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seen.1 東京警視庁内にて


「…ごめん。俺、好きな奴いてさ」
申し訳ない。木下は困惑しつつ頭を掻いた。
一瞬、泣きそうな顔を見せたその若い婦警は、まばたきの後にとても綺麗な顔で笑った。


あの娘は、強い。
捜査一課に帰る途中に、木下は思いを巡らす。
先程の婦警は、木下とは顔馴染みの娘だった。いつだったか捜査資料の提示に来た木下に、その時発覚したミスをかばってやり、それ以来挨拶や短い話をする間柄で、木下も感じの良い娘だと心安く思っていた。しかし、ミスをかばったのはただ単に事を荒立てたくなかった幾分日和見的な性格ゆえの事からでもあるし、それ以降の細やかな親交は一般的な知り合いの域から出ていないつもりだった。
そんな間柄だと認識していたに過ぎなかった娘に、木下は己の心を揺さぶらせられたのは、あの笑顔だった。
…わかりました。これからも話友達にはなって下さいね。
ぺこりと軽く頭を下げ、柔らかい笑顔で言ったその姿に、木下は小さく唇をかむ。
ああ、この娘は強い。…俺は同じ立場の時に、きちんと笑えるだろうか。
ため息をひとつつき、足を早めた。


どうにも、仕事の頭に切り換えられない。…15分ほど横になって気分を返るか。
思い直した木下が休憩室に入る。
「あ、圀。おつかれさま」
「…文さん」
先客の青木が一人いた。
「外回りか?寒いよな、今日」
にこやかに尋ねる青木に、木下は低い声で答えた。
「いや、交通課から呼び出し」
「へえ、木下なんかやったの?でもお前ってゴールドだよな。免許」
「婦警の娘から呼び出されて、告白された」
見当違いの事をのんびり尋ねる青木に、木下は心のどこかで苛立ってたのかも知れない。
思わず答えた後、言う筈ではなかったと後悔した。臆病だと我ながら思う。
「え…あ、そうなんだ…。ごめ。…で、OKしたのか?」
少ししどろもどろになった青木は、頭を掻きながら尋ねて来た。臥せた顔を上げ、茶化すこともせずひどく生真面目な顔で尋ねる青木を、良いヤツだな。と思うと同時に腹が立った。かと言って、木下には自分の感情をこの少し大きめの頭をかしげる童顔の青年にぶつけたと言う素直な度胸もなく。ため息をつくと、彼の隣りに座った。
「あ…ごめん、聞く事じゃない、ね」
沈黙の意味をその様に理解した青木は、すまなさそうに謝る。それを見て。木下は先ほどの彼女を思い出す。
そうして、あの笑顔が脳裏に浮んだ時、何故かいつもは踏み出す事が出来ない一歩を踏んでみる覚悟が、実に自然に出来た。
「いや、断ったよ。俺が貰いたい人はその娘じゃない」
ぱちり、と青木のまたたきが聞こえた気がする。多分、いつもの臆病な自分の極限まで緊張したせいだ。だけど、あの娘の笑みが。同じ立場の、仲間のようなあの娘の笑顔が、木下の背中を優しく押した。そんな気がして。
「…俺は、その。お前が、好きだから」

そして、世界は無音になる。

木下はその無音を拒絶の意味と受ける。ただ胸に秘めるしかない、行き場のないどろどろした思いを解放させて、木下は嫌な気持ちになった。
青木に、嫌な思いさせたな。
そう思う。ごめんな、と言うために、口を開いた時、青木の朱唇がわなないた。
「…木下、やっぱさ」
死刑宣告のような拒絶の言葉を待つ木下は、意外な言葉を耳にして、思わず間抜けな顔を晒した。なぜならば青木は、こう言ったのだ。
「やっぱさ僕、チョコとか持ってきたほうがよかったか、な」
「へ…?」
「あ、朝に保険のオバちゃんから貰ったヤツだけど…オバちゃんには申し訳ないけど、緊急用ってことでいいかな」
青木は傍らのラッピングされた小さいハコを開け、中のチョコを摘む。
「圀」
「え、あ、なに?」
「とりあえず今はこれね。…あ〜ん」
思わず口を開けた中に小さなチョコを入れられる。甘い甘い味覚が広がる。
「おいし?」
少し照れくさそうに微笑む青木に、木下は慌てて尋ねる。
「な…青木?これ…どう言う意味だ?」
全く意味が解らない。からかわれているのか?
しどろもどろの木下を青木は、子供のような陰りのない笑みを見せた。

「やだなあ、圀。でも圀のこういとこがいいんだよね。今日チョコあげるって意味、知らないの?」


「ね、僕にはくれないのか?」
慌てて青木の口にチョコを食べさせてやる。一瞬だけ触れた青木の朱唇は柔らかくて、木下はどぎまぎとした。
青木はそんな木下を見て、悪戯っぽく微笑むと囁いた。
「帰りにチョコ買ってあげるよ。でも恥ずかしいからさ、チロルチョコなら買えるけど、いる?」
木下の返事は聴くまでもなく、逆らえるわけもない。

あの娘の綺麗な笑顔が、苦笑した気がした。





seen.2 東京の雑踏とコーヒーショップにて

はあ、と青木のため息が、白くなる。
「なんでえ青木、疲れたか?」
隣りを歩く木場が、目敏く見つける。聞き込み調査の帰り、後は警視庁に帰る道筋の昼下がり。
「いえ…でも、ちょっとだけ」
はにかむような笑顔を見せた青木に、木場は仕方ねえなあ、と苦笑した。
「ちょいと休憩するか」
そして入ったコーヒーショップの暖気に二人は思わず安堵のため息をつく。
「先輩、僕買って来ますんで、席取って置いて下さい」
「おうよ。適当に見繕ってくれ」
ひらひらと手を振り、木場は店内に入って行く。
青木はメニューを見上げて、読んでゆくうちに。
「あ」
小さく声を上げた。
「…のショート、ベラフロレンティーナのショートと、あとダブルモカスコーン」
注文の品を受け取り、ソファに腰掛ける木場に持って行く。
「はいこれ、先輩」
暖気が逃げないよう設計された、飲み口の空いたフタ付の紙コップを渡す。
「お、すまねえな。…なんでえ、菓子なんて食うのか」
皿に乗っかったスコーンを見て、木場は尋ねる。
「ええ、なんかお腹空いちゃって。それに…」
笑う青木を見ながら、木場はコップに口を付ける。
「それになんだよ…って、おい青木!?」
一口飲んだそれが、木場の思い浮かべていたそれとは全く違って。木場は素頓狂な声を出した。
「はい?」
「てめえ青木、コーヒーじゃねえじゃねえか」
いつもの習慣で、コーヒーと信じ切って飲んだそれは、甘い甘いホットチョコレートだった。
「ええ。だって今日バレンタインですよ」
おかしそうに笑う青木に、木場は赤面する。怒鳴りつけてやろうかと思ったが、青木の子供のような笑顔に何も言えない木場は、照れ隠しの睨みを利かせながら、無言でホットチョコレートを飲む。
…甘い。
「あの…イヤだったですか?すみません…。こっちはちゃんとコーヒーですんで換えてください」
その睨みに青木はすまなさそうに謝る。ほんの冗談のつもりだったが、木場に黙って怒られると、しゅんとしてしまった。
「こっちでいい」
「…え?」
「こっちでいいってんだ。てめえが寄越しやがったんだろうが」
あくまでも不機嫌な顔で言ったつもりが。どうしても赤面してしまう。
そんな木場を、青木は目を丸くさせて見つめていたが、嬉しそうに幸せそうに微笑んだ。
「は…はい!あと、こっちのスコーンもチョコのなんです!食べて下さいね」
まるで子供のような微笑みは、チョコよりも甘く木場の心に沁みる。
「…クソ。甘えな…」
木場は小さく呟いて顔を手で覆った。



そんな2月14日の昼下がり。








seen.3 神田・薔薇十字探偵社内にて


「…和寅、珈琲」
ドタンバタンと派手な物音と奇声が30分程聞こえた扉の向こうから、我らが探偵・榎木津が寝ぼけまなこで出て来たのは、10時も近い頃だ。それでも探偵にとっては朝に入る。
「あ、先生。御目覚めで?はいはいただいま」
益田ととりとめのない会話で盛り上がっていた和寅が、ぱっと立ち上がり、人懐っこい笑みを浮かべて、ぱたぱたと台所に駆けてゆく。
「榎木津さん、おはようございます。昨日僕が帰ってから、凄かったんですってねえ。和寅さんから聴きましたよ。いくら酔った勢いでも、深夜に木場さんと神田の商店街で短距離走して負けたら一気、って凄いですよ色んな意味で」
「木場修のバカが体力が落ちたとか、あいつからとったら豆腐になるみたいな事を言うから、少し僕が鍛えてやったまでだ」
「うわあ…帰って良かった」
益田が飲んでいたカップを下ろし挨拶した。それを一瞥した榎木津は、益田の飲むそれが、いつもの珈琲でないことに気付く。
「益カマ、なんだそれ」
どっかと探偵席に収まった榎木津が尋ねる。
「え?ああ、これですか?ホットチョコレートですよ。和寅さんに今日、入れてもらおうと思って持って来たんです」
ニヤける益田を睨んで、榎木津が尋ねる。
「なんで?」
「それがですねえ…」
ちょうどその時、珈琲の良い薫りが、榎木津の鼻をくすぐる。和寅が不機嫌そうな顔で探偵席にソーサーごと珈琲を置く。
「それがですねえ先生、益田君がのたまうにはですな、今日は特別なんだそうですよう」
つん、と厚めのぽってりとした朱唇をとがらせ、和寅は困ったように話しだす。和寅は、困って照れて恥ずかしいのだ、と榎木津は受け取った。和寅の顔の表現はパターンが少ないが、榎木津にはその些細な変化が手に取るように把握出来る。
「なんですか、今日はバレンタインだからって。わざわざ自分でハーシーの大袋買って来るんですぜ。私ゃむしろ憐れんだほうが良いと思うですな」
「ああ酷いな和寅さん!だってバレンタインですよ。でも、和寅さんがそんな気の効いた事してくれるわけないじゃないスか。だから」
「なんで君に私がやる義理があるんですかな。だからって持ち込んでくるたあ、仕方ないんで備品扱いにして淹れて差し上げたんでさあ」
そんな下僕達の訴えを聴いているうちに、珈琲は残り一口だ。榎木津はぐい、と煽り、和寅を一喝する。
「こらバカ寅!」
「へ?なんですよう」
「なんで僕に早く持って来ないのだ!お代わりだ!」
「は?チョコですかい?」
「そうだ!バカオロカにあげて僕に呉れないとは、なんたる不遜!」
は、はいただいま!
慌てて台所に走る和寅と、呆気にとられる益田だったが、益田は気を取り直して言う。
「え榎木津さん、なんですヤキモチですか?」
へらへらと笑う益田に榎木津は、容赦ない命令を下す。
「益カマ、今から30分でチョコケーキをホールで買ってこい。じゃないと、お前クビ」
そ、そんなあ!と嘆きの声をあげる益田をよそに、榎木津の鼻腔に甘いチョコの匂いが漂って来て。満足した。











seen.4 再び東京警視庁にて


外回りからの帰り、交通課の前。ばったり出会った相手に青木はあからさまに嫌な顔を見せる。

「よう坊や、今日もオッさんのお供か?」
「坊やじゃないです青木です!お供でもないです、相棒ですから。それに第一、木場さんと同じ年の郷嶋さんだってオッさんじゃないですか」
ぶう、と顔をしかめて反抗する青木に、隣りにいた木場は、…俺がオッさんと言う点はスルーなんだな、と少なからずヘコむ。
物見高い婦警たちが遠巻きに眺めているのに、青木は気付かない。
「へえ、俺もオッさん扱いか。良い度胸だな坊や」
「ぱっと見の見掛けならまだ若いと言えなくもないですがね、あんたのイヤミ言う趣味とか言動、オッさんじゃないですか。ねえ、先輩!」
「…あ、ああ…」
青木に声を掛けられて、やっと我に返る木場は相当ショックだったようである。
そんな二人を可笑しそうに眺めて、郷嶋は笑う。
「今日も相変わらずはねっかえりで元気だな。…そら、オジサンがご褒美やるよ。ジッとしてな」
「な、なんです」
「こら動くな」
優しく頭に触れられて、唐突な事にたじろいだ青木だが、ちゃんとおとなしくしてしまうところが敗因である。
「なんでえ…郷嶋」
郷嶋が手に持つご褒美に、木場は目を丸くする。それにニヤリと返した郷嶋は、青木の耳元にそっと差し入れて飾る。
「よし。ご褒美だ」
「え…?」
思わず頭に手をやる青木に、ギャラリーの婦警たちが大慌てで止める。
「ダメ!とっちゃダメ!」
驚く青木に、一人の婦警がポケットから小さい鏡を出して見せてくれた。
「え…なっ!なんですかこれ、…郷嶋さん!」
青木の耳元に、一輪の白椿。
「いいだろう。似合ってるよな、なあ木場」
無垢の白椿は、あまりにも青木の童顔に似合う。思わず見入ってしまった木場は、郷嶋のニヤニヤとした笑いに気付かない。
「青木さん、写メ取って良いですか?!」
「やーん可愛い!あ、郷嶋さんと木場さんも入ってくれます?
あまりの事に混乱中の青木は、されるがままである。
「あ、その写メ俺のアドに送ってくれるか?青木単体のもな。ついでに木場にもな」
「なっ…郷嶋てめえ」
「え〜?木場さん要らないんですか?」
「そうですよぉ」
「…」
「な。素直になっとけ」
「さ、郷嶋さん!一体なんのマネ…」
ようやく青木が、顔を真っ赤にさせて抗議する。それでもまだ外していないところが律義だ。
「なんのマネって、今日はバレンタインだからな。欧米じゃ花を贈ったりするんだよ。知らないのか」
「欧米かよ!」
木場が突っ込む。
「バレンタイン…!」
そう呟いた青木の顔がみるみる真っ赤になるのを、木場は面白くなく。郷嶋は満足して笑う。
「じゃあな。…っと。木場あ」
「…なんだよ」
「坊やからチョコ貰ったか?」
すれ違いざまに訊かれ、先ほど飲んだホットチョコの味を思い出して木場は。
青木に負けないくらいの赤面を慌てて隠した。



                                                             end.

Afterword

seen.1 木下青
木下×青木における第一前提は、ヘタレと小悪魔ちゃんですから! どうでも良いですが、最近私のなかで、旦那にしたいキャラが木下ですw

seen.2 木場青
私の中の王道。舞台思いっきりス●バなのが笑えるな。 甘さにキブアップした木場が青木とはんぶんこすればいい。甘い甘い! なんで日本のス●バにはホットチョコレートがデフォでないんでしょうか?あの甘すぎるにもほどがある味が、大好きだ。

seen.3 益和+榎和
なんじゃこら。 益田のほうが自腹でなんとかしてイベントにこだわってれば凄い良い。 これでも益和で榎和と主張。 愛される和寅。緩い意味での軟禁状態の和寅が大好きです。

seen.4 郷青
郷嶋のおもちゃは木場青のコンビ両方。seen2の後ってことで。 このあと、木場の携帯待受が婦警さんから送って貰った花青木の写メだったら泣ける。 木場の突っ込みはあえて三村風という感じで。うちの郷嶋…ばかです。そして婦警さんたちノリすぎ。


◇◇◇
日記に載せたものの再録。ところどころ修正。









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