T市四月桜景(一)


 下宿の窓から、丁度見える。
 けぶるような白く淡い花弁が、水色の青との輪郭をぼかして柔らかな陽を一身に浴びている。
「わあ…先輩、やっぱりここ特等席ですね」

 夜勤明けの眠い目を擦りつつ、二人で木場の家に帰ってきた。眠いといえども青木はうきうきと楽しげな笑みを零しながら、とんとんと軽やかに木場の部屋に通じる階段を上がり、商事に手を掛けた後に木場へと振り向き一度、人懐っこく笑いかけた。
 その笑みに呆れたような溜め息で、木場は微笑ましさから緩んでしまう自分の頬を意識的にゆがめる。そんな木場にはにかんでから、青木はそろりと障子を開ければ、窓の外の光景に目を奪われて思わず小走りになって窓際へ向かった。
 下宿の窓のすぐ横に、隣家の桜が数本咲き誇っている。今日の青木はそれが目的である。
 今朝、桜が満開になったと言えば、青木は無邪気に声を上げて是非見たいとせがんだ。まだ蕾が堅い頃から、青木は「満開になったら呼んで下さい」と楽しみにしていたのだ。
 今眼下に広がる、思っていた以上の花の雪に、見るからに幸せそうに顔をほころばせて目を見張った後、木場へと振り向いて弾んだ声を掛けた。早く早くこっちに、と手招きする童顔が子供のように無邪気に見えた。木場は大仰に肩をすくめて、大儀そうではあるがそれでも素直に青木の元へと上着を脱ぎながら向かう。そんな彼がやって来ることを見越して、青木は窓の桟に腰を掛けながら目線を再び、うららかな陽を受けてさやかにさわめいて花びらを散らす、静謐な現象へと硝子越しに見入った。枝振りの見事な桜は、手を伸ばせばその花弁へ触れられるほど窓のすぐ近くにまでその着物の裾を広げており、下から見上げる桜とは、一風趣の変わった風景である。窓をあけるとまだ少しだけ肌寒く感じるこの季節、確かに硝子越しに鑑賞出来るのは風流なものだ、と木場も思う。よっと…と年寄り臭い掛け声を思わず漏らしながら、木場は青木の座る窓の桟へ肘をついて胡座を掻き、窓の外に広がる桜色の絨毯を眺めながら苦笑する。
「まあなあ…特等席ったってな、この季節こえちまえば毛虫も出るし、花びらも窓開けりゃおっそろしく降り込こんできやがってよ」
 そのイヤそうな言葉に青木が木場へと振り向くと、愚痴るその横顔は綻んでいて、頬杖つきながら桜を眺める優しい笑みを見つけた。
 このひと、めんどくさいんだよなあ。
 青木は心の中で苛立ちにも似た心のざわめきを感じて、少し大きめの頭を傾げる。しかしそのざわめきは本当の苛立ちや嫌悪感を催すものでは全くなく、むしろくすぐったいような刺激の微笑ましさしか青木には認識出来ない。青木自身、それはわかっていて我が事ながら可笑しい。知らず口の端が上がってしまう。
 どうしよう、すぐ隣のこの先輩の憎まれ口が、かわいい。
「木場さん」
「んあ…?」
  頬杖から顔を上げ、窓縁に座る青木を見上げた。青木は少し顎を引いてはにかみながらも、あくまで真面目に話す。
「きれいだって、素直に言うことは恥ずかしいことじゃないですよ」
「…あ?」
 なんのことかと、突然言われた言葉に先程に輪を掛けてマヌケな声を出した木場は、その子供を諭すような小学校の先生のような笑みを自分こそが子供じみているくせに、当の青木が浮かべているのをまじまじと見つめてしまった。つまり毒気を抜かれてしまって、声も出せない。数秒なのか長い間なのか、お互い解らないが無言で見つめ合ってしまう。
 その状態は、お互いの苦笑でやぶられる。
「あ…あはは」
「っは…!何言ってやがる。このトンチキが」
 苦笑を押さえるように、大仰に眉を潜めて青木を軽く睨みながらその腕を取り、軽く引っ張る。こっちへこい、という合図だ。青木はそれに引っ張られるように窓際から降りると、木場の隣にぴったりと寄り添って座り、苦笑した。
「だって木場さん、意地っ張りだから」
「うるせえよ。黙って見てろ」
 青木の頭を腕で抱きかかえ、自分の肩口に頭を乗せるような形になった。顔の赤さを、見せたくないからだ。それでも腕の中から青木はしっかりと、照れ隠しの気不味そうな渋面に朱が差しているのをめざとく認めたが、黙っていた。
 だってこのひとめんどくさいからなあ。
 困ったような笑みで息をひとつつけば、そのまま木場の腕に抱えられるまま、寄りかかって再び窓の外に視線を向ける。変わらず静かに静謐に咲き誇っては散ってゆく。ぽん、ぽん…と実に気持ちの良いテンポと強さで青木の頭は、抱えたままの手のひらで弾むようにあやされて青木は幸せそうに肩を少しすくめた。
「…まあ、確かに綺麗だな」
 その小さな呟きに、青木は一層笑みを深くして頷いた。
「ええ!本当に」
 心から嬉しい、と自分を覗き込む顔に書いてある。くすぐったいような気持ちになって木場は落ち着かない。くい、とネクタイを緩く引っ張る感覚で我に返って青木の方へ顔を向ければ、くすくすと笑っている。だから木場は非常に険しい顔をしてキスをしてやった。青木の笑みは、まるで自分の気持ちを悟られてるみたいだったから、そんなことを指摘される前にこの生意気な口を封じてやろうと思ったからだ。突然のことに青木は一瞬目を丸くしたが、そっと目を閉じて昼間の明るい光に溢れた薄桜色の世界から、閉じた瞼の赤い世界へと視界が変化していくのに合わせて自分の感情がとろけていくのを感じ、縋るように木場に応えて舌を絡めた。木場の煙草の味は苦いけれど、もう慣れてきた自分に少し可笑しさを感じた。
「ん…」
 鼻に抜けるような幽かな吐息にも似た声が木場の耳に届いたとき、それが痺れにも似た疼きを呼び覚まして、ぞくりとした。唇を離せば、さっきよりも余計気恥ずかしさが増して木場は頭を掻く。しかし、後悔は毛頭していないのだが。
「あ…なんだ、ともかく…寝るぞ。寝に帰ってきたんだからな」
 落ち着かない恥ずかしさを隠そうと、木場は立ち上がって青木の頭を撫でてから布団と取り出しに向かった。
「はい先輩!ともかく、寝ましょう」
 青木も立ち上がれば後に続く。もちろん木場の心情など解っているので、クスクスと可笑しそうにしながら。

 そうして、あたたかな日だまりの窓ガラスのこちらから二人でひとつしかない布団にくるまって静かに、桜を瞳が疲労と暖かさと睡魔によって閉じてしまうまで見ていた。
 ふわりと音もなく、桜は咲いて散っていた。
 ふと木場が目覚めれば、彼の腕を枕にして眠る青木のその寝顔をすぐに見つけていることに、それに少なからず安心する自分に苦笑した。そしてなのかだからなのか、安らかに眠る青木の額にそっと、起こさないように細心の注意をはらいながら、優しく接吻を落としたあと、自分でしたくせに真っ赤になって天井を睨む。そうして、溜め息をついてから青木の頭を抱き込めば、こつりと頭を付き合わせて目を閉じた。
 夜桜を肴に飲むのも悪くァないって、こいつもたぶん思うだろ。
 目覚めた後を予定しながら、木場は青木のぬくもりに溶けてゆくような気分で眠りについた。








                                                             end.

After Word

桜をお題に。木場青編。
題名だけは中島敦リスペクトですが、中身全く関係ありません。
T市のTは東京…。

夜勤明けで疲れてんのに、イチャイチャすればいいよ。
この窓のイメージは、のび太んちの窓みたいな感じです。








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