3つ目は、写真で覚えたのと違って、青いルビーみたいな瞳を見つけたからさ」
 眼鏡の奥から見つめる、その蛇のような瞳に、青木は軽い眩暈を覚えた気がした。



「坊や、今日もキチンと帰ってこれたか。偉いな」
「…それは体内から機体の破片を取り出した人間に対して言う言葉ですか」
 青木は迷惑そうに郷嶋を見やると、布団を頭から被ろうとした。が、身体に激痛が走り、断念した。
「中尉、患者を興奮させるようなこというのやめてくれませんかね」
 器具の洗浄を終えて入ってきたのは、タダオ・ナイトウ衛生兵。精悍な顔つきだが、どこか疲れたような感じが見える。
「まあ僕がいる間だけなら良いけどね。ブスーっと鎮静剤打っておしまいだし」
「僕がひどい目に遭うのは、代わりがないじゃないですか…」
 青木は、目の前の気の良さそうな軍医にまで苛まれて、ため息をついた。
 Dr.サトムラは、そーんなことないよ、青木ちゃんって上客だからねえ、とさらに嬉しそうに答える。
「上客って何です」
 扉が開き、傷だらけのタツミ・セキグチ中尉と、アキヒコ・チュウゼンジ大尉がやってきた。本来ならセクションの全く違う人物らだが、馬が合うのかよく一緒にいるのを見かける。いや、一緒にと言うか一方的に関口が中禪寺に叱咤されているところと言うか。
「先生、探しましたよ」
「あら関口君、また怪我?」
 関口は萎れた菜っ葉のように、近くのイスに座る。
「…さっきシュミット中尉の機を復作業中に、ボルトの棚にぶつかって…」
 細かい切り傷が顔という顔、身体という身体に見つかる。所々深そうなものもある。良く災難に見舞われる男である。本来は爆撃機の設計研究者として、本国にいてもおかしくない程の機械工学の専門家だが、研究所のサンプル集めに、ここへ飛ばされてきた男である。
「この男は不注意以外で怪我したことはないよ」
 中禪寺が連れない言葉を吐く。この男は、郷嶋の所属する英国情報部と連結して行う、対独作戦の「とあるプロジェクト」の米国側の人間だ。膨大な情報量は、ブリタニカを持つより確かだと司令官が言っていた。その時、この男は言葉を選ばず、フューラーも寝込むような疎ましい顔で答えただけにとどまったのだが。
「そう、だから大概が大したこと無い怪我…言い方が悪いね、深刻じゃない怪我。青木ちゃんはその点、素晴らしいからさあ」
「素晴らしい…って?」
 青木が聞く。
「君の怪我は正真正銘、烈戦による名誉の負傷だから、予想不可能なものも多いのさ。だから、この人体の臓器の位置や確認や解剖に一家言持つドクには、ある意味一種のハッピーボーナスステージのようなものだよ」
 中禪寺が代わりに答える。
「そんな…」
「まあ、違いないな。諦めろ坊や。お前とドクとじゃ、感性のスイッチからして位置が違うんだからな」
「そうですね。その意見は僕も同じですよ、郷嶋さん」
 中禪寺の言葉に、郷嶋は肩眉を上げた。そして薄く笑う。
 ガチャリ。
「青木、青木大丈夫か!」
「おい木下落ち付けって!!」
 唐突に医務室の扉が開き、木下と木場が半ば縺れるようにしてやってきた。後に続くのは鳥口である。
「き、きのした…」
 木下は今にも泣きそうな顔で、青木のベッドに走り寄り、痛痛しく巻かれた包帯を見て、悲痛な声を上げた。そう言う木下自身も、頭に巻いた包帯に血がにじんでいる。
「ああっ本当にすまない!すまない文さん!」
「ど、どうしたんだい…この人」
 苛立ちながらため息をつく木場に、関口は恐る恐る問いかける。
「どうしたもこうも、こいつ青木が怪我するたびの、毎度のことだ」
「先生、先生!文さんは、文さんは無事…弾取れましたか!大丈夫ですか?!」
 だいじょぶだいじょぶ、と軽く手を振る里村は、いまいち木下の信用を勝ち取れない。仕方ないので、内藤衛生兵が木下を廊下まで引っ張り出し、患部説明を行う。
「あいつ、なんだか僕が怪我するたびに、自分の所為だと思うみたいで…」
 青木は困ったように恐縮している。頬が赤い。
「一番最初に手前のミスで、お前に怪我させたのがよっぽど堪えたんじゃねえか」
 木場は憮然としたまま、青木の躰を触って確認する。
「…っ」
「すまねえ、ここ痛いか」
「腫れが引いて…三日くらい休めば大丈夫ですよ」
「言うなあ小僧が」
「木場さん、なんですかね。その最初って」
 そんな二人の会話を突き破れるのは、鳥口くらいのものである。
「あ…ゲフン!…その、なんだ。あいつの不注意で、青木に怪我させた時があってな」
 木場が咳払いしつつ、話し出す。強面の顔がさらに凶悪になり、真っ赤である。こういう時に、赤面しなければいいのに、と鳥口は他人事ながら思う。
「でも、怪我自体はそんなに大したことはなかったですよ。肋骨にヒビ入ったくらいで、一週間くらいで退院できたんですから」
 それは、大したことだと思うのは、間違っているのだろうか、と関口は茫洋とした頭で考えたが黙っていた。
「それ以来、なあ」
「はい。良い奴なんですけど…ちょっと、困ります」
 そう言って青木は、数々の思い出が脳裏をよぎってきたのか、赤らんだ頬を両手で冷やすようにした。
「ちょっとどころじゃねえよ」
 木場が、はん!鼻を鳴らして憤慨する。どうやらこちらは本気のようである。
「…はいおしまい」
 いつのまにやら里村所有の携帯応急キットで関口の治療は開始され、終了したようである。
「さあさ、いつまでもここで油売ってるんじゃないの。みんな働いて来なよー。そして僕に仕事をさせてー」
 里村医師による叱咤が飛ぶ。この場合の仕事させて、は解剖させてーである。
「そういやあ、なんだってこんなに人がたまってるんだよ、ここ」
「坊やのご機嫌見舞いさ」
「坊やじゃありません!ご機嫌悪いです」
 郷嶋と青木。
「ぼ、僕は治療に…」
「そうそう郷嶋さん、探してたんですよ。貴方のプラン、Dr.ミマサカが一度試してみたいと」
 関口と中禪寺。
「青木さん、明日アイス差し入れしますよ」
 鳥口が言う。
「変態医師、寝てる間に余計な切開するなよ。おい看護兵、お前の方が信用おけるからみはっとけ!おら木下行くぞ!」
 木場が怒鳴りつつ、皆を外に出す。確かに、手術・摘出・縫合と言った大手当は、里村医師の右に出るものは少ないが、それ以外の軽傷看護手当などについては、内藤の方が信用がおけるというものである。里村は、患者の精神衛生上良くない。部屋からとにかく木場は追い出すのに必死である。
「…青木」
「はい?」
「九時頃には顔出す」
 そう言い残して、木場は扉を閉めた。怒ったような仏頂面を、顔中真っ赤にして。
 青木は、苦笑しながら呟く。
「…イエス、サー。イエス」
 どうせ一晩中ついててくれるんだもの。
 心の中で呟いて、青木はゆっくり横になる。外の穏やかな晴れた空。窓に映る流れる雲を目で追いながら、ふうとため息をついた。
 今日も生きている。
 青木にとって、生きていることを確認することは、とても大切なことだ。繰り返される出撃、戦争が終わるか自分が死ぬか、どちらが先に来るまで爆撃機から降りられない。だから、少しでもこの穏やかな瞬時を、青木は楽しみたい。持っていたい。けれど、せっかくの作戦終了後休暇を病院で消化する羽目になるとは、もったいないなあ。そんなことを思いながら、とろとろと夢の世界へ落ちてゆく。

「…ん」
 髪を撫でられる感触がして、青木は目を覚ました。
 夕飯の後、一休みしていた間に眠っていたらしい。体力が落ちているので、眠気が多いのだろう。寝ぼけ眼をぱちぱちと瞬かせると、そこには木場の顔を認めることが出来た。
「起きちまったか。すまねえ」
「いいえ、先輩が来てくれる約束でしたし」
 そう言って起きあがろうとしたが、木場はそのまま、と止めた。
 外は雨が降っているらしい。ぽつぽつと雨音がかすかに聞こえる。
「雨、降ってますか」
「おお。夜間飛行の奴らは喜んでたな。3・4日は続くってラジオで言ってた」
 雨になると爆撃は中止される。雨の間は命が延びる、恵みの雨なのだ。
「どうせ降るなら昨日から降りゃよかったのに」
 青木はそう言って、笑う。
「だな。つくづく運が悪いんだよ、俺らは」
 木場が鼻を鳴らして答える。
「とびきり悪いですよ」
 苦笑して嘯く青木を、木場は複雑な顔で見て、言う。
「すまねえな。…その、なんだ」
「なに謝ってるんですか、先輩。鬼の木場修が、なんて声出すんですか」
 口籠もる木場に、青木は明るい声で答える。
「何度も言ってますけどね、先輩。先輩に付いてきたことは、全然後悔なんかしてません。ただ」
「なんでえ」
「貰ってくる任務の運が悪いって事ですよ」
 にっこり青木が笑う。
「だって僕ら、死刑判決が怖くて転属命令書にサインして、ここにいるチキンなんですよ。もうちょっと良いの貰ってきて下さい」
「ひよっこのくせに…言うじゃねえか」
 木場が苦笑して、青木の上に覆い被さるように軽く、こつんと額同士をぶつける。
「さ、小僧は寝ちまえな。早く寝て治さねえと、4日間の外出・外泊許可、無効にするぞ」
「それはひどいですよ」
「だから寝ろって。早く治せよ。おかげでバース行きもキャンセルなんだからな」
「先輩、温泉に入りたいだけなんですか…」
「ばーか。待っててやってるんだろうが」
「…ありがとうございます」
 くすり、と青木は笑う。
「あの、先輩」
「ん?」
「小僧の僕にお休みのキス、してくれないんですか」
 何となく木場をからかってやりたい気になって、言ってみた。案の定、みるみる間に木場の四角い顔が赤く染まる。
「ばッ…なに手前言って!」
 青木の家は西洋人の血が多く、風習もまた西洋風にしていたが、木場の家は極力日本風の風習で暮らしていたと言うことを、以前聞いたことがある。なので、キス一つで木場はこんなにも大事に感じるのだ。
「だって僕のこと、ガキだって言うじゃないですか」
「そうだガキじゃねえか」
「じゃあしてみて下さいよ」
 この人、おもしろい。
 そんな青木の耳元で、木場真っ赤になった、凶悪な顔で小さく呟き。
 頬に一つキスを落としてツカツカとドアに向かう。
「…じゃあな!明日また来る」
 真っ赤になった顔を押さえながら、木場は出て行った。
「かわいいなあ」
 残された青木は、頬をバラ色に染めてにっこり笑う。
『Good night,little boy.』
 耳に残る、ぶっきらぼうで優しい声を心に刻みながら。
 大丈夫。生きている。好い夢を見るために。


 ノックの音がした。
「はい?」
 とろとろと眠りにつこうとした青木が起きる。
 きい、とドアが開き人影が入ってくる。
「…せんぱい?帰ったんじゃないんですか」
 決まり悪げに、木場がそこにいた。
「…宿舎の門限過ぎてて入れねえ。泊めろ」
「泊めろ、ってそりゃ構いませんけど、先輩それじゃ外泊証明書どうするんです」
「里村が今日宿直でよ、帰る時に奴に時間教えられたんだ。で、適当に診察書作って、今日は経過観察扱いにしといてくれるってよ」
 バツが悪そうに頭を掻く。
「毛布一枚貸せ」
「え?先輩床に寝る気ですか?やめてくださいよ、いくら先輩が風邪引かないって言っても、僕が虐待してるみたいじゃないですか」
「それは遠回しに、俺をなんだと言いたいんだ、文蔵?」

 結局、自分らは運が悪いのだ。
 だけど、もしかして。一番運が良いのも自分たちかも知れない。
 そんなことを思いながら、青木は笑った。
 

 


 

「あーっ!修ちゃん!!その四角男、修ちゃんだろ!!」
 出し抜けに呼ばれて、木場は持っていたクリップボードを取り落としそうになった。共に歩いていた青木も、びくりと身体全体を振るわせる。
「な、なんでえ?」
 振り返ったその瞬間。俊足の蹴りが飛んできて、木場は咄嗟にガードする。がッッ!と、音がして、木場のその腕を足場に、攻撃者は飛びずさる。
 軽やかに血に降りたその攻撃の主を認めた木場が、素っ頓狂な声を上げた。
「てめえ…!礼二郎か!」
 わはははは!と仁王立ちで高笑いをする男を見て、青木は目をぱちくりさせる。
 イギリス高級将校の軍服に身を包むこの男は、酷く端整で彫りの深い顔立ちだ。西洋人のようである。彫亜麻色の髪で、碧の目。人形のような綺麗な男だ。名を呼ばれた自分の上官とは、まるで違う。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
 怒り心頭の表情で、木場は礼二郎と呼ぶ男に掴みかかる。
「修ちゃんがこっちにいるって聞いたから、驚かせてやりに来たんだ!」
「そんだけのためかあ!」
「うん、そんだけ」
「満面の笑みで答えた男に、木場はがっくりと力無く頭を垂れる。
「あ…あの、先輩?この人…・」
 お知り合いなんですか…?とおずおず尋ねようとした青木が、男の好奇心に火を付けてしまったのは不運と言うしかない。
「おおおっ!なんだこのこまいのは?…そうか修ちゃんのパートナーか!そうかそうか、なんて可哀想な小芥子なんだ!」
「こ、こけし?」
 一方的に喋くられて、青木は目を白黒させる。くい、と顎をすくい上げられる。至近距離で見つめられる。間近に見る深いエメラルドの瞳に、青木は不意にどきりとする。
「そうだこけし。君は小芥子に似ている!」
 kokeshi…とはなんだろう。青木はよくわからなかったが、なんだか馬鹿にされているのはよくわかった。
「な、なんなんです」
「てめえ、青木にちょっかい掛けるなっつの!」
 木場が間に入り、青木を奪還する。
「あー榎木津さん、そこにいたんですかー」
「もう先生、軍帽落としてますってば」
 駆け寄ってくる男が2人いた。一人はイギリス陸軍の軍人。もう一人は、地味ながらも洒落たスーツにキャスケットを被った民間人。どちらも、東洋系の顔立ちである。追いついた二人は、木場と青木に目を向けると愛想良く話しかけた。
「すいません、この人が何かしでかしたみたいですねェ」
「しでかしたとは、カマオロカのくせに主人に使う言葉を選ばないとみえるな」
「だって本当でしょうに…って、いてててて榎木津さん痛い!」
「あ…!修太郎様、木場の修太郎様でしょう!?」
 スーツの若い男が木場を見上げると、太い眉を上げて驚きの声を上げる。
「んだあ…?あ、お前和寅か?な、なんでここに?」
 木場も和寅と呼ぶ青年を見て、素っ頓狂な声を上げる。
「だからお前を驚かせようとして来たんだって」
「煩瑣エ、ボケは黙ってろ」
 榎木津の言葉を蹴って、一番この三人の中で話が通じるであろう和寅と呼ぶ青年に、木場は尋ねる。
「へえ、それがですねえ。今度から、こちらの基地に礼二郎様が配属されまして」
「配属う?ここはアメリカ軍の基地だぞ」
「それがですねえ」
 カマオロカと呼ばれた若い軍人が、長い前髪をかき分けて説明を始める。カマオロカ…名前からして、東南アジア系の人間だろうか。青木は漠然と、その男の八重歯を見た。
「こっから20キロほど北に逢った我が軍の基地がですねえ、空爆に逢いまして。それで再建の間、書くエリアに分散して、当該エリアの管轄下に入る、と言うわけで」
「で、こいつが来たって訳かい」
 無理矢理拗込んだんですけど。
 そう言って、ケケケ、と笑った。
 出し抜けに、バシャリとシャッター音が響いた。
「米英両軍人、共同作戦も和気藹々と躍進中ってとこですかねえ」
 のんきなカメラマン・鳥口である。
「どこが和気藹々だ、目ェ腐ってんのかあほカメラマン。カメラと一緒に頭もピンぼけてやがるのか」
「うへえ、至ってどちらも正常ですよう。木場さん、こちらどなた樣ですか?…えーと、うへえ英国陸軍少佐どのですか」
 鳥口は青木の言葉を代弁してくれた。
「こいつあよ、レイジロウ・エノキヅ。父親が日本の華族様で、母親がイギリスの伯爵令嬢って折り紙付きなのに、なんでこんなトンチキに生まれついたんだか、俺は神の人間性を疑うぜ」
 木場が額に手を当てながら、ため息をつく。
「まったく同感です」
 けけけ、と若い軍人は笑う。
「ガキの頃、こいつアメリカに住んでてよ。俺んちの近くにあった高級ホテルに住んでやがったんだよ。そっちの若いのが、トラキチ・ヤスカズ。こいつは生粋の日本人だ。国籍はイギリスだけどな。礼二郎んちの執事(バトラー)の息子。そっちの野郎は知らねえ」
 よろしく、と挨拶する和寅と、情けない声で抗議する軍人が、なんとも対照的で木場らアメリカ組は少し感心する。鳥口は密かに、このコンビの組み方はおいしいな…と感心していたのだが。
「酷いですよ、僕ぁリュウイチ・マスダ准尉でぇす。榎木津さんの副官やってます」
「全然役に立ってませんけどね」
「酷いですよ、和寅さん!」
「どっちも役立たずだ!」
 榎木津が面白そうに大声で宣言する。
「このお調子小僧はしらねえけどよ、少なくとも和寅はお前より遙かに使える奴だぞ。…って、和寅手前、民間人じゃねえか。立ち入り禁止だぞ」
「わたしゃ、このご主人様のお世話する軍属扱いでさあ。一蓮托生ってとこですよう」
「うわあ、俺なら土下座してでも拒否するぜ」
 イヤそうに顰めた木場の顔は、とても嬉しそうだと、青木は思った。





 出会いもあれば、別れもある。
「もうすぐ約束の地点に近いぞ」
 コックピットから、木場が後ろを振り向かずに声を掛けた。
 青木は三角座りで立てた膝の上に腕を載せ、声を掛けられた人物をそこから覗き見た。
「ああ、手間掛けたな」
 ばちん、とパラシュートを装着しながら、郷嶋が振り返った。
「しかしなあ…爆撃機ってのは、人が乗るもんじゃないな、なあ坊や」
 いつものように、皮肉な笑みを浮かべ、青木を見やる郷嶋に、青木は複雑な顔で見つめ返すことしかできなかった。
「そりゃあそうだ。旅客機(バス)と違ってこちとら機械様、それも爆弾様が乗るモンだからな。あったりまえだ」
 木場が代わりに答える。
「騒音もうるさいしな」
「少しぐらい賑やかな方が、気が紛れて良いじゃないですか」
 そんなことをうそぶく郷嶋に、青木はぼそりと呟いた。
 郷嶋はこれから、極秘潜入し現地レジスタンスとの連携のためにベルリン郊外の森に降下するのだ。ある孤立したレジスタンス解放が任務だ。これまで、何人もの人間が連絡を通じさせようとしたが失敗に終わっている。帰ってきたものは、一人だけだ。今度は、郷嶋が行く。郷嶋は、その降下作戦を、木場に依頼した。
 青木もその成功率の悪さは、知っている。なんだか胸のつかえが取れない。
 レジスタンス解放の成功率の悪さ、だけではないのだから。
 そのレジスタンスのアジトを目標に、爆撃を行う。山と森に囲まれた入り組んだ地形のため、信号弾をアジトから打ち上げねばならない。その任務を、郷嶋は担っている。信号弾を上げるためには、そこにいなければならないはずで、青木はそこに爆撃をしなければならないことにも、胸が支える。
「死出の旅路は賑やかな方が良いからな」
 にやりと郷嶋は笑う。
「そ、そんな意味じゃありません!」
 青木はムキになって抗議する。そんな、そんな意味じゃないのだ。慌てる青木を、郷嶋は可笑しそうに笑って頭を撫でる。
「な、なんですか!」
「坊や、可愛いなあお前」
 むかっとした。こんな奴のことを考えただけでも、損をした感じだ。
「おい青木」
 木場が呼んだ。
「は、はい」
「ハッチ開けろ、もうちょっとだ。それとな、郷嶋」
「なんだ?」
「こう騒音がうるさくて、声も聞き取れねえなあ」
 木場が投げやりに言うその言葉に、郷嶋は苦笑した。
 つまり、今から聞こえる言葉は「騒音がうるさいので聞こえない」言葉なのだ。木場という男らしい、無骨な気遣いであるな、と郷嶋は可笑しい。甘いのだ、と思う。
「そうだなあ、木場」
 答えておいて、青木の方を見やる。
 憮然とした表情の中、青い瞳は不安そうに揺らめいていて、目はウソを付けない。
「青木」
「…はい」
「お前の目。青いルビーみたいだな」
 おとがいを捉えられ、真っ直ぐ至近距離で郷嶋は見る。
 初めて出会った時と、同じ言葉である。
「青いルビーなんて、無いですよ」
 青木は答える。
「あったらどうする」
「…あんたのティータイムにずっと付き合いますよ」
「ホントか」
「ホントです」
 この人は、こんな時に何を言っているのだろう。青木は半ば呆れながら答えた。
「そんなの…あんたが帰ってくるぐらい、ないことですよ」
 ふい、とそっぽを向いて青木は呟いた。なぜだか、本当に胸が痛い。逢えばいつも皮肉でイライラする言葉を掛けられ、からかわれる。郷嶋に、良い感情を持っていなかった青木なのに、どうしたことなのか。青木は自分自身で驚く。
「そうかな」
 ふ、と郷嶋は笑う。
「そうですよ…もっとも」
「もっとも?」
「あんたはなにやっても死ななさそうですけどね」
 それは光栄だ。おかしそうに郷嶋は笑い、軽く青木の朱唇にキスをした。
「な…!」
 驚き動揺している青木に何かを握らせ、郷嶋はいつもの皮肉な笑みを見せ、飛んだ。
「約束、キチンと覚えとけよ、坊や!」
 その言葉を残して。
 豆粒のようになって、白いパラシュートが開いて。そして視界から消えた。
ハッチを閉めようとして、何かを握っている自分の手に気付く。
「あ」
 指輪だ。銀の輪に、青い光を放つ石が一つはめ込まれている。サファイヤだ。青木の瞳と同じ色。
「…青い、ルビーだ」
 青いルビーは、存在しないのだ。青いルビーはサファイアと呼ばれているからだ。コランダムという鉱石が赤いのをルビー、それ以外をサファイアと呼ぶ。だから、これは青いルビー。
「ティータイム、付き合わなきゃ…」
 青木が小さく呟いたのを、木場は機械音の中、黙って聞いていた。 
 その約束を無効にするのは、自分たちだと判っている。










 戦争が終わって三年後。
 なんとか、生き延びた。
 青木と木場、そして木下は市警の刑事として、ロサンゼルスにいた。
 世間とは狭いもので、鳥口も通信局の本社に移動、中禪寺も古本屋を開業、関口もなぜか幻想小説家として小穴ファンを獲得し、ロサンゼルスに住んでいる。
 つい最近では、榎木津と益田と和寅も何故かアメリカに棲み着き、プライベート・ディティクティブなどを開業している。なぜか大型捜査に出没してくるので、木場には頭が痛い日々が続いている。

「ったく、腐れ縁が切れたと思ってたのによ!」
 イライラと煙草の吸い口を噛みしめながら市警のエントランスには言って行こうとする木場を、青木はなんだか楽しそうに見えた。
「まあまあ…でも確かに、捜査の攪乱だけは勘弁して欲しいですけどね」
「そもそも何でアメリカにいやがるんだよ、あのボケ探偵は!スコットランド・ヤードに国際便で送ってやろうか!オマケに、あの従軍鳥小僧までいつの間にか現場に忍び込んでやがってよ…!」
「鳥口君、けっこうおいしい写真取りましたからねえ」
 そう言いながら、戦争中に会った懐かしい面々が平和な今を自由に生きていることが青木には嬉しい。
 ただ、皮肉屋のイギリス情報部員の面影が浮かび、青木はそっと小指にはめた指輪を見た。
 彼が行く前に、自分に残したもの。それは青木の指には小さくて、小指にしかはまらなかったが。なぜか小指にはあつらえたように嵌ったのが、不思議であった。

「あ、青木さん」
 受付嬢から声を掛けられ、青木は振り向く。
「なんです?」
「青木さんをお待ちの方がそちらに…」
 ロス市警の誇る、美人受付嬢が腕で指し示す先にいた人物を、青木は一瞬疑った。
「よお」
 ざんばらの前髪。鋭い眼光を押さえてもいない眼鏡、皮肉めいた笑みを浮かべる薄い唇には、すいさしの煙草。
「さ…としま、さん?」
 あのとき、あのとき…。
「郷嶋?…てめえ、生きてたのか」
 つられて同じ方向を向いて見た木場も目を丸くして、驚きが隠せない。
「おうよ。てめえのケツくらい手前で拭けるさ」
 木場に向かって可笑しそうにそう言うと、黒いコートを翻しつつ近づく。ダーク系で纏めたスーツが見えた。
「てっきり…僕…」
「お、MI6なめんなよ坊や」
「な…舐めてません」
「相変わらず可愛いこという坊やだなあ木場あ。おい坊や、約束を果たしてもらいに来たぞ」
「…え?」
「おまえ、俺のティータイム付き合うんだったろ。お前の約束果たして貰うためにな、俺ぁ在米英国大使館付きに配属希望出したんだからな」
「え…えー?」
 イギリス外務省なにやってるんだ!
 青木はどこにやって良いのか判らない腹立ちをイギリス外務省に向ける。
 そんな青木の手を、郷嶋が取り上げる。
「あ…!」
 指輪をしている手。青木は、反射的に何故か真っ赤になった。
 そんな青木を見て郷嶋はその指輪に、キスをした。
 にやり、と笑う。
「契約は有効だな。木場、ちょっと借りるぞ」
「お、おい待て!青木誘拐してんじゃねえよ!」
「ええッ!ぶ、文さんが誘拐ッ!?」
 木場の慌てる声と木下が掛ける蹴る声が、ロス市警エントランスに響く。

 郷嶋に引っ張られる青木は、今初めて榎木津に苦しめられる木場の気持ちがわかったような気がした。
 でもこれも。悪くないと、心のどこかで思いながら。




                                                             end.

Afterword

新谷かおる『RAISE』を読んだ後、二次大戦の英米両軍の仲の良さとパイロットに萌えまして…ダブルパロ決行。
京極キャラ日本人じゃん→移民・日系でおk→榎さんはアメリカ人にしたら貴族とかできなくね?→イギリス伯爵家の血筋とかでイギリス人でおk…的な。郷嶋がMI6とかは趣味です!ここで「バンコランか…」と思うか「007かよ!」と突っ込むところで二分されると思います。私は前者。
とにかく書きたいところだけ書いたので、可笑しいことこの上ないです。支離滅裂ですいません。
郷嶋はエセ紳士なので、きざったらしいことを普通にしそうです。木場はアメリカでも日本男児を貫いて!的な。青木の青い目は、何となく…出来心で。せっかく西洋系キャラ設定なので。でももっと書きたかった…
飛行機の名前「プリズン・バード」ですが、バードは女の子を意味するスラングなのでたぶん大丈夫でしょう。
最初榎さんはドイツ貴族の血を引いている設定で、対独戦に関して酷く切ないとかを書きたかったが、ややこしくなるのでやめ。
と、鳥青ももっと書きたかったのう。なんにせよ、日本人には比較的マイナーだと思われる歴史の箇所なので、やりたい放題w
爆撃される地名は適当に作りました。バースは実在する、イギリス唯一の温泉地なので、イギリスに行かれる方はぜひ行かれてはいかがでしょう。
あー伊佐間とかも書いてみたかった。ネタとして。本当は、お正月特番何でもあり!で出したかったのですが遅筆君なので季節はずれになりました。あわわ。
何にせよ、京極(特に青木)バンザイと、新谷ものは面白いぞー!と、近代史に君もはまってみないかい?ということ。なんだそりゃ。









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