愛是個什麼東西−愛とはどんな物かしらー

 「…あ」
 青木の吐息にも似た呟き。
 木場はその声を逃すことなく捉え、歩きながら振り向いた。
「なんでえ」
 木枯らし舞う師走の東京。坂のある街に彼らはいた。
「あそこにいるの、鳥口君じゃないですかね」
 木場が青木の視線と辿ると、遠くの信号機の下。そこに鳥口が太平楽な笑顔で手をぶんぶんと振っていた。
「お気楽小僧か…なんでえ、あの締まりのない笑いはよ」
「えらい、キチンと信号が青になってから走ってきてますよ。あ、転ん…持ち直した」
「なにやってんだ手前は」
 木場に呆れられつつも、鳥口は笑顔で走ってやって来た。
「あはは、なんだかお久しぶりですねえ木場さん」
「お久し振りッたってお前、3週間前かなんかに礼二郎の所で飲みやって会っただろうが」
「まあそこはそれ。青木さんとはこないだ会ったばっかなんですけどねー」
 調子の良い笑顔で青木に向かって同意を求める。
「そうだね。…こないだはありがとう」
 互いに頷き合う。微かにはにかみながら鳥口に話しかける青木を、木場は何故か苦々しく思った。
 こないだってなんだよ。
 そんな憮然とした表情を察したのか、それとも全く気にしていないのか鳥口は頭を掻きながら上機嫌で答える。
「いやあ、全然構わないですよ。寝ちゃってもちゃんとお持ち帰りしますんで、安心して飲みましょうや」
「また変なとこ撮るんでしょう…やだなあ」
 変なとこ、ってなに撮ってんだ…。木場は心の中で突っ込みを入れる。
「変なんかじゃないっすよ!ねえ、木場さん!」
 今まで蚊帳の外だった会話に突然話題を振られて、木場は内心驚く。
「あ…ああ?」
「なんですかね、僕の写真をよく撮るんですよ鳥口君」
「僕の考えるテーマぴったりなんですよ、青木さんってば」
「写真だあ?こいつ撮って楽しいのかお前は」
 素っ頓狂な声で木場は問う。寄せた眉根の感触を、木場は生々しく感じた。
「そりゃあもう!ある時は社会悪に立ち向かってゆく勇敢で精悍な刑事、ある時は幼さを残した学生のような初々しさを持つ青年、またある時は世知辛い世間に疲弊して困憊する若き社会人、而してその実態は!僕の一番の被写体ですな。ってことで、これからもバンバン撮らせて貰いますよう」
 流行りの映画のフレーズを使って、鳥口は力説する。
「なんか照れくさいよ…」
 少し大きな頭を軽く抱えて照れ笑いする青木を、気に入らないのは何故なんだろう。
 そんな気分自体を意識下に持ちながら、木場は鼻で返事をする。
「はん…!」
そんな反応を見たからかどうか鳥口は、ひょう、と短く口笛を楽しそうに吹いた。そして思い出したように、肩にかけていた鞄から小さめの茶封筒を取り出す。
「そうそう、お二人にちょうど会えたから。こないだの飲みの時の写真、面子数だけ焼いたんで貰って下さい」
 封筒から取り出した写真は、神保町の探偵閣下邸での一コマだ。誰もが自然で和やかな雰囲気の一枚だった。
「わあ…ありがとう」
 青木がその写真に見入っている傍ら、鳥口は別の写真をフォルダーから数枚選び出し、木場に渡す。
「はい、こっちは木場さんの別件」
「俺の?別件?」
 サッパリ心当たりがない。
 渡された写真を見ると、そこには楽しそうに童顔をほころばせて、向かいにいるであろう人々と笑っている青木の写真。くだんの飲み会の時に撮った写真だ。不覚にも、木場の心臟が踊る。そんな自分に自分でビックリである。
「なんで…」
「先輩それは?」
 なにげなく聞く青木に、瞬時固まってしまう木場。す、と鳥口は木場の持つ写真の2枚目に手を伸ばしてそれを青木に見せる。
 ちょ、お前!
 木場が動転して心の中で叫んでいると、鳥口の暢気そうな説明が始まる。
「これ、師匠んちの猫ですよ」
「ああ…たしか柘榴だったっけ?…やあ、可愛いね」
 慌てて青木の手にある写真を確認すると、確かに縁側で眠る猫の写真である。
「ほら木場さん、こないだ師匠のとこの猫が可愛いって言ってたじゃないすかあ」
 そんなこと言っただろうか。
 しかしとりあえず、鳥口の腹芸に乗っておく。
「ん…言ったかも知れねえなあ」
「先輩、意外と可愛いもの好きですもんねえ」
 青木が言うのを、鳥口は可笑しそうに笑った。
「…うるせえよ」
 素早く青木の持った柘榴写真を取り上げ、鳥口の言う本来の『別件』写真と飲み会写真と共に、背広内側の胸ポケットに入れ込む。
「じゃあ、僕ぁこのへんで。一に取材に、二に取材。貧乏暇無しですな」
「大変だね」
「青木さんたち程じゃ無いっすよ。…あ、木場さん」
「なんでえ」
「ちょっとは見逃して下さいよう」
 いつもの脳天気な笑顔で、さらりと言う。
「…馬鹿野郎。だれが許すか」
「うへえ」
 鳥口は肩をすくめる。ふん、と木場は鼻から強く息を出す。
「なんです、二人とも」
「いえ別に。青木さん、また連絡します」
「うん、今度はお手柔らかに」
「またまたー。いっつも僕ぁ優しいじゃないですか。怖ァい御目付がいらっしゃるし、下手なことァ出来ませんよう」
 がははと豪快に笑い、鳥口は東京の雑踏へと融けていった。
「相変わらずだなあ」
「あのお天気小僧が…」
 木場の渋面にも気付かず、青木は意外と広い鳥口の背中を見送る。
「先輩、御目付ってなんです?」
「…知るか。行くぞ、青木」
「あ、はい!」
 不思議そうに見上げた青木だったが、それでもすぐに微笑んで木場の後に付いていった。
 初春の昼下がりは冷たい風が吹いても、それでも日差しは暖かだった。


 警視庁一階の総合受付。
 そこで青木は再び声を上げる。
「あれ?…もしかして、山下警部じゃ」
 役者のような男が受付に礼を言い、こちらの玄関の方へと歩いてくる。
「は?ああ…神奈川県警のか。しかしなんでまた東京に」
「さあ…あ、やっぱり山下さんだ。お久しぶりです」
「え?君は…青木君じゃないか。久し振りだね。ああ木場刑事も…」
「久方ぶりです」
「ええ。あ、まだ私名刺渡していませんでしたね」
 少し疲れたような役者顔の男は、微笑んで握手を求めた。そして、胸元から名刺入れを取り出して木場に差し出す。
「改めて。神奈川県警の山下と申します」
 わざわざ改まる真面目なその雰囲気が、青木に似ている気がした。いわゆる優等生気質というのだろうか。しかしこの男は、どちらかというと、その雰囲気で余計な面倒を被っていそうな、そんな男だと木場は感じた。
「警視庁捜査一課の木場です。名刺が…っとどこ行ったかな。ああ…すんませんこんなので」
 言いながら、木場も名刺交換をする。
「ところで、今日はわざわざ東京までどうされたんですか?」
 もし差し支えないなら−。
 青木は控えめに笑い、遠慮がちに山下に訊いた。
「今日は呼び出しを受けてね、大磯の件の最終報告だよ。これで本当に解放される」
 撫で付けた髪を掻き上げながら、山下は答える。
「お疲れ様です。山下さんも、あの節は本当に大変でしたね」
「君が一番大変そうだったよ。同僚の、ほらなんと言ったかな、若い刑事がいつも君を心配してたじゃないか」
「ああ、木下ですね。あいつなんだか僕のことを誤解しているみたいで、僕は意外に感情的なんで、あいつ僕が暴れ馬にならないように心配しているらしいですよ。なんだろうなあ。…あ、でも、ご心配ありがとうございます。僕は丈夫なだけが取り柄ですから」
 そう言って可笑しそうに笑うのを、山下は苦笑した。木場も苦笑する。捜査中の青木を見ていて、木下の心配は十中八九当たっている。冷静で善良で聡明で良識のあるこの優等生は、意外にその反動が若さ故なのか生来なのか爆発すると反動が激しい。それを自分で気付いていないところが、青臭くて若いな、と二人は思った。
「そうかい。それでも身体は気を付けた方が良い。しかし後始末もいろいろと大変でねえ。捜査とは違う苦労だな。もう一度、君に来て貰いたいほどだよ」
 そう言って山下は、照れくさそうに笑った。
「え…あ、はぁ。でも僕なんか…」
 青木も突然の褒め言葉に、どぎまぎとしている。
「悪いが山下さん、やらねえよ」
 苦笑して木場は、青木の少し大きな頭の上に手を載せた。青木は驚いたように一重の目を大きくさせ、そして嬉しそうに笑った。
「はは…残念だ。青木君とは気が合いそうだと思ったんだが」
 力無く笑う山下に、青木がはにかみながら答える。
「だめ、みたいです」
「そのようだね」
 可笑しそうに青木と山下が笑い合うのを、木場は自分が笑われていることに気付き、いらいらと落ち着かない雰囲気で煙草を取り出すと、火を付けた。
「では私は失礼するよ。…今度は現場で会うのではなく、キチンとしたところでお会いしたいな」
「はい、そうですね。ぜひ」
「キチンとしたってなんだよ…」
「ああそうそう、青木君。君にも察庁の方から聞き取りがあるかも知れない」
「意外に大きな事件だったんですねえ」
「うん…公安も出向いていたことだしなあ、そちらの方向からの事だと思う」
 力無く小声で呟く木場をよそに、二人は玄関先へと歩きながら、例の事件の話をしている。一人取り残された木場は深く息を吸い、煙草の煙を肺に入れる。

「なんだ、鬼の木場修の背中が寂しそうじゃないか」
 いきなり背後で低い声が呟かれ、木場は吸った空気がうまく肺から出せず、驚きで噎せる。
「ッゲホゲホッ!!な…なんだ手前、郷嶋か!?」
 にやにやとザンバラ髪と西洋ものの眼鏡の奥から、細い目が木場を笑っていた。
「なんだよ…別に俺ァ…!」
「照れるなよ、いい年して。青木、譲るのはイヤなんだって?」
「…聞いてたのか」
「まあな。こんなホール上の場所で話してると、音が拡散されて盗聴されやすいぞ」
「俺にぁ関係ない知識だな」
「知っておくと便利な豆知識だけどな。可愛い坊やとの密談、聞かれたくないだろ」
「ああ?」
「先輩、お待たせし…あ!郷嶋さん…!」
 戻ってきた青木の声が、強張る。
「よお坊や、優等生同士の会談は和やかだったか」
「だから坊やじゃないです、青木です。それに、僕はともかく山下さんのことまで誹謗するのはやめて下さい」
「誹謗に聞こえたか。そりゃすまない。まあ案外耳も確かだったな」
「本当に失礼な人ですね。だいたいなんでこんな所に、貴方が来るんですか」
「俺が玄関に来ちゃダメなのかよ。共助課から資料届いたから貰ってきたんだよ」
 ほら。
 ぱさりと持っていた茶封筒を、青木の頭に乗せた。
「わ、やめてくださいよ」
 乗せられたその茶封筒を律儀に持たされているところが、青木の敗因だと木場はため息をついた。
「俺もこないだ察庁から呼ばれたから、坊やも明日あたり聴取かかるんじゃないか」
「そんなに厄介な事件だったのか」
 さりげなく茶封筒を郷嶋に押し戻してやりながら、木場は尋ねた。
「厄介って言えばそうだな。企業秘密にしたいようなネタばっかだったから穏便に済ませたいんじゃないのかな」
 にやりと木場に向かって笑い、小脇に茶封筒を挟むと胸元からタバコの箱を取り出す。
「もらい火、いいか」
「おうよ」
 顔を合わせ、煙草の火を分ける木場と郷嶋に、青木は大人の雰囲気を感じて瞼をしばたたかせた。
「…ありがとよ。おい木場」
「なんでえ」
「俺が、貰って行くよ」
 意味ありげな瞳が、眼鏡の奥から木場を見据える。声は笑っているのに、瞳は笑っていない。
「…ぬかせこのヒョウロク。手前には絶対ェ渡さねえ」
 察しは良い木場が、細い目を更に細めて睨み返す。何を示して言っているのか、百も承知の上である。青木は、彼らの話が解らずきょとんとしている。それが余計に木場を苛立たせ、郷嶋の口元に笑みを増やす。
「暁得勒、暁得勒…有意思ロ阿、イ農拉(わかった、わかった…面白いな、お前らは)」
 身を退いた郷嶋は、紫煙を吐きながら可笑しそうに鼻で笑う。異国の言葉を呟いて。
「あ?」
 何を言ったのか判らず、木場は訝しげに聞き直す。青木も首を傾げる。
 このひと、時々わかんないこと言うんだよなあ。
 小首を傾げていると、青木の頭に再度、茶封筒で軽く叩かれる。
「坊や、いろいろ愛されてんなぁ。お前」
「…え?」
 青木が顔を上げて問うと、もう郷嶋は後ろ手に手を振って階段を上がっていってしまった。
「ねえ、先輩」
「…なんだ」
「愛されて…って、なんのことなんでしょうね」
 そんなことを真剣そうに振り向いて尋ねる青木を見て、木場は苦笑して頭を掻いた。

 そりゃお前。…今日一日、可愛がられ通しだったろうが。
 心の中で呟いて、肝心の本人だけに気付かれていない今日の人々に、木場も混じって溜め息をつくのだった。





                                                             end.

Afterword

いろんな人から愛されてるのに、気付かない小芥子。物事には敏感な方だと思うんですが、自分のこととになると、鈍感そうです文蔵。そして気付いてて苦労性の木場。
総当たり戦で、わんこのじゃれあいのようで、実は鳥ちゃんの方が何枚も上手な鳥青・優等生コンビで落ち着いた大人の山下青(!)・悪い公安の人に攫われるわんこな郷青・むしろ狸は下僕な木下青。そして受けて立つ無意識ラヴップルの木場なので、木場青大前提ですw
そして郷嶋は時折、上海語を話すと良いよ。独白で。なんとなく郷嶋は、日本語が母語(not母国語)じゃないと良いなあ、と思っているので。

『No.9』の高村冥さんへ捧げます、相互記念小説「青木争奪戦」
すみません…争奪っぽくないですね。ものすごい難産でしたが、こんな風に生まれてしまいました。こんなにこんなに遅くなってしまった挙げ句に…!こんなんでよかったら、高村さん受け取って下さい…!!少しでもご笑納いただけたら幸いです。
…題名は「ビー(4)」からお借りしました。日本語訳の「かしら」ってのがツボった。昔の人って男の人でも言うよね。









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