一期一会

2 海軍編−そのさん 君よ知るや南の国


昭和一九年一〇月二四日、それは南洋の残照が黄昏てゆく少し前のことだった。

「室生中尉。緊急電波、受信しました。内地発の零式輸送からです」
 青木はちょうど、高雄航空隊の執務室で上官である室生中尉の仕事であった書類整理を手伝っていたところで、慌てふためいて入室した兵曹長の顔を見つめた。
 同じ年の九月に青木と実方たちは無事に実用機訓練を終了し、各々実戦配備へと散った。実方は虎尾航空隊の戦闘部隊へと配属されたのだが、青木は高雄教育隊分隊士として後続の育成任務を兼ねた、台湾周辺の対潜哨戒任務への配属とされたのだった。
「なんだ、零式輸送なんて聞いていないぞ」
「はあ。とにかくこちらがその内容です」
 訝しげにペンを置き、席を立って渡された紙片に視線を走らせる室生中尉は、青木の高雄時代の恩師でもある。兵学校出身の彼はその来歴に似合わぬ温然とした物静かな人間で、軍人と言うよりは内地の勤め人のようであったが、彼の駆動させる機体挙動の正確さと意思の強さは、やはり空を選んだ飛行士のそれであった。
 その彼の、上がり気味の眉がぴくりと動いて、首がこきりと鳴った。
「あー…分かった。とにかく、着陸を許可すと返信しろ。っと待てよ、…そうだな三〇分後くらいに予定外の輸送機が降りてくるのも整備のやつらに知らせといてくれ」
 てきぱきと手配しながら、室生は青木に紙片を見せる。それには、台南の飛行場で給油予定だった零式輸送機から打電で、操縦員一名が激しい腹痛を訴えており緊急着陸許可を要請する、とのことだった。
 一礼した兵曹長が慌てて外に出て行った後、室生は頭を掻いてため息をついた。
「腹痛いって何喰ったんだ…大丈夫かよ。青木、ちょっと上に報告してくる。お前は浅野軍医のとこ行ってな、滑走路脇に担架一つ待機しておくように手配してくれ。それから滑走路で降りてきた奴らを世話してやって呉れ。俺も後から行く」
「はい。わかりました」
 立ち上がった青木は頷くと室生と別れた。医務室に寄って事情を説明し、軍医と数名の衛生兵と共に夕間暮れの滑走路へ出た。今は教育隊主力が薄暮訓練のために一斉飛行に出かけているし、他の分隊士も教官としてついて行ったり、哨戒任務についていて少しがらんとしていた。青木は昨日が哨戒任務だったので、今日は地上任務だったのだ。

 もう既に整備の者たちが万一に備えて、着陸を迎え入れられるように準備を終えていた。しばらく橙色の空を見上げていると、北の方から少しふらふらとした一機の輸送機がやって来た。ああ…あれだ、と思っていれば思いのほかきちんと着陸したので、一同ほっと一安心した。整備兵が所定の位置に誘導して、ハッチを開かせた。衛生兵が担架を持って走ってゆくので、青木もそちらに向かった。機内へ掛け入った軍医と衛生兵が、手際よく担架に乗せた搭乗員を運び出した。相当苦しそうである。大丈夫だろうか、とそちらを見やっていれば、同乗者たちが出てきた気配にそちらへ振り向いたのだが、出てきたのは青木の予想とは全くかけ離れた格好の者たちで、ぱちぱちと目を瞬かせた。
 海軍の、参謀徽章をつけた将校が出てきたのは分かる。彼と話しながら出てきたのは、三種軍装に身を固めた陸軍の参謀将校で、陸軍の下士官らしきものが続いた。そして、そのあと背広姿と言った装いの者が三人降りて来たのだ。
「え…なんで?なんで陸さん?」
 整備兵が不思議そうに首を捻る。青木もよく判らないまま兎も角、軍人たちに対して敬礼でもしようかと近づいたのだが、一人の男の顔に目線が止まる。
「あ…ああー!?」
 思わず指を指してしまった。その男どころか皆が一斉に振り返ってしまい、衆目の視線を浴びた青木は逆にそれにも驚いて気まずくなった。
「…なんだ、どうした貴様」
 目を丸くした海軍少佐に尋ねられ、紅い顔で青木は両手を胸の前で振る。
「あ、っと…いえその、」
「驚いたな。なんでお前ここにいるんだ」
 恥ずかしいやら驚いたやらで、しどろもどろになってしまった。ちょうど後ろから室生中尉や上官たち数人が走って来る足音で、訳もなく後ろを振り向いた青木に声が掛かる。慌ただしく見返し直せば、軍人たちの脇から指を差された当人の蠍のように鋭い目が、青木を見て興味深そうに笑っている。
「なんで、って…郷嶋さん、あんたこそこんなとこに、なんで」
「業務だよ。業務」
 ひらひらと手を振って見せた郷嶋は可笑しそうにくくく、と喉を鳴らして一人笑った。
「知り合いですか、郷嶋さん」
「ええ、以前ちょっと内地でね、遊んでやったことがあるんです」
 眼鏡を掛けた穏やかそうな背広の若い男が郷嶋へと話しかけると、振り向いた郷嶋は眼鏡を人差し指で上げながら肩を竦めてみせた。
「あ…遊ばれた記憶はないですよ。と、ともかく…」
 一瞬ひるんだものの、青木は咳払いをして自分を落ち着かせた。そして、気を取り直すと自分より上の階級である将校たちへ向き直る。改めて挙手の礼をして返礼を受けた。陸と海の二種の敬礼を一度に受け、なんだか不思議な気もした。努めて冷静に言葉を続ける。
「し、失礼いたしました。あの…今回の緊急着陸について、上官へ現状をお話しいただきたいのですが宜しいですか」
「いい。気にするな。――現状についてだがな、軍機に関わることだからここでは云えん。どこか適当な場所を開けろ」
少佐の襟章を着けた陸軍の参謀将校は青木の詫びを笑って返すと、一転して少し言いにくそうに少し緊張した面持ちとなって返答した。
「ぐ――んき、ですか」
 驚いて青木は一重の目を瞬かせた。
軍機は軍の機密事項でも最高峰に位置する。その言葉の持つ意味に、青木は衝撃を受けたのだ。いったいなんだと言うのか、自分程度の人間には計り知れないものだとは判っていても驚いたのは、なによりも雲の上だと思っていた、そんな大それた謀りごとの一端に、自分が掠ったことだった。
「遅れて申し訳ないです。台南航空隊司令より無線で簡単な事情を伺いました。とりあえず中にお入り下さい」
 ちょうど押取り刀で到着した少佐が取り成したので、彼らの案内で一同は隊舎へ入ってゆくことになった。それについて隊舎へと帰りながら、室生が青木に声を掛けた。

「青木、ごくろうさん」
「あ…中尉、え…っと現状報告です。救急搬送者一名、浅野軍医に引き取っていただきました」
「そうかありがとう。何喰ったか知らんが、浅野さんに引き渡しとけば何とかなるだろ。それより――なあ、なんだ。知ってるのか、あいつ」
 苦笑の顔で急患の確保に一安心した室生は、前方に歩く郷嶋の背に向かって親指を指して少し声をひそめながら尋ねた。先ほどのやり取りを、走ってきながら見かけたのであろう。
「はあ…知っているというか」
 青木は頬を掻きつつ、一年前に一度だけ会ったことを話した。その時散々からかわれたことは黙っていたのは、青木のささやかな自尊心からである。
「ふうん、内務省の役人か…だがお前の話と言い今と言い、何だかきな臭いな。――ま、いいさ。世の中にゃいろんな種類の歯車があるもんだ。ともかく俺も呼ばれてるから行ってくるよ。お前はさっきの続きやっておいてくれるか」
「はい…あ、僕、終わっちゃったらどうしましょう」
 少し郷嶋をいぶかしんだ表情をした室生は、それでもすぐにさっぱりと首を振って嘯いたあと、手早く青木に指示を出して足を速め出した。そんな彼へ、慌てた青木の口から反射的に零れたのは気の利いた一言も無い、至極平凡なものだった。
「なんだその言い方は――いいよ、帰って休んでろ」
 一瞬キツネに抓まれたような顔をした室生は、それでも青木の学生臭い物言いを可笑しそうに手を振り、先に隊舎へと入った一行を追うように少し急ぎながら去って行った。

 残された青木は、室生の笑いの中にある意味を今更気付いて、気恥ずかしさと同時に相手が鷹揚な室生でよかったと安堵した。上官によっては、学生気分が抜けていない弛んどる、といきなり修正のビンタを喰らわされることも珍しくはない。
青木が自身、何度気をつけていても、あまり軍隊の風潮に芯から馴染めずに――と言うか、実質的に彼がまだ若いこととともに、受けてきた教育との差異に戸惑っているからでもあるのか、青木自身すらわからないのだが――青臭い物言いが出てしまうのだ。青木自身は意識しておらずとも、理不尽に一方的に与えられる規格の中へ入れ込まれ、染め上げられてしまうことへの反発にも似た感覚があったのかもしれない。室生はそれを分かっているからあまり注意しないのか、また瑣末なことにはこだわらないだけの気質なのか、それもわからない。いずれにしても現状、青臭い物言いをしてしまう青木に対し、上官の室生はあまり厳しく怒ったりはしない、ということである。
 青木は大きく深呼吸してから、踵を返して執務室へと帰った。

 それから二〇分と経っていない。執務室の扉が開き、室生が顔を出した。
「青木、ちょっと」
「なんです?」
 ちょいちょい、と室生が扉のところで手招きをする。青木は立ち上がるとそちらへ近づいて廊下へと出た。
室生が扉を閉め、歩きだしたのでそれに続く。不思議に思って室生の顔を覗き込むと、それに気付いた室生が苦笑いしつつ口を開く。
「さっきの急患、盲腸だってさ。悪いもん喰った腹痛どころじゃなかったよ」
「え、大丈夫だったんですか」
「ああ。今、浅野さんが手術中。たぶん大丈夫だろう。浅野さん、召集前は大学の外科医だったらしいから。しかし…本人に非はないのに、俺失礼なこと言ったな。盲腸は不可抗力だ。着陸の時なんか気圧高まるから、相当痛かったんじゃないか」
 青木も同意見である。
浅野軍医の医者としての腕前を信用する意味での同意ではあるが、それ以上に悪いものを食べた食中毒説を勝手に想像していた反省にも頷くこと然りである。
 それでな、と室生は階段を上がりながら続けた。
「乗員が減るから、うちで調整することになって、結局関わり合いになっちまった俺が入ることになったよ。で、一人ガンナーが欲しいって向こうさんが云って来てな」
「ガンナーですか。でもそれって、逆に言えば初めはいなかったってことですよね」
「ここに来るまでに状況が変わったってことだよ、坊や」
 青木が少し訝しげに尋ねれば、室生が答える前に別の声が答えた。

階段を登りきった廊下の窓際に、郷嶋が煙草を吹かして立っていた。
「さ―とじまさん」
 青木にとって不可思議な人物である郷嶋の、斜に構えて鼻で笑う面影は以前と同じだった。そんな彼に室生が声を掛けた。
「あれ、貴方どうしたんです。他の皆さんは中に?」
 俺は暇だからな便所行って来たんだよ、と少し肩をすくめて見せた郷嶋は、おそらく室生の言葉に牽制の意味があったことを分かっている。
青木はそれに気付き、少しだけ緊張した。彼らがまだ依然不審な一行であることを、彼らとともに作戦同行する室生ですら、うっすらと滲ませていることが分かったからだ。軍機、と陸軍の参謀は言っていた。
「いいや、参謀さんたちはあんたんとこの副官達と話に行った。それから他は機体と資材の点検に行ってる。残ってるのは技術屋が一人、なんか閃いたのか設計図書いてるよ」
 言いながらギイ、と扉を開けて入ってゆく。そこには一人の若い背広姿の男が大きな紙面にペンを走らせていた手を止め、顔を上げた。

 現れた三人に穏やかな微笑みを見せた男は、青木を見つけてぺこりと座ったままではあったが会釈した。慌てて青木も頭を下げる。
「どうぞお掛け下さい。…僕が言うことではないですが」
 眼鏡を掛け直しながら男は鉛筆を置き、ガサガサと紙面を折り曲げて片付けながら、向かいのソファへと進める。礼を言って座る室生に続いて、青木も隣に座った。郷嶋だけはふらりと窓際に寄り、見るともなしに夕闇に隠れつつある南の空へと視線を向けて煙草を燻らした。一度首をめぐらして郷嶋の様子を伺った後、兵学校出身者に特徴的なピシッとした『姿勢の良すぎる姿勢』で座りなおした室生は、ようやく机の上を片した男へ青木を紹介する。
「敷島さん、青木少尉です。――青木、こちらの方が敷島さん。東京帝大の工学研究者の方だ」
「青木です」
 眼鏡の奥から柔和な瞳を見せて会釈する敷島へと改めて返礼した後、青木は自分も挨拶を返す。二〇代後半から三〇前と言った青年と見え、おそらく学士取得以降も大学に残って研究を続けていた種の人間であろう。
「ご丁寧にどうも。敷島と言います。今は陸軍行政本部の研究所に所属しております」
 陸軍、と確かに言った。
「それから――内務省の郷嶋さんとはお前、知り合いだったよな。では郷嶋さん――今回の件について説明願えますか」
 室生の確認に青木は柳眉を寄せて、一度会っただけです、と小声で反論しようとしたが全く知らない人物ではないだけに黙った。
そんな青木をよそに室生は、すこし固い声で技術者らの案内側すなわち計画の立案側である郷嶋を呼ぶ。最前、多少は詳細を耳にしているようである室生は、青木にも聞かせるよう促したのだ。振り向いた郷嶋は、バリバリと頭を掻いてからソファへと近寄って来た。す、と机の隅にあった灰皿を取り上げた郷嶋は、屈んだ姿勢のまま青木を鋭い瞳で見つめて口を開いた。
「お利口な坊やなら――さっきの中尉の話の続き、わかるよな」
 不遜な郷嶋の態度に少しばかり不快感を覚えつつも、それでも青木はそれを抑えて問うた。
「…坊やじゃありませんが、わかりますよ。僕がガンナー務めるってことでしょう。どこまで行くんです」
「行き先は――フィリピン。ルソン島北部西岸、ラオアグ」
 姿勢を戻して立ったまま答えつつ、ぎゅっと灰皿に煙草を押しつけた。郷嶋の手元から一筋の薄い紫煙が立って、すうっと消えた。ことり、と小さな音を立てて灰皿を机に置きながら座る郷嶋の言葉に、青木は驚いて呟く。
「陸軍の飛行場じゃないですか。――室生さん」
 隣の室生へと、どういうことなのかと振り向けば、彼も剽悍な面持ちのまま首を振って青木に示した。
「俺もそこまでしか聞いていない。乗りかかった船――と言うより、私たちがあの緊急打電を受けてしまったことが白羽の矢が立った要因でしょう。つまり徒に貴方達の存在を、必要以上に関知する人間を増やしたくないんですね。どの道、軍機密に関わることは私たちが聞く必要もない。だがせめて、お話しできるところだけでもお聞かせ下さい。海軍の輸送機で陸さんの基地へ降りるなんて、それだけでもただ事じゃない」
 ひとこと青木へ返すと、室生は郷嶋と対面した。彼の声は固かった。
「――Curiosity killed the cat.」
 郷嶋は唸るように低く呟いた。好奇心は猫をも殺す。室生の眉がぴくりと揺れた。
「郷嶋さん。好奇心と言うよりは、状況把握のためだと思いますが」
 室生の言葉に片頬だけで郷嶋は笑い、両の肘を自身の膝に置いて上体を屈めた恰好で青木へ尋ねた。
「坊やも聞く覚悟はあるか」
「覚悟もなにも――もう、学生ではなくなりましたから」
 郷嶋にはわかる言葉で青木は答えた。元より青木も室生と同じ気持ちである。と言うよりは、己の行動に理由をどこかから探しておきたい気質の故だったかもしれない。
 は、と郷嶋は息を吐いて上体を起こした。
「あんたらの上官が許可出せばそれでいい話だが、ここに俺たちが残されたって言うことはある程度話しておけ、と言う内意なんだろう。まあ…あんたらがそれだけ察してれば上等だ。――搭乗員が虫垂炎になったのは全くのアクシデントだがな、かえってそれが怪我の功名だ。内地からここまで飛んで来て、予想の状況と違ってた。米軍機が結構飛んでいやがる。この間の海戦での、大勝利の戦果発表は首を傾げざるを得ない」
「それ――は」
 室生が言葉を詰まらせた。

 この間の一〇月一二日から一六日にかけて行われた航空戦のことを言っているのだ。
台湾および沖縄周辺の航空基地をフィリピン奪回のための前哨戦として、米海軍空母機動部隊が攻撃を加えて来た。対する日本軍の基地航空部隊は、本土防衛のため温存していた熟練精鋭の陸海パイロットで編成されたT攻撃部隊――Tはtyphoonすなわち台風を意味する――を中心として迎撃した。
元来陸軍の航空隊は洋上を長時間飛ぶ戦闘スタイルでない。そこでこの共同作戦のため、海軍の航空隊に陸軍のパイロットが参加して海軍方式で洋上飛行の訓練を積んだ、空前の陸海雷撃部隊を投入すると言うことは、その作戦の重要度がうかがい知れる。
 室生や青木もまた、その海軍の航空戦力の一端として爆撃機を護衛する直掩機の命を受けて参加していた。
青木にとって――訓練を終えて実戦配備された一三期予備学生全体の初陣と言っても良く、青木は激戦の中でもまだ比較的緩やかな方であったが――初めての本格的な実戦であり、初めて空戦を体験し、演習ではない実弾の世界と無機質な機械の中にいる敵という存在を身に刻み、飛んで来る弾の非情な衝撃に恐怖し、自分の撃った弾で初めて飛行機を海に墜した。神経の高ぶりは、作戦終了後もしばらく治まらなかった。
そのミクロな青木の体験をも内包した大混乱の一大戦闘は、海と空の三次元で繰り広げられた。

 五日間の戦果は大勝利と謳われた。正直、実際に出撃していた青木たちにもよく判らなかった。それほど大混乱であったのだ。
だが、出撃した戦友のうち、今もまだ還らない人数は少数ではないし、損害は三〇〇数機にも上った。多数被弾してやっと基地近くまで帰ってきたのに最後の着陸直前、爆発墜落を起こしたパイロットがいた。その無数の肉片となった彼の残骸を皆で泣きながら必死に拾い集めたのは忘れられない、現実だった。そして、航空戦の後も依然として台湾沖へとやってくる米機を、哨戒任務で実際に目の当たりにしている青木や室生は、その報道の矛盾を良く噛み締めていた。だが、決定的な敗因や矛盾の真相などは分かるはずもない。

「まあ今はそんな戦況報告の話は重要じゃない。南方まで飛びたいが現実に敵機がうろうろして危ねえから、よく護れってだけだ」
「――その護るもの、の事でお二人にお話があるんです。護って頂きたいのは、輸送機に積んで来た機材と、とある物質なのです」
 今まで穏やかな微笑みをたたえ、沈黙を守っていた敷島が、郷嶋の言葉を繋いで口を開いた。室生を青木は敷島を見つめた。
「き――ざい…と、物質」
 室生が小さな相槌とも独り言とも取れる呟きを零すと、敷島は小さく微笑んで頷く。膝の上に肘を立てた敷島が、一度下を向いてから顔を上げて、穏やかな誠実に満ちた口調で話し始めた。
「そうです。この大戦を勝利に導く突破口をつくるため、陸軍はある計画を発案推進しました。私の師、金田博士を中心として不乱拳博士、ビッグファイヤ博士など工学をはじめ各分野に精通したエキスパートとして召集された科学者や技術者による、科学技術の粋を集めたロボット兵器開発の計画です。全身を鋼鉄で覆われた巨大な機械の兵士を作り上げ、砲弾に搭載したそれを敵国へ送り込んで破壊を行わせる。これは軍の兵員不足を解消するとともに、大戦自体をいたずらに長引かせることなく早期に終結させ、戦争被害者を出来るだけ抑えるために必要な手段なのです。――これを、鉄人計画、と言います」

 あくまで波風のない、穏健な口調であったためそれは逆に、酷く重く辺りに響いた。
「て、つじん…計画」
 青木が我知らず零した独白に、郷嶋は頷いた。
「そうだ。これは陸軍が主導で軍機となってるがな、実際は戦局の起死回生を目的として手を握った、陸海および政府による共同の秘密謀略だ」
「だから内務省の郷嶋さんがここにいる」
「そうだよ。俺の業務だからな」
 青木と郷嶋が話している間、顎に手をやって考え込んでいた室生が顔を上げ、逡巡しながら口を開いた。
「ロボットなんて…そんな、ご冗談でしょう。敷島さん、そりゃ茶番だ」
 室生は困惑した様子で、しきりと手を振った。
彼だって科学技術の賜物である飛行機乗りでもあるが、近代から爆発的に進歩してきた科学の結晶成果でも、未だ考えられないことだった。飛行機だってそれを操る熟練者育成には、五六年もかかる。つまり、それだけ使用者に負担のかかるものが現在の科学で生み出されている結晶の限界である。いまだ、煩雑な要求を処理しきれない程度のものでしかないのだ。
「茶番じゃないから、私と鉄人――になるもの――は、ここにいるのです」
 ただの狂人でなければ、彼自身が現実の証明だ。あくまで穏やかな口調で紡がれた敷島の科白は、ある種の説得力を多大に持っていた。
「…じゃあそんな鉄人と言うのは」
 本当のことなのですね、と青木は言いきれなかった。
「科学技術が人の想像内で収まる地点は、すでに通過したんですよ。特に機械工学、ロボット技術は日進月歩です。――どんな攻撃にも耐えうる鉄の鎧に身を固め、計り知れぬ力で居並ぶ敵を叩き砕く。決して倒れることなく死ぬこともなくただひたすらに、操縦者の意のままに戦い続ける不死身の兵士。海であろうが空であろうが、戦う場所を選ばない。そう――それが勝利することのみを目的とした、完全なる兵器鉄人。それは、夢や幻でない。近く、科学の起こす現実です」
 敷島の頬が少し紅潮している。科学への好奇心と信頼に満ちた若き科学研究者は、理知的な瞳で二人を見つめ、そして莞爾と笑った。

「ほんとうに、そんなものが…」
 しばらくの沈黙が一同を包んだ後、形の良い眉を顰めた室生が絞り出した声が、少し震えていた。
「――そんな、完全なる兵器なんて…恐ろしいものが」
 軍人らしからぬ――それどころか、軍人である自分自身を否定するような――呟きを、青木も知らず呟いた。進んだ科学とは、恐ろしい。
「それは使う人間の問題じゃあないでしょうか。どんなに大きな力を持ったとしても、平和を守るために役立てるならそれでいいとは思いませんか。…飛行機だって、そうでしょう」
「そ――」
 なにかを言い出そうとした室生は、思いを言葉に出来ないといった顔で結局なにも言うことなく黙った。あまりにも真っ直ぐで真摯な敷島の瞳と正論に、青木はどこか空恐ろしいものを感じずにはおれず、背の芯が冷たくなった錯覚を覚えた。彼が怖いのではない、彼の持つ瞳の正気さになにも言えなかったのだ。

「今までは、内地の研究所で他の鉄人計画と共に研究されてたんだが、もっと大規模的な研究が必要になった」
 郷嶋が、取りなしとも今までの筋を断ち切ったとも思えるような話を切り出した。
「他の、とは」
 室生が尋ねると、渋い顔をして肩をそびやかした郷嶋は溜息をついた。
「それは今回と関係のない話だ。科学の選択はなにも機械一辺倒じゃない。この鉄人計画は各分野の開発計画を纏めた総称でな、いろいろとある…と言うことにして頂きたい。ともかく――この鉄人の内地での研究もおおかた完成したんでな、場所を移すことになった」
「それでは、ロボットの開発というのは完成に近いと…言うことですね」
 室生が慎重に尋ねると、敷島は眼鏡を一度掛け直して頷いた。
「はい。動力エネルギー物質の制御が試作分完成しましてね。研究の次段階として南方の研究所へ拠点を移動するため、先駆けて南方のそこにおられる金田博士のもとへ、完成した物質やその他の機材の一部を持って行くのが、今回だったんです」
「重要作戦として、陸海軍に協力を仰ぎ早急に送り届ける――今日二四日の午後に内地を発って台南基地で一泊して給油整備した後、ラオアグまで空路再開。二五日の昼には陸路の輸送隊に引き渡しっていう予定だったんだが、多少の予定変更は目を瞑る。いまさら台南にもう一度飛ぶのも、あまり荷物を揺らしてリスクを増やしたくはないんでね。とにかく明日、ラオアグまで着けたらいいんだ」
 これでわかったろう、と最後に付け加えた郷嶋は眼鏡の奥から鋭い瞳で二人を見渡した。

「…わかりました。そこまでお話下さってありがとうございます。この作戦の特殊性、それから隠密性は理解したつもりです。明日、我々もそれを心得てラオアグまでの飛行任務を遂行いたしましょう」
 室生は改めて向き直って、座ったままであったが深々と頭を下げた。
「ああ、なべて事がよろしく運ぶようお願いする。――他言無用とは、言わなくても分かっておられると存じているが」
「勿論です。仕事ですから」
 返礼した郷嶋は、やや上体を傾けたまま顔だけを上げ、厳しい目線を寄越す。
青木はそれに負けないように、ぐっ…と両手を膝の上で握って拳を作り、顎を引いて睨み返した。その彼の横で室生は誠実な返答を返す。幾分、皮肉の響きを感じたのは青木の色目だったろうか。

「では…お二人とも、よろしくおねがいします」
 敷島の言葉が終るか終らないか、ドンドンと扉がノックされて背広の男――彼も輸送機から降りてきた面子の一人だ――が困惑の顔を覘かせた。
「敷島くん、今いいですか?バギュームの安定が少し…見て下さい。ビッグファイヤ博士が書いてくださった手引書を見たんですが、いかんせん難解と言うか、どうとでも取れる表現ばかりで…」
「ああ…あの人は、いつだってそう言う困らせるような書き方ばかりして、愉しんでいるんだ。――すみません、失礼します」
 はあ、と撫でつけた髪を抑えつつ、ため息をついた敷島は嘆き、それから立ち上がって目礼した。すると扉の向こうからもう一人、輸送機パイロットが顔を出した。もちろん盲腸の人でない方である。
「室生中尉、明日のフライトのことでお話をしたいのですが、お時間いただけますか」
「はい。では、下の部屋にチャートなどがありますので、そちらでやりましょう」
 室生も立ちあがってパイロットに告げた。そして敷島と共に出て行ったのだが、青木の後ろを通り過ぎる時、ソファの背もたれに一瞬だけ手を置いて、青木の耳元へ素早く囁いた室生の言葉は耳に残った。
――青木、科学って怖いな。

 残されたのは二人。
少しの間、沈黙が流れた。三つ揃えのスーツの胸の隠しから、煙草を取り出している。あのコンパクトのように横開きの、ゲルベゾルテだった。
「――郷嶋さん、あんたの仕事って、まるで特務機関の人間みたいですね」
 先に口を開いたのは青木だった。前の飛行場で聞いた上海帰りの件と言い、なんだか青木の考える官僚とは違っていた。口に一本煙草を咥えたばかりの郷嶋は、顔を上げて鼻で笑った。
「は。間諜みたいだってか。あいにくと、俺はただの内務省官吏だ。ただ、業務範囲が世間一般的じゃないだけでな。――世間が非日常の戦争状態だからな、自然、非常時の業務が舞い込む。俺はああ言う研究だのなんだのの、仕分け屋だよ」
 なんですそれ、と青木は釈然としない面持ちの顔だけ上げて問うた。
「センセイがたの仕事がうまくいくようにな、裏方の仕事だって必要だって事さ」
 皮肉っぽい笑みを見せて、郷嶋はライターで煙草に火をつけた。ちん、とライターのふたを閉めた音が小さく響いた。青木には、その音が耳によく沁みた。少し逡巡してから顔を上げ、口を開いた。
「鉄人…ロボット兵器開発の仕事ですか。官軍民あげてのそれを郷嶋さんは政府――内務省から推進してる、と」
「今は、まあな。…なんだ、気になってんのか」
「そりゃ…科学ってそんなに進歩してるのかと思って」
「――俺は科学者じゃないんでさっぱりだが、敷島たちの鉄人の他にもさっき言った不乱拳博士や美馬坂って博士が生物学的見地から計画に関わってるしな、牧村って博士が独逸のドラグネット博士てのと組んで超人間を作ってるって言うよ。すべて先端技術は凡人の想像を超えてる。実用化されるかはさておき、ロボット開発は世界が先を争って始めている。――とにかく少なくとも金田博士たちはロボット…鉄人の作成に真剣だし、相応の手応えを掴んで何やら作っているのは確かだ。お国のためにやら、皇国勝利を信じてってのが本心かは、本人たちじゃないんで知らんがな。良くも悪くも現実として戦争の間、敷島も言っていたように飛躍的に進歩しているよ」
「…それは、いいことなんでしょうか」
 青木は敷島の正気の瞳が忘れられない。
「いいこと?なんだ少尉、やっぱり坊ちゃんだな。いいも悪いも――博士も言っていたろう。使うのは人だ。人間次第…鉄人なんてロボット兵器もリモコン次第だよ」
「だからって、何でそんなものを作るんです」
 根本的な不理解点は、敷島の言う正論には全く論破できないけれども、何か心の中で納得できないようなもやもやとした感情が不快に替わって溜まる。
「…これ以上、人を死なせたくないからだ。――お前も知ってるだろ、特別攻撃の噂」
苦虫を噛み潰したような、抑えた声で郷嶋はそっけなく言った。
「…知って、ます。僕らみたいなのが対象ですから」
 正式な作戦として神風特別攻撃隊が出撃したのは、つい三日前のことだった。
青木は、郷嶋の問いに言葉少なに答えたものの、それ以上何も言えずに黙れば、郷嶋も目を細めて無言のままに息を吐いた。紫煙がふわりと広がって哀しく霧散し、消えた。

いつの間にか夕闇が空を飲み込んでいた。
室内の電灯を反射して、漆黒の闇に写り込む自分たちの影が窓を挟んで並んでおり、青木は一瞬気が遠くなった。窓の向こうの虚像の自分たちは闇に少し融けていて曖昧であり、なんと寒々とした光景がすぐ隣にあるのだ、と気付いたからだ。
「…俺は国の役人だからな。国は人が構成している。人が死ぬと構成員が減るんだ。俺たちは時流の中でもせめて出来る限りの力で以て、戦争って非日常から国を日常に戻さないとならないんだ。残念ながら現在の国際社会でな、戦争って外交手段を使ってそして負けるということは――国そのものの解体を意味するんだ」
「解――体?」
「先の大戦の欧州でもそうだがな、お前の兄がいる満州や上海、それからビルマ香港シンガポールにフィリピン…アジアのなかをひょいと覘いただけでもわかるだろう」
 負けた後――もっとも勝った後もだが――戦争という状態が終わった後のことなど、正直考えられなかった。戦争しかなかったのだから。解体なんて意味がわからなかったが、常識が変わり、敵国の属国化に屈するという意味であれば、やはり悲しいし悔しいのだろう、と思う。
だから勝たねば、勝つことは当然だと思うのだが、それでも戦争が終わった後に自分がいるのではなく、そこには妹の文たちと言った下の世代にこそ受け継がれてゆく時代であって、自分たちではない、と青木は固定観念のように考えている。なぜなら、青木の中でそれはすでに決まっていることであったのだから。

 青木が知らず口元に左手を当てて考えていると、郷嶋が煙草を揉み消していた。彼は、す…と立ち上がり、窓辺へゆっくりと歩いて行った。窓硝子に手を当て、少し覆い被さる様にした恰好で青木に背を向けたまま、再び口を開いた。
「だから勝たなきゃならない。だが、もうこれ以上の被害をなくし、戦争の早期解決を目指す糸口が何かあるのであれば、お前たち軍人が戦争している裏で協力でもなんでもしなきゃならん。まあ、協力なんて改めて言わなくたって、今の日本じゃやることなすこと戦争に荷担してるわけだがな。その最たるものとしての、金田博士の強力な兵器開発もそれのひとつさ。だから、俺らは出来ることをやってるだけだ。――俺は、殺しは管轄外だからな」
「郷嶋さんは軍人でなく、官吏だからですか」
「そうだよ。餅は餅屋に任せればいい。――しかし、自分の仕事やりに来てお前がここにいるとは、本当に計算外だったんだがな。…真逆、本当に飛行機乗りになってるとは」
 青木の言葉に振り向いた郷嶋が、片頬を上げて皮肉そうに笑いながら体を反転させた。
青木は突然自分の話に持っていかれるとは思わなかったので一瞬驚いたものの、それでも緊張の糸が少しだけ解れた様な気がして、両脚を板張りの板から少し浮かせるようにして小さく伸びてから、少し困ったような笑みを含んだ答えをした。
「僕だって――驚いてますよ、自分でも。あの後…結局、予備学生に応募しましてね、それでなんとか飛行科合格、はばかりながら艦上戦闘機乗りです」
「そりゃ勇ましい」
くく、と喉で郷嶋は笑った。
二人の距離は少しばかり間が空いていたのだけれど、青木には郷嶋の喉が震える様が、やけに鮮明に見えた気がして不快なような淋しいような、少しばかり安心したような、矛盾した感情が一度にせめぎ合って、訳もなく立ち上がった。立ってしまったことを誤魔化すように、勤めて自然な風を装って腰の短剣の位置を直し乍ら、少し硬い声で返す。
「勇ましくなんてないですよ」
――誰かがしなきゃならないことだから。
 短剣から手を離した青木は、昏い窓の向こうにきらめく星屑へと視線を投げ、小さく吐き捨てた。
「真面目だな。まあそれでもいいさ。死ぬまでせいぜい長生きしろよ」
「は…?郷嶋さん、笑えない冗談だ。僕がいったい何なのか知ってて…」
 先ほど、特別攻撃の話までしたではないか。青木は少し苛立って刺々しい声を出した。知らず踏み出していた靴音が、ことんと板張りの床から響いた。
「承知の上で言っているんだ。一〇年後に楽しみがなくなる」
「そんな無茶な」
「無茶でもやれ」
 呆れた声を出した青木に、郷嶋は取りつく島もない返事である。もうこの時点で郷嶋の言って言わんとしていることは青木にはわかっていたけれど、いたからこそ青木は苦笑いした。戦闘機乗りの青木は死と特に隣り合わせで、その最たる命令も辞せない立場であるけれど、それでも生と言う事象を意識して覚悟を持つ事とその立場は矛盾しない。それに、無理な話と分かっていても見ることのできない未来を強引にでも提案してくれていることは、青木にとって切ないほど哀しいけれど嫌ではない。
「酷いですね、あんた」
「――酷いか。それはいい褒め言葉だ」
特に興味もなさそうな顔で、郷嶋は呟いてから両腕を上げて伸びをしてから、いつの間にか練習飛行から教育隊主力が帰って来て慌ただしい飛行場の方を鋭い瞳で見やる。青木は彼を一瞥してから、再び座る。俯向いていると灯りが揺れた。
 電灯に、蛾が自ら身を焼いていた。


 翌二五日、朝靄が晴れる頃にルソン島ラオアグの飛行場に向けて飛び立った。
 青木の航空科における専攻は艦戦、すなわち艦上戦闘機を操縦する専門であり、高雄海軍航空基地もまた艦戦実用機教育担当として教育隊を開けていたため、他に輸送機乗りはいなかった。だから青木は輸送機に搭乗員として入るのは初めてだったのだが、内地から既乗の搭乗員はもちろん、室生は戦闘機乗りとは云えども多数の機種に乗った経験豊かなパイロットであった上、自分は機関銃手なので航行技術においては全く心配はない。
 しかし、青木が己の職務を遂行するときは、敵機に囲まれた時の強行突破で使用すると言う事であり、それが必要だという建前で搭乗している以上、緊張が前夜から青木の心を支配していた。
 それでも青木一人が何を悩もうとも明日は必ず来るものであるし、緊張と不安の中でも懸念する煩雑なことはたくさんあって、動かねばならない。夕食後に室生の許へ赴いた青木は明日の飛行ルートを尋ねた後、本来の明日の任務をどうするのかと言うことと、飛行服の他に軍装はどれにしたらいいのか、と言った実に平凡な質問をしたのだった。
 硬い面持ちでルート説明をした室生は、深刻そうな表情を崩さないままあくまで生真面目に尋ねてきた青木の言葉を聞いて、一瞬だけ面喰った顔をしたものの、すぐに可笑しそうに頬を綻ばせて笑いながら、人より少し大きめの青木の頭を撫でた。青木はまさか撫でられるとは思わず、いきなりのことに驚いたのだが、考えてみれば年齢からも見て少し歳の離れた兄のような室生にそうされることは特に嫌でもなかったし、何だか擽ったかった。
「なんだ青木、お前って意外に腹が据わってるな。偉いぞ」
「いえ……はあ」
――地に足着いたことを考えなきゃ、人間終わりだからな。
ぽん、と青木の頭の上で室生の手が跳ね、彼はそう言って笑った。青木はそれを、肩を竦めて下から覗き込むような格好で見つめた。
「明日の訓練指導はもう鈴木に頼んである。お前に言うのを忘れてたな。あとで鈴木に会ったら一言よろしく言っておいてやれ。それから、そうだな――携行品は特にないが帰りの飛行機が向こうに行かんとよくわからんので、最悪は二・三日いるかも知れんと覚えておけ。そうすると飛行服だけってわけにはいかんよな…参謀たちに合わせよう。二種軍装で良い」
 今は一〇月も末であり、常なら濃紺の一種軍装を着用することとなっているが、南方の熱帯などに勤務する士官は冬でも適宜夏用である純白詰襟の二種軍装を纏っていることもある。青木も通常勤務の時はそれを着ている。ただし、作戦待機中や教育訓練の時などには戦闘用である三種軍装を着用することもあるし、室生は好んでこちらを着ている。褐青色と呼ばれる緑灰色の背広式上着と、薄い褐青色のシャツにネクタイを締めるシンプルなスタイルは室生に似合っていて、お洒落で格好良いと青木は思っている。
 いずれにしても種種の規定などがあるため、手っ取り早く前もって上官に尋ねると問題が少なくて済むのだ。
 今回、内地から衣服を改めてきたであろう海軍の参謀は、戦闘配備の色濃い三種を敢えて選んでおらず二種を着ていたので、室生はそれに倣うことにしたのだ。
 そんな、謀略大作戦の一端を担ぐには程遠い、ひどく平凡な懸念しか出来ない自分を青木は自嘲したが、もしかしたらそれはそれで衝撃や驚きに因る興奮から生まれる昂揚に、己が流されてしまわないように揺り戻す、無意識の冷静さだったのかもしれない。いずれにせよ青木が懸念したことは、上記のようなことである。

 晩秋の、朝早くの高雄は意外と寒い。
 緯度的には熱帯に属し一年を通して高温多湿ではあるが常夏というわけではなく、昼こそ一〇月末の平均気温は二四・五度と言った温かさにまで上る一方で、夜になれば一五度以下に冷えるのだ。太陽も顔を出して間もない朝は、まだどこか少し寒い気もするのだ。
 少しだけひんやりした空気の中、輸送機は乗員乗客を待ってハッチを空けていた。青木が飛行服に身を固め、手に小型トランクを提げて機体の傍へ、室生や搭乗員それに同乗の軍人たちと共にやって来た時には、すでに敷島たち研究者と郷嶋が整備の者たち――おそらくこの数人も特別に選抜された者たちであろう、この航空基地きっての熟練者たちである――が、顔を揃えて整備していた。勿論、整備兵は機体の準備であり、研究者たちは機体後部に鎮座している大きな機械――鉄人の部品――のメンテナンスである。
「――ああ、おはようございます」
 軍人たちが機体に乗り込んで、その大きな鉄が幾何学的に組まれた塊を見上げていると、研究者の一人がそれに気付いて顔を上げ、笑顔で挨拶をした。その笑顔は、本当に楽しそうで子供がおもちゃを改造して遊んでいるような顔であり、顔を上げるまでひどく真剣に計器を回していた顔と相俟って、彼らが本心からこの鉄人ロボットを製作していることは明白だと、青木は感じた。
「これが――…鉄人」
「の、中身ですけれどね」
 青木は鉄の複雑な部品が組み合わさった威容を見上げ、呟くと、研究者がそのあとを継いだ。
「動力源の内包装置です。バギュームは非常に強力な力を持ってましてね、その威力を統制制御することがこれの主な働きですよ」
「バギュームは怖いぞ。ビル一つどころか、着弾した辺り一帯が吹き飛んで――廃墟と化す」
 振り向くと郷嶋だった。彼の言葉に少し眉を顰めた敷島が、機械の向こうから出てきて反駁した。
「でも金田先生は、それをもエネルギー動力として制御できることを証明された。だからこそ、建造物破壊を目的とし、生物には一切影響を与えない太陽爆弾の計画を進められたのです。それを了承して、推進を決定されたのは貴方がたではないですか。生かすも殺すも、それを扱うもの次第です」
「――否定はしないよ。作らせてるのはこっちだし、ものに存在価値を負荷するのは使用する人間であって、決してものそのものではない」
 郷嶋は意味ありげに笑った。敷島は溜息をついて眼鏡を外し、眉間を摘むように指で押さえてから、…そうですね、と穏やかに小さく呟いた。他の研究者は彼らのやりとりが聞こえていないかのように、てきぱきと自身の職務を全うして点検整備を終えていた。
青木はそれをただ眺めているしかなかった。
「少尉、もう出立だ」
 ぽん、と後ろから背を軽く叩かれ驚いた。陸軍の少佐が声を掛けて来たのだった。
「あ…はい、すみません」


慌てて所定の位置に着いて間もなく、機体は空へと飛び立った。




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Afterword

やっと、やっと冒頭の時間軸に戻りました。いったんここまでで区切り。
そして…再びやって来たぜ蠍の郡治。内務省ってさーお仕事範囲が広大すぎて、スパイや破壊工作から地方行政までやってらっしゃるので、まあ何でもありだと思ってますよ。あくまでお役人…だよな。なんか、ツアーのコンダクターみたいになってますが。でも多分、企画立案は軍の人がやってくれてると思う。

 っていうか、文蔵と郡治が会うためにどこか場所を設定しなきゃならないわけです。あともう二人いるので、その人たち含めて4人同じ場所に出せて、比較的余裕のある場所って言うと…まず文蔵と郡治が会わないと駄目で、そこが台湾なんですな。残りの人、日本内地にいないんで(原作から見える設定を史実においてみると)。しかし文蔵は零戦乗り(艦上戦闘機専攻)らしいのですが、まあイレギュラーになんとかしてもらいました。
 で、郡治に台湾へ来て貰うために、鉄人計画を持ち出してきました。てつじん…!!
元ネタは…『鉄人28号』今川監督版のやつです。ダブルパロお嫌いな方、本当にすみません。あまりにも計画と京極の一二研が被って仕方なかったので…。もちろん鉄人本編は昭和の33年あたりなのですが、鉄人は戦中に正太郎君のお父さん・金田博士によって開発されてて、南方の島で秘密研究されてたんですな。使うしかないだろ。第二鉄人計画は…京極ワールドのあの研究者の先生とおなじ研究テーマですので、同じラボでやってたら面白いなー、とか思いつつ。
 太陽爆弾とかも鉄人ネタですが、まあ元ネタ知らなくても話にはそんなに影響はないと思われます。が、面白いのでオススメ。
 郷嶋は、一二研てたぶん陸軍兵器行政本部の技術研究所所属ですよね(登戸は第九陸軍技術研究所だから併設?)。一二研の研究の中の一つに、鉄人計画もあって、研究者重複して各テーマ研究してて、それの政府側エージェントって自分設定。調整のための情報収集役+情報操作役だと思ってるので、色んなとこに出没させてみました。鉄人も原作が「陸軍の兵器」なんだが、なぜか海軍の将校が関係してたりするので、共同作戦だと理解。そこから妄想した奴です。

 でもってマッド敷島。若い版。マッドの神髄である神セリフを流用しました。科学する正義!
不乱拳博士が「学徒敷島君!」ってたので、昭和33年あたりに40代前半っぽいしそう考えると敷島は、大学院に進んで研究してた博士課程中(戦争初期に徴用されて、はじめは京都で綾子さんたちと研究してて、それから金田博士んとこに行ったのかたのか、もともと京大の院に進んだのか不明)に徴用されたんだと思います。同じ学徒でも、学部生で徴兵されて少尉の身分がある(たしか…そうだよね?)中禅寺と違って、たぶん敷島はあくまで研究者で徴用された民間人だと思うんだが…金田博士の助手だから。あーでもどうだろう軍属かな。まあ、いいや。とにかく、いちおう民間人として書いています。










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