玉米花−ポップコーンー

 昼下がり、安和寅吉は探偵社のソファにゆったりと横になって、ラジオのニュースを聞くともなく聞きながら、うとうとと微睡みの中をたゆたっていた。
 騒がしい探偵閣下は、珍しく午前中に起き出してどこかに飛んでいってしまった。
 彼がいると掃除もままならないので、正直和寅にとっては己の仕事が捗るという意味で都合がよい。おかげでサッサと探偵社内の掃除を終わらせ、和寅は自分のために珈琲を入れる。二時過ぎからは、和寅がいつも聞いているラジオ番組が始まる。和寅は特にもうやることもないので、悠々とその時間を楽しむ。
 スチームのほどよく効いた暖かな部屋で、柔らかいソファに身を沈めて、和寅は履いていた草履も脱ぎ捨てて雑誌を片手に寛いだ時間を送っている。

「おーい和寅和寅!!帰ったぞー!」
 突然の大音量に和寅は春眠を破られる。
「…ひえっ!?は、ははははい?…あだっ!」
 慌てすぎてソファから落ちてしまう有様だ。
「はは…大丈夫かい」
「なんでえ、寝てやがったのか。可哀相になあ…」
「あららエヅ、ダメだよー。和寅動転しちゃってるよー」
 何事かと目を白黒させて顔を上げると、これまた仰天する。禿頭で兵隊服を着込んだ黒眼鏡の大男が自分に向かって手を指しだし、顔の四角い体格の良い男が悼む様な表情でこちらを見、どうみても堅気に見えない怪しげな風体の男が自分を指して可笑しそうに笑っている。全員が顔見知りとはいえ、ついさっきまでの和やかな雰囲気をぶちこわされて和寅は、ふわあ、と小さく声を上げた。
「あ…ありがとうございやす、川島の旦那…」
 厳つい風貌とは反して優しい川島に引き揚げて貰い、和寅は立ち上がる。神経質にパンパンと、袴を叩く。
「っていうか、なんなんですかい?出入りですかい旦那方」
「何惚けたこと吐かしてやがんだ、このスットコドッコイ」
 いや、みたまんまを言っただけであるが。
 むう…と顔をしかめた木場に、和寅は頭を掻きつつ、あははと空笑いする。
「なんでもよ、榎木津のバカヤロ…」
「馬鹿とはなんだこの四角馬鹿!」
「ひゃあ?!」
 いきなり後ろから大音量を発したのは榎木津である。
「そんなことより和寅!これつくるぞつくるぞ!」
 目の前に突き出されたのは、黄色の袋に赤文字で、CARAMEL POPCORNと大書してある。毒々しいまでの原色が目にちかちかする。
「きゃ…きゃらめ?」
 一応は中学で英語を習った記憶がある。最初の数文字だけは読めた。これがなんだというのだ。どうやらアメリカのものだと言うことは了解した。
「なんでも良いから、おもしろいぞ!見せてやるからこっち来い!」
 草履さえもまともに履かぬまま、台所に拉致される。
 その様を同情たっぷりの目で見送る二人と、面白さたっぷりの目で追う一人。
「あーあ…和寅君連れてかれたよ」
「持って生まれた星が悪ィんだな、和寅はよ」
「いやあ、エヅのオモチャって立場は貴重だよー」


「な、なんなんですかい先生?」
「鍋鍋…」
「先生、そこは食器棚ですぜ。…はい、これくらいの大きさで良いで…え?もっと大きいの?」
 がしゃがしゃと和寅は大きな鍋を榎木津に渡す。上機嫌に受け取って、榎木津はふたを押さえて軽く振り、満足した樣子である。
「せ、せんせい?」
 なんの踊りだ。
 突然の珍行動はいつものこととはいえ、和寅は面食らう。そんな和寅を置いてけぼりにして、榎木津は鍋を机に置くとクルリと音がしそうな程に素早く綺麗に回転して、和寅に対峙する。
「バターだバター。あるか?」
 二度目の命令。訳もわからぬままにバターを取り出す。
「あーっ!そんな適当に使わないで下さいよう!もっと綺麗に掬って下せえや…!」
 バター一掬いにしても、汚く取り零しが無いように気を付ける和寅にとって、榎木津によって傍若無人にバター容器の上っ面を掬われ、悲鳴を上げた。
 和寅の涙ながらの非難も全く意に介していないようで、榎木津は、先ほど持ってきた紙袋を開けて、中から袋を取り出す。
「ですから、先生それァなんなんですよう」
 いい加減に教えてくれないので、和寅少し頬をふくらませながら問う。
「タネ」
「たねえ?…種ですかい」
「そう。あとは、秘密」
 悪戯を仕掛けた子供のような微笑みで、榎木津は和寅に答える。そう微笑まれると、和寅は苦笑してしまうほかない。
「しかたないですやねえ。とにかく、その種をどうするんです」
「ここに入れる」
 言うが早いか、ざあああッと小さなさざ波を立てて鍋に空けられたのは、小さな金色の粒。何かの種であることは判った。
「わあ先生、これ植えるんじゃないんで?」
 バターの中に入れてしまうなんて!
 和寅が慌てると、ごん!と榎木津の鉄拳が飛んでくる。
「馬鹿者。お前はワタでも作るつもりなのか?」
「は…はあ?綿?」
 まるきり意味のわからない事だらけだ。
「あと、塩ちょっと持ってこい」
「はあ…一掬いくらいですかい」
「そんなものだと思う。それと…何々?この茶色も一緒に入れるのか」
 袋に書いてある英語の説明文を榎木津は、酷く真面目に読んでその通りに従っている。なんだか珍しいこともあるもんだ、と和寅は心の中で驚いた。
「そんで準備お仕舞い」
「はあ」
 一体なんだというのだ。和寅は太い眉根を寄せて首を傾げる。
 コンロの上に鍋を置き、榎木津は傍らに置いてある鍋つかみを二つ取ると、嬉しそうに和寅を呼ぶ。
「和寅、おいで」
 コンロ付けて。これ付けて。
 榎木津の言う通りにすると、丁度コンロに向かった和寅を包むように榎木津が腕を伸ばし、和寅の鍋の取っ手を握った手に重ねる。分厚い布越しに、榎木津の大きな手を感じて、和寅は少し驚く。
「何が始まるんです」
「もうちょっとたったら」
 はあ、だか気の抜けた声を出して、暫く鍋を炙る。

 ぽん!
 出し抜けに鍋の中から破裂音が響く。
「ひゃ!」
 突然のことに和寅は全身の毛が逆立つような驚きを受ける。思わず、飛び跳ねてしまい、とすんと榎木津の広い胸板に背を預けてしまう。
「わはは!驚いたか!和寅、お前がにゃんこなら、しっぽ太くなってるなあ」
 榎木津は悪戯が大成功した子供のように大笑いして、和寅の狼狽した顔を覗き込む。
「お…驚きました、って先生、これ大丈夫なんですか?」
「これで良いのだ!ほらぽんぽんぽん!」
 榎木津は心底愉しそうに、鍋の中から聞こえてくる破裂音に合わせてポンポン言っている。
 和寅の心音も、榎木津の腕の中でぽんぽんぽんと同じように跳ねていた。


「わ…あ」
 やがて収まった破裂音に、コンロを止める。そして鍋を空けるとふんわり甘い香りが漂った。
「どうだ!すごいだろう!」
「ポップコーンでしたかい。ひゃあ、私ゃこんな風に作るとは知りませんでしたぜ」
 鍋の中で、白い花がカラメルを纏って咲いていた。
 ひとつつまむ。
 熱くて、ふんわりとして、甘い匂いが和寅の頬を緩ませる。


「礼二郎、満足したか?」
 慌ててその声の方を見ると、木場が苦笑しながら立っていた。
「ああ、和寅のビックリしたのが面白かった!」
「木場の旦那…」
「お前、寝てりゃ叩き起こされるわ、いきなり訳わかんねえもん作らされるわ、ホントに可哀相になあ」
 そう言って、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた。
 それでも。
 実はそんなに可哀相じゃあ、無いんですよ。
 と、和寅は苦笑した。

「で、いったい何でまたこれを」
 一同に珈琲を入れた和寅が、一口啜ってから尋ねる。
「いやねえ、うちでエヅが見つけたのさ。ポップコーンの種。多分なんかの取引んときに貰った奴だと思うんだけどねえ」
「それで作りたい作りたいって、この馬鹿うるせえんだよ」
「はあ…」
「それに和寅君を驚かせたいって言うから」
「あんなに驚くとは想像以上で面白かった!」
 そう言って、皆は笑う。
「はあ…」
 ぽり、とまだ暖かいポップコーンを頬張りながら、そのとろけてゆくような甘さに、和寅は甘さと熱を感じた。



「で」
「ん?」
「みなさん今日はどうしたんですかい」
「ああ、どうせみんなで飲むんだから和寅君も誘っていこうって事になって」
「一人くらいマトモな奴がいないと、はっちゃけて飲めねえしな」
「いやいやいやあ、そう言いつついつもはっちゃけてるじゃないねえ。ってことで、和寅、僕含めてみんなのお守り役頼んだよー」
「び…びんぼうくじ!」
「お前そうでもしないとここから滅多に出ないだろう!どんだけ出不精なんだ。主人の温かい恩情だと思え!」
「ぎゃあ!」
「愛されてるねえ、和寅」
「…のか?」
「歪んだ愛の発露、と言えばいいのかな」
 そんな、昭和二七年初春の探偵社。

 甜愛米玉花−甘い愛のゆうみぃふぁ、ぽんとはじけて甘く咲く。
 
  





                                                             end.

Afterword

あまいあまいあまい!
和寅と強面のお兄さんたちを書きたかったのだけれど…あわわ。
昭和27年設定なので益田はいません。(益田嫌いな訳じゃないよ!ただこれ以上人増やすとめんど…)
なんだかんだ言って、榎木津は和寅を色々振り回していればいいよ。そんで「しょうがないですや」って和寅は苦笑してればいいよ!
どこかで見た『和寅、いつも探偵社内から出てない。丼だけ出無精なんだよ』という突っ込みに笑ったので、エノさんがそこの所気付いて、色々ことあるごとに振り回してくれればいいなあ。そんで、それを同情込み面白可笑しく見つめる悪友たち。みたいな。
木場と川新は常識人だと思うよ。

…お題は「甜点15題」からお借りしました。玉米花=ポップコーン。読み:ユウミィファ。
中国語スイーツで行ってみよう。漢字って可愛いよね。









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